■群れない生き方 -ソフトバンク文庫-
孤独を恐れる人の根本にあるのは、群れからはぐれ、
ひとりぼっちになってしまうという不安である。
だから「嫌われたくない」とか
「変なヤツと思われたくない」という気持ちが強くなり、
まわりの人たちの顔色ばかりをうかがって生きるようになる。
by. 桜井章一氏
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私は自分の道を、自分の思うがままに生きてきた。
ある時は自分の力で切り開き、
またある時は何かに流されるように導かれながら、自分の道を歩んできた。
私が切り開いてきた道は私の領域である。
この生き方だけは誰にも譲れない。
by. 桜井章一氏
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「知ったこっちゃない」と言えるようになるには、
何よりも”面白さ”というものが必要になってくる。
“面白さ”を見つける力、さらにそれを楽しむ力。
それらがそろって初めて視野が広がり、余裕が生まれ、
いろんなことを素直に受け止めることができるようになるからだ。
by. 桜井章一氏
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“面白さ”を身に付けると、どうして人目を気にせずに済むようになるのか?
それは不安というものが小さくなっていくからである。
笑いの対極にあるのが不安であるから、
その不安を薄めるためには面白さを見つけていくしかない。
面白さを見つけ、それを楽しみ、
さらにまわりの人たちにもその面白さを享受させる。
ただ単にいろんなことを面白がるだけでも
不安というものは薄まっていくものだ。
by. 桜井章一氏
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面白さを身に付けるために一番必要なのは、
子ども時代に自然の中でたくさん遊ぶことである。
子どもと一緒に楽しめるような遊びを徹底的にやるのであれば、
何もないところからも面白さを生み出せるようになるはずだ。
by. 桜井章一氏
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会社ではない、どこか別の場所で本当の自分の生き方を模索していく。
それが”生き甲斐”というものに繋がっていくのだと私は思う。
媚を売るということは自分を売るということである。
そんなことを続けていれば”自分”というものも失われていく。
by. 桜井章一氏
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経済社会の中で生きているからといって、
労働力はともかく、心や魂まで売る必要はない。
逆を言えば、心や魂といったものだけは死守しなければならない。
「会社とはそういうもの」「経済社会とはそういうもの」
と認識した上で、自分なりの生き方を探していくことが必要だ。
by. 桜井章一氏
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私がよく言う「個は全体なり。全体は個なり」という言葉は、
経済社会を認識した上で私の中に生まれたひとつの考え方である。
自分を売ってばかりいると自分を見失い、
“会社がすべて”の「全体は全体なり」の考え方に染まってしまう。
この社会を少しでもバランスよく、
気持ちよく生きていくには”個”と”全体”の間で、
バランスを上手に取っていくことが肝心なのだ。
by. 桜井章一氏
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世の中が狂えばそこに生きる人々にも”狂”というものが入り込んでくる。
私がこの歳まで”狂”の世界と無縁でいられたのは、
自分の思考の中にある”信じる”という言葉を捨てたからである。
私はある時から”信じる”という言葉、
その意味合い、効果に疑問を抱くようになった。
by. 桜井章一氏
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固定観念とはその字面の通り、人を固くするものである。
変化の連続である人生は、
柔らかく臨機応変に対応しなければうまく生きていけない。
だからこそ「信じるから固定観念が生まれるんじゃないか」
「信じるからそこに囚われ、必要以上に傷ついたり、
落ち込んだりすることになるんじゃないか」
と思ったのだ。
by. 桜井章一氏
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“信じる”を捨ててからの私は何に対しても”半信半疑”。
半分は信じて、半分は疑う。
よくても八割信じて、二割は疑うようにしている。
“信じる”と違って”半信半疑”という言葉は
あまりいい意味に用いられてないが、
私は”半信半疑”こそ柔軟かつ臨機応変であるための基本だと思っている。
by. 桜井章一氏
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たったひとつのことがダメになったからといって、
自分の人生がお終いになるわけがない。
なのに、何かひとつのことを信じてきた人は簡単に
自分の人生もダメにしてしまう。
by. 桜井章一氏
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“愛”という言葉も、人を信じ込ませ、
人をダメにしていく最たる存在である。
人は何かをやたらと信じ、
自滅するかのようにダメになっていく。
私からすれば
「愛すら信じちゃうから、人間として寂しくなっちゃうんだよ」
と言いたい。
by. 桜井章一氏
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だから私は自分すらも疑っている。
自分に対しても半分信じて、
半分疑う姿勢は変わらない。
「おい雀鬼、それでいいのかい?」。
もうひとりの自分がいつも私にそう問いかけてくる。
by. 桜井章一氏
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“狂”の力、そこから発せられるマイナスのエネルギーはとてつもなく大きく、
瞬く間に波及し、人は”狂”のちからに取り込まれていく。
それもこれも”信じる”ことに端を発している。
“信じる”ことは間違ってはいないが、それがすべてではない。
by. 桜井章一氏
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