■群れない生き方 -ソフトバンク文庫-
私はそんな最低の人間にはなりたくない。
だから思いやりのないことをされたら、
いつも以上に他人に思いやりを持って接するし、
辛いこと、悲しいことがあったらまわりを明るくしようと努める。
天にツバを吐けばそれはそのまま自分に返ってくる。
by. 桜井章一氏
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人間は自分の弱点を隠すために相手の弱点を突こうとするものなのだ。
「人のふり見て我がふり直せ」という言葉があるが、
相手から嫌なことをされたとしても、それを一方的に責めたり、
被害者意識を持ったりするだけでは人としての成長は見込めない。
何か嫌なことをされても「自分にもそういう部分があるんじゃないか?」
と常に自問自答を繰り返すことで人は成長していくのだ。
by. 桜井章一氏
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結局のところ、自分以外の人間を変えることなど誰にもできやしない。
であるならば、自分が変わっていくしかない。
「なぜ自分だけ責められるのか?」
その原因を探し、自分を改良していくのだ。
by. 桜井章一氏
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相手を変えようと思うと、
どうしたって相手は変わらないのだからストレスや
フラストレーションばかりが募ることになる。
相手をどうこうしようと思うのではなく、まずは自分から変わっていく。
「この変わり方では通じないな」と思ったら他の変わり方をしてみる。
改良、改善は一回や二回では済まないかもしれない。
by. 桜井章一氏
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躾と虐待は紙一重である。
だからこそ”躾”は怖い。
親の都合で行う躾の場合、
ほとんどが”上から目線”になっているものだ。
しかしそれでは子どもを正しい方向へ導いてやることはできない。
子どもの立場で、
子どもと同じ目線に立って初めて教えるべきことが見えてくるのだ。
by. 桜井章一氏
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だったら親はどんなときに子どもの躾をすればよいのだろうか?
それはずばり、自分の気分のいいときに躾をすればいいのである。
気分の悪い時に行った躾には、
“嫌な気持ち”が入っている。
当然、その”嫌な気持ち”は子どもにも伝搬していくから、
その子の将来に悪影響を及ぼすことにもなりかねない。
by. 桜井章一氏
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逆に”良”とされるもの、”いいこと”というのは伝わりにくい。
よく「悪くなるのは簡単」「落ちるのは簡単」と言ったりするが、
人間の社会では「正は伝わりにくく、負は伝わりやすい」ものなのである。
社会でも伝わりやすいのは自然の流れには反した”悪い流れ”のものばかりだ。
by. 桜井章一氏
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引きこもりと呼ばれる人たちに対して、
私たちの日常的な観点からのアドバイスは通じない。
だから私は、一歩でも二歩でもいいからまずは
部屋の外に出てみること促す。
そうすると時間はかかるがやがて二階から一階に下りられるようになる。
by. 桜井章一氏
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だからと言ってそこで
「じゃあ、外に出てみなよ」と無理をさせてもいけない。
「よくやったね。怖かったろう」と声をかけてやり、
「怖かったです、もう行きたくないです」とその子が言うなら
「ああ、行かなくていいさ、しばらく行かなくていいよ。
冒険したくなったらまた行ってみな」
という程度にしておく。
by. 桜井章一氏
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そういった地道な作業を続けていけば、
徐々にその距離が延びていき近所のコンビニまで行けるようになる。
その時に私は「怖くなかったろう」とは言わない。
「怖かったろ。よくがんばったな」と言ってやり、
もしその子が「あんまり怖さを感じなかった」
と言うようになったらその時初めて
「そうだろ、そんなに怖いもんじゃないだろう?」
と言ってやるのである。
by. 桜井章一氏
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「価値観が同じだから」という言葉を耳にする。
私はそんな言葉を聞く度に「価値観が同じ相手なんかいるかよ」と呆れている。
人間一人ひとりに個性があるように、価値観だって十人十色である。
血の繋がった親子、兄弟でさえ価値観は異なる。
by. 桜井章一氏
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そもそも、私は”価値観”という言葉嫌いである。
価値観の一致不一致で物事を捉えること自体、
そこに自分を高尚化させようとしているのを感じるし、
価値観で捉えた視点はいわゆる”上から目線”的な傲慢さすら感じる。
by. 桜井章一氏
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“価値観”というものを人の判断基準にしているタイプは、
知らず知らずの内にまわりを見下していることに気付くべきだろう。
今の社会は人間一人ひとりが”お金”というもので価値を測られる。
つまり、みんな言っている”価値観”は言い換えれば”お金観”であり、
人の価値観は「損か、得か」の損得勘定や都合といったものによって
形づくられている。
by. 桜井章一氏
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今の人たちにとって重要なものを私は何も知らない。
言ってみれば私は”価値を知らない男”である。
人生は変化と選択の連続である。
何かの基準のようなもの、
柱のようなものがなければ選択はできないわけだから、
私の中にも何らかの尺度みたいなものはある。
by. 桜井章一氏
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私の中にある尺度は極めて簡単だ。
それは、
面白いか、つまらないか――。
ただ、それだけである。
それが厳しい道であっても、
あるいは死ぬかもしれないような危険なことでも、
私は「これは面白い」と感じたらそちらを選択してきた。
by. 桜井章一氏
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