■努力しない生き方 -集英社-
現代人は「答え」というものを強く欲しているからだと思う。
先行きの見えない時代にあって、これからどう生きていくのがよいのか、
何を求めていけばいいのか、何を心の拠りどころにしていけばいいのか、
わかりやすい明快な「答え」はどこにもないし、
誰かがきちんと答えてくれるわけではない。
by. 桜井章一氏
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そう言えば、この社会に氾濫するマニュアルというものも
「答え」があらかじめ用意されたものである。
今の人は「答え」というものにつよくとらわれているんだな
ということを感じてしまう。
by. 桜井章一氏
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だが、そもそも生きていることに「答え」などあるのだろうか。
そんなものに意味などはじめからないのだ。
身も蓋もない言い方だが、
意味もなければ答えもないからこそ人生は面白いと思う。
by. 桜井章一氏
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「答え」というのは一つの目的だからそれ以上前には進めない。
だから人生の「答え」を仮に見つけたとしたら、そこでお終いではないか。
はっきりとわからなくても、
だいたいこんなところだなというつかみ方をする。
その状態で放っておくと、
いつの間にか自然とわかってくることもある。
わからないからといって気持ちが落ち着かなくなるようなことはなく、
むしろその状態を楽しむような感覚が私にはある。
by. 桜井章一氏
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わかるとは「分かる」と書く。
「分かる」とはその対象となるものをある形に分けて、
理解できるようにすることである。
どんなに科学文明が発達しても、人が生きるとは何なのか、
はっきりとした「答え」は出てこない。
人が生きるということは永遠に謎だ。
by. 桜井章一氏
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動物も植物も地球も月も太陽も、
彼らは答えを求めない。
「分からない」という状況にあって「迷い」を起こすのは人間だけ。
でも、「分からない」というのは、
本当は魅力的なことだし、楽しいことだ。
by. 桜井章一氏
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「分からない」という状態は生きることを豊かにするものなのだ。
だから、もっと「分からない」ということは大事にすればいいと思う。
「分からない」ことに耐えられなくなって、
人生の「答え」を安易に求めることなどないのである。
by. 桜井章一氏
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世の中の動きがこぞってメジャーを求めようという流れにあって、
私は徹底してマイナーなものにこだわってきた。
メジャーとは一言で言えば、
力のあるもの、大きなものである。
by. 桜井章一氏
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メジャーを求めるのはそんなにいいことではないと思う。
私がメジャーな方へ目が向かないのは、メジャーにとらわれると、
マイナーなものが持っているよさや値打ちをちゃんと見なくなるからである。
それ以前にもともとメジャーにはいいものがないという思いもある。
by. 桜井章一氏
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だからメジャーな存在になっても、
マイナーな感覚を失わない人はひじょうにバランスがいいと思う。
このように今はマイナーなものがどんどんなくなっていく時代である。
だが、メジャーなものばかりがわがもの顔で大手を振ると、
世の中は平板で味気ないものになってしまう。
by. 桜井章一氏
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誰しも基本は自分の顔を持ったマイナー存在だ。
しかしメジャーを求め過ぎると、
人はそんな自分顔を忘れて見失ってしまう。
つまり、マイナーな感覚を大切にすることは、
等身大で自分をとらえるということでもある。
by. 桜井章一氏
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メジャー志向になっていくということは、
反対に自分を錯覚しておかしな妄想がどんどん膨らんでいく
危険を孕んでいるということだ。
だから、メジャー志向が過ぎると、
人は人の形を失っていく。
マイナー感覚をあくまでも大事にしてさえいれば、
メジャーな力に振り回されて自分を見失うようなことはないのである。
by. 桜井章一氏
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背中にも目があるような感覚というのは
磨けば持てるものである。
背中に目を持つ感覚。
それは前方を見る意識を両横へボワッと広げ、
さらに後ろをぐるっと回って自分を包み込むような感覚と言えばいいのだろうか。
by. 桜井章一氏
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過去の歴史を振り返るよりは、
いつも未来に願望を投げかける。
そうやって前へ前へと身を投じることばかりをやっていれば、
背後に広がる空間は感覚の行き届かない場所になってしまうに違いない。
世界的パニックというのは、
現代人の背中がガラ空きになっていたために起こったことである。
by. 桜井章一氏
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人の背後には、
後ろを充分にかえりみないことで生まれる無数の魔物が潜んでいる。
本当はこのようなときこそもっと時代の背中をみるべきなのだ。
後ろに広がっている歴史を振り返り、
元きた道をたまには戻ってみることが大切なのだ。
by. 桜井章一氏
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