■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21-
アバウトというと、曖昧であり、
いい意味ではあまり使われていない。
だが、私は「だいたい」とか、
「なんとなく」という境界のボヤけた感覚をとても大事にしている。
by. 桜井章一氏
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麻雀をするとき、相手の牌は見えない。
しかし、全体の流れや相手の打ち方を見ていると、
なんとなく相手の牌の状態がわかったりするのだ。
これは視覚的に見えるというのでなく、
おそらくこういう状態なんだろうなという感覚的なものだ。
by. 桜井章一氏
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ただ、「わかる」に至るには、
「絶対」という感覚でアプローチしていっては駄目だということははっきりいえる。
「絶対」の感覚は必ず的を外すのだ。
by. 桜井章一氏
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「だいたい」とか「なんとなく」という感覚で対象に向かうと、
ある像のようなものがおぼろげに浮かんでくる。
そして「あ、これか」という場所に感覚がスッと落ちていくのである。
by. 桜井章一氏
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そういうときの私は目が半分閉じている。
ものをよく見ようとするなら、
目を大きくかっと見開いては駄目なのだ。
見るともなく見るような、
全体をボワッと眺めるような感じでいると、
「だいたい」のところが「なんとなく」わかってくるのである。
by. 桜井章一氏
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「だいたい、こんなところでいいかな」という感覚、
「つかもう」というのではなく「触れる」感覚でいくと、
物事の中心にある大事なものが見えてくるのである。
「だいたい」の感覚こそが、確信を最後につかむのだ。
by. 桜井章一氏
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誰もが持っている自尊心というやつは厄介なものである。
もしかしたら人間にとってもっとも厄介なものかもしれない。
自尊心というのは、
自分が一番だと思っているから生まれる。
どんなに謙虚な人でもそうだったりする。
by. 桜井章一氏
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私は自分という存在を一番には置きたくない。
では、私にとって一番にくるものは何だろうか。
それはたくさんある。
危機に瀕している見ず知らずの人々なのかもしれないし、
あるいは自分の命を保ってくれている何かなのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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二番目に自分がくれば、
どんな危機に陥ろうと、どんな大きな失敗をしようと、
どうってことないと思える。
二番目に自分を置くというスタイルは、
まぎれもなく私の生き様になっているのだと思う。
by. 桜井章一氏
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私は徹底したマイナー志向である。
マイナー感覚とはつまるところ、
素の自分を等身大でとらえることである。
メジャー志向が強いと、等身大の感覚を持てなくなり、
自分をどこかで失っていくのだ。
メジャーの影響がいかに強くても、
マイナー感覚だけは失くしてはならないのである。
by. 桜井章一氏
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歴史の流れ、時代の流れにも、それと同じ場(荒場、デカ場、小場)が存在する。
私はこれからの時代というのは、小場の時代だと思っている。
小場のときは動きが小さくなる。
荒場のときには荒場にふさわしい手があり、
小場のときには小場の手がある。
by. 桜井章一氏
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小場の手とは小さい手である。
荒場の手とは大きく対応できる手である。
小場のときには大きい手を使っても意味がないのである。
意味がないどころか、ときには高いリスクも呼び込む。
by. 桜井章一氏
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私は「夢は大きく持つな、小さく持て」といっているが、
この小場の時代において大きな夢を持つことはなおさらやめておいたほうがいいということだ。
小さく動くことが大きく動くよりも、
楽で簡単などということは微塵もない。
by. 桜井章一氏
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小さく動くことには大きな動きとは違う、
小さな動きの難しさがある。
小さく動いていればいいからといって、
けっして気を抜いてはいけないのである。
by. 桜井章一氏
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「重心を低くする」というのは、生き方にもいえることだ。
重心は、頭でなく、腹の下に置くものだと私は思う。
重心を頭置いていると、人本来の生き方ができなくなってくる。
by. 桜井章一氏
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