■人を見抜く技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」~ -講談社+α新書-
昭和時代に麻雀の代打ち稼業で無敵を誇った、
伝説の雀士が存在したことをあなたはご存知だろうか。
当時の麻雀人口は最盛を極め、
国民の一大娯楽と化した麻雀世界。
その麻雀という不確実な世界で20年間無敗の
伝説を気付いた漢。
日本プロ麻雀連盟初代会長 故・小島武夫氏も
小説家 故・阿佐田哲也氏も一度も勝つことが
できなかった、麻雀に愛された漢。
人はその麻雀を打つ姿を見て、
丸で麻雀を打つ鬼様だということで、
雀鬼という異名を付けました。
ここでは、桜井章一氏著の「人を見抜く技術」
という書籍を参考に、桜井章一氏が勝負の世界で
磨き上げてきた、人間観察力について
ご紹介いたしたいと思います。
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ほかの生き物に比べ、
自然に反する生き方をしている”人類”の血。
自然の観点から見ると必ずしも
質のいいとはいえない血が、
癖となって表層に表れるのだ。
by. 桜井章一氏
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親に依存しながら生きていく中で、
いちばん身近な両親のやっていることを見ながら育っていく。
そして癖がひとつ、ふたつとついていく。
そういう意味では「親も遺伝する」といえる。
by. 桜井章一氏
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それが表面に表れることがなくても、
子どもの心身の奥深くにしっかりと刻み込まれる。
インターネットの普及で社会は広がった。
たしかに、社会というものは広がっていくものだし、
広がっていくことでそのよさ、
利点を人々が享受できるようになる。
by. 桜井章一氏
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じつはここに、
広げることの怖さが潜んでいる。
人間は、広がることを”良”とする感覚がとても強い。
だから無条件に、広がることは善であり、
力であり、能力であると思い込んでしまう。
by. 桜井章一氏
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精神の「広がり癖」とでもいおうか。
あたかも「広がっていれば勝ち」という風潮がある。
その一方で、「広がることが本当によいことなのか」
と疑問をに感じる人はあまりに少ない。
by. 桜井章一氏
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“広がる”ということには、
ネットワークやお金、物流の広がりなど、
“量”として目に見えるもののほかにも、
心の中の広がりなど、目に見えないものも存在する。
悪いものはそこで閉じ込めて広がりを抑え、
よいものは急激にでなく、少しずつ広げていく。
by. 桜井章一氏
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そういう感覚が必要なのだが、
人は無条件に広がることを求めてしまうから、
結局のところ、犯罪なども簡単に広がっていってしまう結果になる。
人間というものは、
体内に取り入れたものの中から必要なものを吸収し、
それ以外のものは外にだすことで生を全うしてきた。
by. 桜井章一氏
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しかし情報過多となってしまった現代は、
一人ひとりに入る情報があまりに多すぎて、
それを噛み砕いて不要なものを外に排出するのが
間に合わなくなってしまっている。
短期間で太って巨大化し、
その太ったことが”成功”だともてはやされる。
by. 桜井章一氏
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情報や知識といったものを詰め込みすぎた人間は、
精神が肥大化する。
そして、その先に待っているのは精神の破裂だ。
そうならないためにも、情報も、食べ物も、
ゆっくりと自分の中で噛みしめながら、
時間をかけて消化していく。
by. 桜井章一氏
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量は腹八分で抑える。
現代を生きる人間には、
そういった自己制御力が必要とされている。
by. 桜井章一氏
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なにかにコンプレックスを感じ、
過剰な羞恥心を抱えて生きている人には、
どこかに無駄に力が入っている。
過剰なコンプレックスを抱えて生きている人の親指は、
自然に反ってしまったのだと思う。
by. 桜井章一氏
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固定観念は、
あらゆるものの本質を見えにくくしてしまう。
しかし、固定観念というものは、
人間なら誰もが持っているものだ。
by. 桜井章一氏
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だから私は、固定観念をそのつど消し、
新たにまた書き直すという作業を繰り返している。
“大自然の中で生きる人”は、
いわゆる癖が少ない。
by. 桜井章一氏
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癖がない、といってもいいかもしれない。
“静か”といえばよいのだろうか、
その現地の人もそうだったが、
ドタドタしたところがないのだ。
大自然の中をでふわーっと、
流れるように生きている。
癖が少ないと、
動きというのはなめらかになるのだ。
by. 桜井章一氏
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