夢や希望を持つのも、裏を返せば「思い通りになればいい」ということ

■群れない生き方 -ソフトバンク文庫-

覚悟とは”死”すらも意識した心構えのこと。
だから私は”覚悟”という言葉を簡単に使ってはいけないことを知っているし、
いつでもその覚悟を持って人生を歩んできた。

目の前に”厳しい道”と”楽な道”が現れた時、
私は迷わず”厳しい道”を選んできた。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

私は厳しいものを辛いとか苦しいなどと思わず、
「自分を成長させてくれるもの」として捉え、
接してきた。

自分にとって都合がいいか、悪いか。
そういった選択基準は私の中にまったくない。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

試練が多いのは当たり前。
試練を”生きた学び”と考え、
実際に幾多の試練から数え切れないほど多くの学びを得ることができた。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

誰かの成功物語を学ぶより、
身近にいる”できない人”たちと接していた方が人生を歩む上での学び、
知恵といったものが得られる。

私が今まで続けてきたのは”ゼロからの学び”であり、
そのためか、私は無から有を起こしていくことに喜びを感じてきた。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

■そんなこと、気にするな 20年間無敗・伝説の雀鬼の「惑わされない生き方」 -廣済堂- 人間はどうだ。 同じ生き物でも、...

有を有にするなんて大したことではない。
そんな生き方を続けていても人間としては強くなれない。

「希望を持て」「夢に向かって進め」と格好よく言っている人もいるが、
夢や希望を持つのも裏を返せば「思い通りになればいい」ということである。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

厳しい道は自分の思い通りにいかないから”厳しい道”なのであって、
自分の思い通りにいくのは”楽な道”である。

そんな時こそ孤立を恐れてはいけない。

厳しい道で得られた生きた学び、
経験こそが人間の幅を広げてくれるのだ。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

世間では「友達をつくることはいいことだよ」という教えから始まる。
学校や親から教わり、まわりの人間から教わっていく。

そう考えると”教える”というのは本当に怖いことだ。
教わる方もその怖さを知っておかなければならない。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

友達付き合いに疲れてしまったのなら一度休養すればいい。
休むといっても友達関係をバサッと切ってしまえというわけではない。

そうならないよう”群れ”から少しずつ距離を置き、
それでも繋がりを保てている人たちと関係を続けていけばいいと思う。 


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

■手離す技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」~ -講談社- 「差をつける」ことにしか喜びを見いだせなくなった多くの...

自然の摂理を見ても分かるように、
一遍に何かをやれば当然どこかに無理が生じる。

私は世の中で”いい”といわれる価値感、
“当たり前”とされることに対して、
疑いの目を持って接してきた。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

だから当然、進む道の選び方はまわりの人たちとは違っていた。

道の選び方というより、
落ちている石の拾い方が違ったと言った方が適当かもしれない。

でもほとんどの人は、社会が「この色がいいですよ」と言ったらそれに従い、
社会の良否に則った石を拾ってしまっている。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

大衆を操りやすくするために、
巧妙につくられた罠やトリックが社会のあちこちに仕掛けられている。

その罠やトリックは
「本当にこの石でいいのか?」「この色は間違っているんじゃないか?」
という疑問に感じる思考、さらに独創性や創造性といったものも遠慮なく奪ってしまう。

人々を骨抜きにしてしまうこの権謀には学校教育やメディアも大いに加担している。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

今の大人たちは、
社会の指定した色の石を懸命に拾うところからスタートしてしまっているので、
「違う色の石を拾う」という考え方をそもそも持っていない。

何色でもいいし、形だって何だっていい。
ただ、大きすぎるのはダメ。

片手で持てる程度の、自分だけの石。
社会の示す石などは、どこかにほっぽり投げてしまえばいいのだ。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

■見えない道の歩き方 -竹書房- 人は誰でも善と悪を持っています。 「善悪」といっても「善悪を分別している」という意味で...

“群れ”の内と外を行き来していれば、物事の内と外、
裏表といったものも理解できるようになる。

そうやって物事の内と外を知ることで何かに囚われることもなく、
何かに染まることもなく、客観的に物事が捉えれるようになるのだ。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

よく「地に足を付けろ」というが、私は足で踏ん張った力んだ状態より、
ふわーと浮いた状態の方が人は臨機応変な対応が取れると思っている。

その方が何ものにも囚われず、
まわりがよく見える状態だから進むべき道も間違うことはないのだ。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

私は幼い頃から本能に則って生きてきた。

これは自然界に生きる動物的な生き方に近いものだと思っている。
でも世の多くの人は本能ではなく常識やルールというものに則って生きてきたことだろう。

それらを蔑ろにして、常識やルールに則って生きてきたことにより、
様々な本能が人間から徐々に失われてしまったのだ。


by. 桜井章一氏

 ☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆ 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする