■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21-
人は生きている限り、必ず死ぬ。
生の根底にある死に、
人は無意識に怯えているのである。
それが漠然とした不安の正体だろう。
もっとも、こればかりは理由がわかっても、対応の仕様がない。
by. 桜井章一氏
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そんなものはもとより対処することはない。
漠然とした不安は、「別にいいんじゃない」と思う。
マイケル・フェルプスの泳ぎを昔見ていて、
「あ、背骨で泳いでいるな」と思ったことがあった。
背骨そのもので泳いでいる魚と似ているなと感じたのだ。
by. 桜井章一氏
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背骨を持っている生き物にとって背骨は、
その存在を成り立たせるほど重要なものなのだ。
だから、背骨が生きている人というのは、
活きがいいのである。
by. 桜井章一氏
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いわゆる「骨っぽさ」というものが男には必要だと私は思っているが、
その骨っぽさがもっとも表れるのがこの背骨なのだ。
男は、背中で何を語っているかということが
問われる生き物なのだと思う。
by. 桜井章一氏
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男の背中は哀愁を語るのも得意だ。
だが、周りを見渡し目につくのは、
悲しさ、気迷いや空虚さが表れた、そんなしょぼい背中ばかりである。
そういう意味で気骨なんて言葉はほとんど死にかかっているのかもしれないが、
男はやはり骨が大事だ。
by. 桜井章一氏
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骨っぽさのある男は、
真っ直ぐな生命力といったものを感じさせる。
その点、女は骨ではない。
ゆったりと循環しているような柔らかな流れを感じさせるのが女だ。
by. 桜井章一氏
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腹は自分で見られる。
そこが背と大きく違うところだ。
自分で見ることができるから、何かを隠すことができる。
腹に抱えているものは、
真っ黒なものであろうとごまかせるのである。
by. 桜井章一氏
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一方、背中は自分で見ることのできない、
ある意味、無防備なところだ。
だからこそ、背中にはその人が持っているものが出やすいし、
一切のごまかしがきかないのである。
by. 桜井章一氏
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不利な状況ほど面白い。
私はいつもそう思って生きてきた。
勝負には必ず勝負所というものが訪れる。
by. 桜井章一氏
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ほんとの勝負所というのは、圧倒的に劣勢な立場に置かれたときなのだ。
けっして大きなチャンスが到来したという瞬間ではない。
麻雀でいえば、自分以外の三人がリーチをしている状態。
by. 桜井章一氏
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こちらに一分か二分の利しかなく、
相手には八分か九分の利があるという状態。
絶体絶命の状況にあって、
そこで退いたら完全な負けになるという局面でこそ、
勝負所はやってくる。
by. 桜井章一氏
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そこを耐えに耐え、
攻めの意識を途切れさせなければ立場がガラリと変わる。
勝負には流れというものがあるが、
流れの潮目は突然変わる。
その潮目をすかさずとらえるのである。
by. 桜井章一氏
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流れの潮目では、
相手の運量(運の量)とこちらの運量がスッと入れ替わる。
どんなに不利であっても、
攻めの意識を持ち続けていれば必ず、「変わり目」はくる。
勝負所における戦いこそ、勝負のヘソなのである。
by. 桜井章一氏
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世の中には偶然に思える出来事がたくさんあるが、
それもよく見るとそこへ至る微妙な流れがある。
それは微細なものなので意識では気がつかない。
偶然のように見えても、その底では必然の流れがあるのである。
小さなところ、見えにくいところに、
小さな必然の連鎖と積み重なりがあるのだ。
by. 桜井章一氏
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至近距離で眺めれば、「なんという偶然か」となってしまうが、
もっと大きいスケールで見ていくとすべてが必然の流れのなかで起こっているのである。
偶然は運という言葉に置き換えてもいい。
「偶然に偶然なし、偶然はみな必然である」とすれば、
運もまた必然ということである。
by. 桜井章一氏
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