■手離す技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」~ -講談社-
「差をつける」ことにしか喜びを見いだせなくなった多くの人たちは、
ダメな人間、バカな人間を見下すようになっていく。
その感覚が強くなりすぎると、
その人にとって「差別」というものが正当化されてしまうのだ。
差別の感覚が強くなると、
今度はその「差」に自分自身が苦しめられることになる。
人間には違いがあって当たり前なのだから、
埋まる「差」もあれば、
けっして埋まらない「差」も存在する。
by. 桜井章一氏
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そもそも人間は、
その命あるかぎり「自分を捨てる」ことなどできやしない。
by. 桜井章一氏
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過去とは、もう終わってしまったことであって、
それに対してとやかくいってもしようがない。
私にとっての過去とは、
「捨てるもなにも、すでに終わってしまったもの」
という程度の認識でしかないものだ。
「過去を捨てる」と意識しなければならないのは、
過去を引きずってしまっているからだろう。
「トラウマ」などはその最たるものかもしれない。
by. 桜井章一氏
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「過去」と「いま」は川の流れのようにつながっている。
だから彼らの「いま」を見ていれば、
過去になにがあったのかはだいたい察しがつく。
そういったものは、
彼らの「いま」を見るだけで、見えてくる。
彼らに「なにが問題なのか」を訊くと、
「いま」起きている問題を語り出す。
しかし、彼らの問題の根本は
「いま」にあるのではなく「過去」にある。
その「過去」を解決しないと、彼らの「いま」も解決しない。
by. 桜井章一氏
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過去のトラウマを解放してやることで、
「いま」の流れが回復するのだ。
過去があって、いまがあり、
それが未来につながっていく。
近いところ、遠いところ、
その両方が存在して人間の生きざまとなる。
by. 桜井章一氏
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「過去」は捨てる、捨てないの問題ではなく、
絵画の遠近法のように近いところと遠いところ、
その両方を捉えながら生きていくことが大切なのである。
by. 桜井章一氏
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「なんで、そんなに余計なものを背負いこんで
無理して歩いているんだろう」
そんなふうに感じる人が巷にあふれている。
地位や名誉、権力、世間体といったものを手離すことができず、
その重さに苦しみながら、ヨタヨタと歩き続けている。
「捨てていいもの」と「捨てていけないもの」の見分けもつかない。
その結果として、
歩くのもままならないほどたくさんのものを背負いこんで
人生を歩むことになっている。
by. 桜井章一氏
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現代人が背負っているものは、
人間本来の姿を考えたとき、
そのほとんどが捨ててもいいようなものばかりだ。
そんなものがなくても人間は十分に生きていける。
現代人はひとつ、またひとつと、
余計なものを背負い込んで生きている。
by. 桜井章一氏
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「捨てていいもの」がたくさんある反面、
「これだけは捨ててはいけない」というものはあまりない。
ただ、「もっとも捨ててはいけない」ものがひとつある。
それは、いうまでもなく「生命」だ。
しかしながら現代人は、
「捨てていいもの」の存在に重きを置き、
「捨ててはいけないもの」を軽視してしまっている。
by. 桜井章一氏
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人間というのは弱い生き物である。
強くなろうと思って鎧をまとっても、
結果として本体は弱いままだったりするし、
鎧をまとえばまとうほど、
人はどんどん弱くなっていく。
そしてある日、
思ったより自分が弱いという事実に愕然とし、
闇の世界へと自ら入り込んでいってしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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自分の弱さに気づいたら、
その弱さを受け止めて消化してしまえばいいのだが、
人間はそれがなかなかできない。
自分の弱さを受け止められず、
そこから逃げたり、隠そうとすることで弱さを増大させてしまう。
by. 桜井章一氏
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人間は欲で「勝とう」とするからダメになっていく。
そうではなく、
本能に近いところで「負けない」という気持ちを持つこと、
負けないように生きていくこと、
それが大切なのだ。
弱い部分、ダメな部分を正そうとするのは
「勝とう」という思考から抜けきれないからだ。
そうではなく、
「負けない」という姿勢で生きていれば、
たとえマイナスの部分を発見したとしても、
「これ以上、大きくならないように気をつけよう」とか
「小さくなるように、少しずつ収めていこう」
と思えるようになるのである。
by. 桜井章一氏
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人間は柔らかく生まれ、硬くなって死んでいく。
得る一辺倒ですべてを手離そうとしないから、
思考も体もどんどん硬くなり、
身動きがとれなくなって死んでいく。
柔らかく生きていくには手離すことが大切で、
それが自分らしく生きること、
自然の流れに沿って生きるということにつながっていく。
人間の真の強さは、
そんな柔軟さの中にこそ秘められている。
by. 桜井章一氏
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人は往々にして金、権力、情報など”掴めるもの”
にばかり価値を見出してしまう。
それとは逆に、
自然とか生命といった”掴めないもの”に対しては、
あまり見向きもしない。
それどころか、その存在にすら気づかないようなときもある。
しかし私は、”掴めないもの”こそ、
大切であるといつも思っている。
by. 桜井章一氏
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自分のまわりにある、
そうした掴めないものの存在を知り、感じることで、
人間の本能や感覚といったものは研ぎ澄まされていく。
ある意味、人間にとって一番掴めない存在は、
自分自身かもしれない。
自分の存在というものはけっして掴むことはできない。
「あ、いま、ちょっと掴めたかな」
と感じることがあったとしても、
その次の瞬間には自分自身が変化してしまっている。
人生は、そのような瞬間の繰り返しだと思う。
by. 桜井章一氏
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自分の存在を手離すのは、誰もが通る道である。
私は自分の人生を十分に生きてきたし、
不足も不満もまったくない。
だから私は、
そこにしがみついていたくないのだ。
「手離す」ことによって視界が晴れ、
視野も広がっていく。
手離さなければ見えてこないものがこの世の中にはたくさんある。
失うことを恐れる必要はない。
手離すことで見えてくる新たな世界は、
われわれに多くのものをもたらしてくれるのだから。
by. 桜井章一氏
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