■超絶感性 -竹書房-
強き者になるためには、目先の結果にとらわれず、数秒で的確な答えが出せるよう、集中力を維持し、冷静に状況を分析し、自分で納得できる麻雀を打つよう心がけなければならない
ところが、強き者はその重厚な体験によって、
麻雀は配牌だけでは通じないことを知っていて、
第1ツモからツモの流れを測る。
そして、体験で意にそわない流れに入ると、
それを察し、己れの「かげり」を感じ取る。
その陽のかげりを感じたら、
要注意の心構えに己れ自身の気持ちを置き、
誰に陽が当たっているかを見極め、
交通事故のような振りやムダな動き
(点棒を含めた)を避ける。
この己れのかげりと第三者の陽当たりを感じ取ることが、
状況の読みというものなのである。
by. 桜井章一氏
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麻雀の読みとは、
何も相手のリーチが何々待ちだ、
と読むことだけではない。
それは読みの中の一部分に過ぎないのである。
そういった牌の流れの意味を知で教わり(頭脳)、
心で実行(感性)できるのが、
重厚な麻雀体験を重ねた者である。
佐々木くらいになると、
知をアンテナにし、
心でそれを見極め、
肌で打つことが知らず知らずのうちに身についているため、
強き麻雀打ちとなっているのである。
by. 桜井章一氏
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麻雀の勝ち負けだけを見れば、
人は場所や環境が変わっただけで気持ちが変わるし、
結果も変わってしまうのである。
このように、麻雀は必然性と偶然性(運)が、
くっついたり離れたりして成り立っていて、
決して分離して考える事はできないのである。
ところが、引退して10年。
現在はそんな不運が1カ月に3日も来るようになっちまった。
by. 桜井章一氏
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しかし、今はバファリンを飲む日が多くなったし、
時には病院に行くこともある。
それだけ雀鬼も歳を取ったし
(歳のせいにはしねぇけど)、
弱く、甘い男になっているのも事実である。
私は、プロとして麻雀を打ち続けるために大切なものの一つとして、
場の状況に合わせて打つということを挙げていた。
その場面によって、打つ意識、
判断というものは、
己れの気持ちの中で決定されるのである。
by. 桜井章一氏
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雀荘の中ですら、
強者とやる時と弱者とやる時では、
意識の持ち方が違う。
己れなんか全然大した者じゃないことぐらい自分が一番わかっているはずだ。
だからこそ人は己さえも信じようとせず、
ああでもない、
こうでもないと考え、
悩むのではないのか。
「勝負なんつうのはな、佐々木よ。
その場になって、己れにない化物みたいな力が出て来た時こそ初めて勝てるんだよ。
周りと闘っても、己れの力だけの自信じゃ、とても勝ち目はないんだ」
by. 桜井章一氏
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私はもちろん、
絶対的な人間であるはずはないのだが、
公私にわたって普段から絶対像というものを作り上げるのにけっこう努力していたのかもしれない。
「佐々木、いいか、試合場に行ったら、目を開いていても人を見るな。
小島武夫を見れば、それだけでシロウトのお前にゃ悪いプレッシャーに変わっちまうからな。
そして俺の言葉以外はどんな情報も、励ましの言葉すら聞くな。
五感は全て忘れて、なくすようにしろ。
当てにならない五感をなくせば、あとは第六感しかない。
その第六感が冴えさえすれば、場は見えてくるからな」
ある程度の実力があれば、
あとはその日の運と勘の問題なのである。
「佐々木よ。
今回の勝負は、けっこう実力のある者が必ず一、二度得点を叩く流れで、天運に恵まれた者が、その運だけで勝ち上がれる場のムードじゃないぞ。
だから地力運のある者が必ず勝つ。
お前ならその仲間に必ずなれるのだから、しっかり勝て。
それから大切なことをもう一つ、今日の流れは地力のあるものが勝つところは勝ってくるが、必ず半荘1回は落とし穴がある流れになっている。
お前にゃまだ落とし穴がないということは、4回戦が落とし穴だから、そこに落っこっても、前もってわかって落っこちるんだからビックリすることはねえぞ。
ジックリ待って落とし穴の上にいる者が守りに入ったら引きずり落としてやれ」
by. 桜井章一氏
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その経過は見なかったが、
佐々木のことだから日和りもせず、
振り込む時にきちんと振った結果、
点棒を失ってはいても、
流れや打ち筋が変わっていないのを見て安心はしていた。
強者は、運あらばその運を上手にこなし、
己れの良き流れをできるだけ大きく長く保てるのだが、
