■手離す技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」~ -講談社-
市場主義の社会では、
たくさん売ったものが「勝ち」とされる。
でもこれからの時代、売る側の人間は、
「たくさん売りましょう」から「いいものを売りましょう」へと、
かつてあった思考に原点回帰していく必要性があるように思えてならない。
by. 桜井章一氏
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いまの時代、そこらじゅうで500円傘を販売しているから、
急に雨が降ってきても困ることがない。
傘に対して「ありがたみ」のようなものを感じる人は、
いまや本当にごく少数であろう。
いや、これはなにも傘だけの問題ではない。
道具にしても電化製品にしても、
日常使っている”もの”
に対してありがた味を感じている人はほとんどいないに違いない。
なにしろ、
「直すより買ったほうが安いですよ」
といわれてしまう時代である。
by. 桜井章一氏
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つくり手が「いいものを売ろう」から
「たくさん売れば勝ち」となってしまたことで、
使う側からも、「いいものをつくってくれてありがとう」
という気持ちが薄れてしまった。
消費者の側が、ものに対してありがたみを感じることは大切だが、
それ以上につくり手が「いいものを売ろう」
と思考を転換させなければならないと思う。
「高価だから」とか「ブランド品だから」とか、
そんなことは関係ない。
「いいものはいい」、
そういう感性をみんなが持たなければ、
「手っ取り早い」「便利」
ということに甘えてきたしっぺが返しが、
つくり手側にも、消費者の側にも再び訪れることになる。
by. 桜井章一氏
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得たものは必ず失う運命にある――。
これはこの世に存在するありとあらゆるものに共通していえることである。
私の人生そのものも、
得ては失い、得ては失い、
その繰り返しである。
むしろ、「失うほうへ、失うほうへ」
と自ら進みながら生きてきたような気がする。
by. 桜井章一氏
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選択肢として「楽なほう」と
「苦しいほう」があったら、
私は迷わず苦しいほうを選んで生きてきた。
それが私の性分であり、資質である。
by. 桜井章一氏
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私に喪失感があまりないのは、
いつも「自分はなんて恵まれているんだろう」
と感じているからかもしれない。
世間から見捨てられたものの中に意味を見出すような、
はたから見ればなんの価値もないような生き方しかしていないのに、
なんでこんなに恵まれているのか、
不思議に思うことがままある。
by. 桜井章一氏
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もうひとつ、
私が喪失感をあまり感じずに生きてこられたのは、
「終わりは始まり」という気持ちを常に持ち続けていることも関係している。
終わりが終わりなのは
「生命の終わり」だけであって、
そのほかの終わりはすべて始まりだという感覚を私は抱いている。
だから、たとえなにかを失ったとしても、
「今度は得ることの始まりだ」と思えるのだ。
「すべてを失った」と思うようなことがあったとしても、
ほんのわずかなものが、
小さなものが残っている。
その残ったものを次にどう活かすか。
そういう感覚を持っていれば、
きっとまたなにかを見つけられる。
失ったものを嘆いているだけでは、
残された部分に気づくことはできない。
失ったときこそ前を向く。
それが「終わりは始まり」の第一歩となるのである。
by. 桜井章一氏
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人は、自分を愛せなければ他人を愛することができない。
だから自己愛は、人間にとってとても大切な感覚ではあるのだが、
それが強すぎても弱すぎてもいけない。
自分を捨てる感覚を持たずに、
自己愛ばかり膨らませてしまっている人は、
自分の都合だけでものごとを計ろうとする。
人は、自分を愛することによって自己を確認している。
これは「自分を得ている感覚」と言い換えてもいい。
by. 桜井章一氏
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しかし、自分を得つつも「いざとなったら、自分を捨てられる」
という気持ちも同時に持っていないといけない。
「自分を得る」感覚と「自分を捨てる」
覚悟の両方を常に持っていないと、
人としてのバランスが崩れてくるのだ。
「自分を捨てる」という感覚の究極は、
「命を懸ける」ということだ。
自分のためではなく、人のために命を懸けられるか。
by. 桜井章一氏
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なにか大切なものがあれば、
人は「このためなら」という気持ちになれる。
「子のため」がやがて「孫のため」になるように、
一本の糸でつながった絆はどんどん伸びていく。
そして、絆を持った人間は、
いつでも自分を捨てられる。
その覚悟を持っている人は強い。
by. 桜井章一氏
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命を懸けるとまではいかずとも、
「自分のいちばん大切なものを捨てる」
という心構えを持つことは大切なことだ。
たとえなにかを「願う」にしても、
願ってなにかをいただくのであれば、
そのとき、こちら側も「なにか捨てる」覚悟が必要である。
なにかを得るなら、なにかを捨ててバランスをとる。
それが自然界の摂理でもあるのだ。
by. 桜井章一氏
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自分で獲得したあらゆるものは、
手離す運命にある。
自分にとっていいもの、悪いもの、
いろいろあるだろうが、
そんなことは関係ない。
自分の都合に合わせて「これは残しておこう」
としがみついてしまうと、
心のバランスはどんどん崩れていく。
いいものだろうが、悪いものだろうが、
排出せずにいつまでも抱えたままだと、
やがてそれが腐ったり傷んだりしてくる。
「これはいいものだから腐らない」
ということはないのだ。
by. 桜井章一氏
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悪臭を放ちたくないのであれば、
自分の思ういいもの、悪いもの、
すべてをバランスよく捨てていくようにすればいい。
そうすることで、その人の見えない部分、
いうなれば「軸」がしっかりしてくる。
骨がしっかりとしてくる、
といってもいいだろう。
by. 桜井章一氏
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「骨を折る」ことを惜しまなければ、
骨は自然にしっかりしてくる。
そのうえで、自分の中に取り入れたものを消化し、
不要になったものをどんどん排出していく。
心の健康を保つ上で、
それは欠かせない行為なのである。
by. 桜井章一氏
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「いいもの」と思われていることが、
じつはその人間を狂わせているということもたくさんある。
だから人々も、世の中もこうやって狂っていく。
「悪いもの」だけが世の中を狂わせているというのは幻想であり、
実際には「いいもの」とされているものも世の中を狂わせているのである。
悪が悪を生むだけではなく、
世の中で善とされるものからも悪が生み出されているという事実を、
多くの人が認識すべきであろう。
by. 桜井章一氏
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