貴方方は世界に一つだけの花でないのか!?尊敬する人が他人とかぶる人々

■努力しない生き方 -集英社-

私は麻雀で「いい手」をつくろうと思わない。
「いい手」を作ろうと思うとその麻雀はかならず壊れるからだ。

いいものは、いろいろとやっているうちに自然と生まれてくるものだ。

それゆえ、「つくる」でなく「生む」という感覚を私は大切にしている。


by. 桜井章一氏

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「つくる」と言うと、
世間では創造的なニュアンスを伴ういい響きを持っている。

人は何かをつくることでその作品を通して自己主張をしたいわけで、
自己主張には当然きれいでない欲や野心もたくさん入っている。


by. 桜井章一氏

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自然の中で生まれた生命はいずれかならず消えていく。

それなのに人がつくったものだけが残っている。
そこにちょっとした違和感がある。


by. 桜井章一氏

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茶道には「無事の美」という言葉がある。

何ら余計な飾り立てのない素朴な器が最も美しいという考え方である。

このように「つくる」という感覚を極力排したところに美を見出す感性は自然と馴染みながら暮らしてきた日本人特有のものとも言える。


by. 桜井章一氏

■群れない生き方 -ソフトバンク文庫- 文化も言葉も違う異国の人々と「みんな仲良く」やっていくのには ちょっと無理がある。 ...

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できれば本能に近いところで自然から何かを取りだすように「生む」ことができれば最高である。


by. 桜井章一氏

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モノでも生き物でも表だけのものなど一つもない。
みんな表や裏やいろいろな面を持っている。

表だけの葉っぱがあれば奇妙なのと同じで、
表だけで生きようという人間も奇妙なのだ。

表も裏もあるのがふつうの人間のあり方である。


by. 桜井章一氏

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表だけで生きようとすると、
無意識に裏にいろいろなものをため込み過ぎてどこかに無理が生じるはずだ。

たとえば、善と悪どちらか一方だけを持っている人間はいない。

自分は表だけで生きるんだと思っている人は、
自分には悪の部分はないと思っているのと同じである。


by. 桜井章一氏

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人は表と裏どころか、たくさんの面を本当は持っている。
その面が多いほど生きる幅も広くなるのである。


by. 桜井章一氏

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■ピンチの本質 ~絶体絶命を乗り切る技術~ -KKベストセラーズ- ピンチを深めるのは"欲"ではなく、"欲"が作り出した"豊かさ"にあ...

自分の軸を持つのは大切なことだ。
軸がしっかりしている人は強い。

反対に脆い人は軸がぐらついていたり、
なかったりする。

一本の軸を360度回転させると球体になるが、
強い軸というのはその球体の中で自在に動くものである。

本当にしっかりとした軸とはこのようなものを言う。


by. 桜井章一氏

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「勝利の方程式」などのような決まったパターンがなく、
いろいろな形で勝てるのが三六〇度の軸を持っているということである。

考え方もそうだ。

考え方がしっかりしているなと思える人は、
一つの軸だけで支えられた考え方をしていることが少なくない。


by. 桜井章一氏

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麻雀でもスポーツでも勝負というのは軸の奪い合いである。
相手の軸をいかにとらえ押さえ込むか。

軸を取られるとどんなに強い人でも押さえられてしまう。

しかし、強い人は軸が回転してあちこちに軸が生まれるので、
いったん軸を押さえられてもそれを撥ね返す力を持っている。


by. 桜井章一氏

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尊敬の対象としている人を見れば、
その人がどんな生き方の志向を持っているのかが
うっすらと見えてくる。

尊敬する人がいるというのは悪いことではない。
尊敬する人からいろいろなことを学べるからだ。

しかし、そこには落とし穴がある。


by. 桜井章一氏

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■「一瞬の勝機」のつかみ方 ~生き方が勝ち方を決める~ -静山社- 嘘をついて相手をうまく騙したつもりでも、 ついた瞬間、そ...

尊敬する人というのは例外なく自分よりも上にいると思っている人である。

上にいると思われている人や尊敬する人からしか学べないと思っている人は、
結局、学び方が偏っていると思う。

それはもっぱら社会的に上の方へいくためだけの学びになっているからだ。

未熟な人、ダメな人から学ばなければ、
本当の人間的な学びというのはできない。


by. 桜井章一氏

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どんなに社会的に立派な人でも人間的にダメなところはかならずあるし、
人間的に優れていると思われる人でもそうでない部分はどこかにあるものだ。

完全な人間などいない。

尊敬が熱くなるとそんな相手のマイナスの部分が見えなくなり、
ひたすら美化してしまう。

そんなところから間違いは起こる。


by. 桜井章一氏

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崇拝に向かう真理というのは人間的な弱さからくるものである。

崇拝する人は自分の中にある根本的な弱さが、
崇拝の対象となる人に救われるような気持ちになるのだ。


by. 桜井章一氏

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