弱者は運あれど流れに乗れず、
己れが運の中でもがくことによって、
間違った方向へ進んだり、
見当違いのことをしでかしたりして自らが場を壊してしまう。
されど運はあるから、
強者の足を引っ張ったり、
勘を狂わせたりして、
強者でさえもかちから遠ざけることになってしまう。
麻雀というゲームは、
強者だけで打つことを許さずいつの場も、
強者と弱者の織りなすアヤが場を作り出しているのです。
by. 桜井章一氏
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ですから、強者の作り出す場もあれば、
弱者の影響の濃い場もあるのです。
私が指導する雀鬼会では、
できる限り本人の持つ強い部分で打たせ、
経過も結果も、
常に強い部分が打ち出されてこないと認められません。
対局の素晴らしさは、
強者は強者なりの力が出せ、
弱者も精一杯の力で強者の胸にぶつかる、
そういった形がベストなのです。
強者は己れの持つ力で弱者の運を奪い取り、
それを倍加して、
前へ前へ進むことができるのだが、
弱者は己れの運や流れや場を壊していく。
by. 桜井章一氏
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この小さな手順ミスが、
勝負のアヤとなって表れてくるのですが。
強い者は、努力と工夫をすることによって場に花を咲かせ、
実をみのらせることができる。
下手な者も、
それ相応に努力や工夫をするのだが、
すればするほどわけがわからなくなってしまって、
勘違いや間違った方向へ進んでしまうのです。
強き者になるためには、
目先の結果にとらわれず、
数秒で的確な答えが出せるよう、
集中力を維持し、
冷静に状況を分析し、
自分で納得できる麻雀を打つよう心がけなければならない。
by. 桜井章一氏
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強者と弱者との対局の裏には、
麻雀の持つ本質からかけ離れた多くの要素が入り込むことを心にとめておいてください。
私が長年携わってきた裏プロ麻雀に近い麻雀を、
選手たちに打ち合ってもらうのが目的の一つで、
結果より経過と内容を優先し、
たくさんの制約もある。
心も身体も揺れることなく、
動じることなく、
卓についたら麻雀に集中し、
先へ先へと進んでいけ、
と教えられ、
休息などたったの一度たりともない。
楽なことなど何もないのである。
by. 桜井章一氏
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苦しみを、心と身体でしっかりとつかんで、
前へ前へと進んでいくのである。
佐々木をはじめ、
強くなった子たちを見ていると、
皆一様に己れを捨て、
カラを破り、
雀鬼流を素直と勇気で必死に受け止めた子たちなのです。
そこに初めて、
歓びや楽しみが生まれるのです。
麻雀の序盤の東1局になすべきことは、
ほんの少しでも点数を取るとかいうことではありません。
by. 桜井章一氏
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己れの態勢を知り、
その上で人の態勢を計ることが大切なのです。
そうして態勢をつかみにかかり、
さらにいい態勢(流れ)に乗ることが肝心なのです。
1局進んだだけの、
何も意味のない和了りにしか見えない。
この和了りを見て、
今日の土田の和了りは全て意味のない和了りとなってしまうような気がした。
by. 桜井章一氏
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和了っても和了っても、
結果に結びつかない和了りという意味である。
土田はこの1局で、
要注意の態勢になってしまったのだ。
前にも述べたように、
完成型が五つあっても、その場、
その状況によってベストの和了りを求めるのが、
麻雀の持つ本質に逆らわない打ち方なのです。
世間の皆さんは、
ベスト2だろうがベスト3だろうが、
和了りに変わりがあるかってなとこで終わってしまっているから、
麻雀がわからないし、
力もつかないのです。
by. 桜井章一氏
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人生においても同じことがいえますが、
やはりベストのことをやり遂げていれば、
先に光明が差します。
それを、楽な和了りばかりしていては、
決して実にならず、
必ず後でシッペ返しが来ます。
楽して1300を和了るより、
たとえ和了れなくとも、
この状況下ではまだまだ努力や工夫を加えた方が、
後々力強いものとなって返ってくるのです。
これは別に、
ただ1000点が欲しいからでは決してなく、
その場のアヤをつかみ、
卓上に登りたい、
流れを取りたいための動きなのです。
by. 桜井章一氏
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