■努力しない生き方 -集英社-
スポーツでも武道でも画や書などの芸術でも、
それぞれを一つの道とすれば、その道には果てがない。
究極という言葉があるが、
究極という状態はこの世にはそもそも存在しないのだ。
奥へ進めば進むほどそういう思いはますます強くなっていった。
途中で「わかった」という気持ちになっても、
そこを過ぎるとまたわからなくなる。
その繰り返しなのだ。
by. 桜井章一氏
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そう考えていくと本当の「悟り」、
究極の「悟り」というものは人間が到達できない領域のものなのだろう。
だから、安易に「悟り」などという言葉は使わないほうがいい。
そもそも悟ってしまったら、そこから先はないということではないか。
悟ってしまったら面白くない。
人生は悟らぬうちが花である。
by. 桜井章一氏
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人は何かを期待したり、目的を持って生きるものだが、
期待というのは往々にして外れるものだし、
目的も思いどおりに達成するということはそんなに多くはない。
苦しみの多くは、
そんな思いどおりにいかないところから湧いてくるものだろう。
by. 桜井章一氏
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私は「期待は病理」ということをよく言うが、
期待というのはあまりしないほうがいいのである。
それは一瞬感じたらあとは忘れてしまったほうがいい。
それゆえ「苦しい状態」に陥らないためには、
はじめからあまり期待しないことが決め手になる。
by. 桜井章一氏
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期待するより期待しないほうが、物事は上手くいことが多い。
余裕があれば全体が冷静に眺められ、
正確に考えたり、動けたりする。
期待しなくとも、やるべきことを正しくやっていれば
おのずとしかるべき答えは出るものだ。
by. 桜井章一氏
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「たいしたことない」と「知ったこっちゃない」、
この二つを私はよく念仏のように口にするのだが、
そんなふうに思っていると釣らないなというときでも
その気分が次第にやわらいでいくのである。
たしかに深刻そうな問題でも、
本当はたいしたことないのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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人は人生の長い道を歩いていたらいろいろなものに出くわす。
「ああ、大変だ~」と思いたくなるようなことはいくらでも起きるだろう。
でも、ふだんから「たいしたことない」「知ったこっちゃない」
の感覚で流していると辛いこと、
苦しいこともほんとうにそんな気持ちでどこかうけいれることが
できるようになるのである。
by. 桜井章一氏
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偽装する人が増えたのは、
何よりも賢く生きようとする人が増えたからにほかならない。
賢く生きようとする人ほど、偽装は上手くなる。
なぜ賢くいきることがのぞまれるかと言うと、
当たり前のことだがそのほうが得をするからだ。
by. 桜井章一氏
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反対に馬鹿に生きると、損をすると思われている。
だが賢く生きているように見える人でも、
かならず馬鹿な部分やダメなところはあるものだ。
ところが、得すると思って賢く振る舞う人は、
結局損をしたりする。
賢く上手に振舞おうとプラスの面だけを出し続けることは
しょせんできないのだ。
by. 桜井章一氏
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賢く生きようとして賢い面だけを見せようとするのは
そもそも不自然なのである。
それははじめから無理のある生き方なのだ。
賢く見せることに一生懸命になるといろいろなところで辛くなるが、
賢くないダメな面も最初から素直に出しておくと楽である。
by. 桜井章一氏
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そんなふうに自分に素直に生きることができれば
人生は楽である。
賢く生きようとしたり、
賢い面だけを腐心して人に見せるのは、
結局賢くない生き方なのだ。
by. 桜井章一氏
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人はいつも何かが足りないという思いを抱きながら生きている。
そして、この社会はいつも足りないと強く思わせてしまう環境にある。
しかし、不思議なもので、
自分より足りていると思う人を見れば「自分は足りていない」と思うくせに、
自分より足りていないなと思う人を見ても「自分は足りている」とは思わないのである。
by. 桜井章一氏
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勝つための勝負はいくら勝っても人に本当の満足感は与えない。
負けても相手のことを思いやったり、きれいな心持ちで精一杯勝負できれば、
納得感がある。
私は道場で「勝つ」ことを求めず「負けない」気持ちでやれと言っている。
「勝つ」は人がつくりだす欲望だが、「負けない」は
野生の動物が持っているような本能に近いところからくるものだ。
by. 桜井章一氏
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「負けない」という気持ちでやれば節度あるきれいな勝負になるのである。
それゆえ、「勝つ」という足し算の発想でやれば真の満足感を得られないが、
「負けない」という感覚でやれば、勝ち、負けという結果がどうであろうと
納得感が生まれ、「足りる」状態でいられる。
足し算で生きている人は慢性的に「足りない」という気持ちに追われるわけだが、
それにとらわれるあまり、すでに「足りている」部分を大事にしなくなる。
足し算の人生の落とし穴はそこにある。
言ってみれば、すべてはすでに与えられているということに気づくのである。
by. 桜井章一氏
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ふだんわれわれは、自分の中で「足りている」ものを
いかにムダにしているかということである。
使わないでもったいないことをたくさんしておきながら、
「足りない、足りない」と嘆いているのである。
「足りていない」と思っている状態は、
実はすでに豊かな状態なのだ。
自分には「何もない」と感じていても、
すでにすべてが与えられていると思ってよいのである。
by. 桜井章一氏
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