■雀鬼流 無敵の勝負論 -青春出版社-
自然は自由そのものである。自然の摂理に従って生きていれば、自然と天運にも恵まれることになるのだ。学ぶべきものは常に自然の中にあった
雀鬼流が生まれたのも、
私が作ろうと思ったからだけではない。
人が押してくれたからだけでもない。
何かが雀鬼流を作りなさいと後押ししてくれたのである。
振り返っても不思議である。
by. 桜井章一氏
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何かがいつも後押ししてくれていたんだなとなんとなくわかってきたのは、
雀鬼会ができて10年くらい経ってからだった。
それがきっと天運なのだろうと思っている。
私は神を信じてはいないが、
運の流れは間違いなくあるのだ。
その場限りの信頼や約束なんて絶対にあり得ない。
by. 桜井章一氏
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だからこそ私は日常を大切にしているし、
道場生にもそう指導している。
上下関係を使い分けたり、
利潤のために自分を売ったり、
利害関係があるから人に何かを頼んだりするのは弱い人間がやることである。
そして弱い人間の約束は弱い約束である。
強い約束とは、
そういうことは関係なく約束を守るということなのだ。
by. 桜井章一氏
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約束、決め事、制約、
掟などは人と人との和合であり、
調和、共生、共鳴である。
人間はやはり共鳴し合って仲よく共生していく方がいいと思う。
世の中全体の調和がとれていれば、
そこに平和も訪れるはずではないか。
そういう形の中から生まれてくる約束事はいいものだと思っている。
by. 桜井章一氏
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ネイティブ・アメリカンやオーストラリアのアボリジニーや北海道のアイヌなど、
少数民族の掟は法律や制度のような人工的なものではなく、
自然の摂理に従って生まれてきたものである。
そしてその掟が厳しいものであったとすれば、
それは何より彼らを取り巻く自然自体が厳しいものだからだろう。
自然と結びついている掟には私にも納得感がある。
自然は自由そのものである。
by. 桜井章一氏
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だから若い人を指導する中には、
自然の感覚を入れていかなくてはならないと思う。
掟とは人間を自由に近づけるためのものでなくてはならないのだ。
掟を守ることでそこには本質的な信頼が生まれる。
自然の摂理に従って生きていれば、
自然と天運にも恵まれることになるのだ。
by. 桜井章一氏
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そこから離れ、
政治経済の都合が生み出した人工的なルールの枠の中でしか生きていない人間は、
結局自然の掟を破っている。
それが世の中に不幸なものを生み出す源になっているのではないだろうか。
ほんの一部の人間の利権や欲望のために作られた約束や制約あるいは制度は、
部分にとらわれ偏った存在である。
人間が全体感を取り戻して強く生きるためには自然の掟を見直す必要がある。
by. 桜井章一氏
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私は人間から何かを学ぼうなどと思ったことはない。
学ぶべきものは常に自然の中にあった。
そういう意味では、
時間というのは自然である。
大金持ちであろうが王様であろうが、
また貧困にあえいでいる人であろうが、
時はすべて平等に過ぎていく。
by. 桜井章一氏
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そして、時というのは決まっているようで決まっていないものでもある。
楽しく生きていれば時間は短い。
辛いこと、苦しいことがあっても、
自分の気持ちを楽しく明るくしていれば、
それを短くすませることもできるのである。
いい心構えを持つ人間は、
自分で充実した楽しい時間を生み出すことができているのである。
by. 桜井章一氏
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自分ばかりではなく周りも楽しくできる人間は、
勝負においても強さを発揮する。
周りを暗くさせたりつまらない気持ちにさせたりしている者は、
やはり負けているのである。
人を不愉快にさせるのは、
その人間が何か悪いことを起こすからだ。
人の心にあるつまらなさが、
自らの心を疲れさせ、
乱していく。
by. 桜井章一氏
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子どもの教育というのは、
まずそこから始まるのではないだろうか。
子どもが淋しさを感じない、
飽きない時間を作ってやるのである。
私は下北沢道場に、
「楽しくなければ会長じゃない」
と自分で書いて貼り出したことがある。
楽しければ病にはならないし乱れない。
争いも起きはしない。
by. 桜井章一氏
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私は遊びが趣味だし、
仕事でも遊んでいるのだ。
遊びというのに語弊があるならば、
楽しんでいるということだ。
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実際に道場での仕事は多いのだが、
私は楽しいから道場に行っているだけのことなのだ。
楽しいからやっているのだ。
自分の趣味や遊びが仕事になればいいというのとも違う。
by. 桜井章一氏
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だからといって、
私は何事もいいかげんにすませてはいない。
悩んでいる状態の時には、
人間はいろんなことを深く考え込んでしまっているものだ。
勝負と同じで、
考えすぎは迷いに通じるし、
迷いが深くなりすぎれば心身が病んでいくことになってしまう。
そういう時には、
ものを考えなければいいのである。
by. 桜井章一氏
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生きていく上で大切なのは心身の調和がとれていることである。
何事にもバランスと中庸の感覚が必要なのだ。
深く沈みすぎた時には、
浅い場所に戻してやるのが最善の手だてとなるのだ。
浅瀬にいる、
浅く考えるというのは、
いいかげんだったり投げやりだったりするのとは違う。
by. 桜井章一氏
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