■手離す技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」~ -講談社-
「金は天下の回りもの」といったりもするが、
金を使ったからといって勝手に金が懐に飛び込んでくるようなことはない。
使えば使うほど金が自分のもとに戻ってくる
なんていうことは実際にはない。
「金は天下の回りもの」という言葉にだまされて
やたらに金を使うことほど無駄なことはないのである。
by. 桜井章一氏
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元来、私は「金」は汚れたものだと思っているから、
金とは距離を置いて生きてきた。
「稼ぎたい」「儲けたい」といった強い欲はない。
ピンと張りつめた空気の中で、
牌の音だけが鳴り響く、
一打一打に、卓を囲む四人の人生、
生きざまが映し出される。
by. 桜井章一氏
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人間は対象があって動く生き物である。
対象とは、目的と言い換えてもいいのかもしれない。
対象があるから、
人は行動を起こしたり、思考を変えたりする。
そう考えると、人にとって一番大きな対象とは
「人」だということになる。
そんな、いろんな「対象」がつながっていくことで
人間関係というものが生まれる。
人は、人間関係の中でさまざまに変化を遂げていく。
そこには当然、納得する部分、
納得のいかない部分というのが生じてくる。
by. 桜井章一氏
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貧乏ながらも、
私の金に対する執着心が大きくならなかったのは、
生き生きとしている母親を見ていたからだと思う。
貧乏だが、母は金に追われているようなそぶりを
まったく見せなかった。
私の母は、生きた金の使い方をしていた。
必要とされるものの順位づけ、経済観念というものがしっかりしていたから、
私はそんな母から、
「生きた金の使い方」とはどういうものなのかを、
ごく自然に学んでいたのだ。
by. 桜井章一氏
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私が代打ちの報酬としてもらう金にしても、
それはそんな「死んだ金」の一部だった。
私が報酬を受け取らないことが多かったのは、
そんな「死んだ金」に触れたくないという思いもあったからだ。
by. 桜井章一氏
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金やモノに執着してしまっている人は、
自分が金やモノに囚われていることにまったく気づいていない。
そういう人たちに対して、
「あなたは囚われていますよ」と気づかせることは本当に難しい。
結局のところ、
「気づく」というのは自分自身の中で起こることであって、
他者から教えられるものではない。
他者ができるのは、
きっかけを与えることくらいだ。
「気づく」のはあくまでもその人自身なのだ。
by. 桜井章一氏
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「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、
なにかに囚われている人を見て、
「自分の中にもそういうところがあるのではないか?」
と思うことは、とても大切なことだ。
そこから生まれる気づきは、
その人をいろんな意味で成長させてくれるものなのである。
by. 桜井章一氏
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「金」は人の人生を良くすることもあれば、
悪くすることもある。
それだけに、「金」とは良い距離感を保ちながら
つき合っていかねばならない。
by. 桜井章一氏
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私が子どもだったころ、
母に「生きた金を使うんだよ」といわれたことがある。
いまの世の中を見渡すと、
「不況だ、不景気だ」といいつつ、
無駄な金、私の母親のようにいうとすれば、
「死んだ金」を使っている人がじつに多い。
by. 桜井章一氏
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私はいま、金に対して
「付かず離れず」の距離感を保つようにしている。
この社会の中では、
金がなければ生きていけないこともまた事実である。
しかし、だからといって金に近づきすぎることもなければ、
離れすぎることもない。
by. 桜井章一氏
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金というのは基本的に汚れているものだ。
人から人へと渡る中で汚れていき、
その汚れが人を汚す。
私の財布の中にある金も、
汚いことによって得られた金がめぐりめぐってきたのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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資本主義の社会は銭金の社会でもある。
経済は金によって動いている。
でも、心のどこかで、
「私は金では動かない」という一線を引くことがとても大切だと思う。
不況だ、不景気だ、
といわれるこんな世の中だからこそ、
金を使うにしても、
私の母親がいっていた「生きた金」を使うべきではないか。
もちろん、「生きた金」の使い方は、
きっと人それぞれ違いがあるのだろう。
by. 桜井章一氏
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人によって「生きた金」の使い方は変わってくる。
だから、「こういう使い方が生きた金の使い方です」
と示すことは私にもできない。
ただ、少しでもいい方向に、楽しむ方向に、
それも自分だけでなく、
まわりの人たちにも喜んでもらえる、
そんな金の使い方が「生きた金」の使い方なのだと考えている。
by. 桜井章一氏
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経済の停滞で、
日本社会全体にも暗く、
陰気な空気が流れている。
体が冷え込むと、
手や足先といった体の末端から冷たくなっていくように、
日本社会も、その末端である地方から急速に冷え込む状況となっている。
末端が温かくなれば、
その本体である日本社会全体にも生気が戻ってくるはずだ。
ショッピングセンターやインターネットでは、
会話もなければ売る側の顔も見えない。
これでは交流がまったくないし、
流れも滞り、冷たくなる一方である。
交流が生まれるということは、
そこに流れが生まれるということでもあるから、
地域社会の血のめぐりもよくなっていくはずである。
by. 桜井章一氏
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「便利さ」に慣れてしまうと、
人や社会というものから「ありがたみ」が失われていく。
これは自戒の念も込めていうのだが、
人間は一日一善ではないが、
一日一感、あるいは一日一謝でもいい、
そうやって日々の暮らしの中で、
なにかを気遣う気持ちを常に持つことが大切なのではないだろうか。
by. 桜井章一氏
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