■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21-
「男の器」というものがあるなら、そこに何が入るのか。
「男の器」といったとき、
たいがいの人は「その器は大きいほうがいい」と感じるに違いない。
だが、「男の器」はただ大きければいいというものではない。
大きければいいというのは昔からあるひとつの固定観念だ。
by. 桜井章一氏
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「男の器」もある状況やある局面において、
それぞれに器のサイズを変えるべきだと思う。
「男の器」は状況に応じて柔軟に伸びたり、
縮んだりしてしかるべきものなのだ。
by. 桜井章一氏
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そのとき、その場に合わせて器の大きさを変えていく。
大きさだけでなく、色も形も変えていく。
だから「俺の器はこうだ」と人に見せているような人は、
しょっちゅう間に合わない人生になってしまう。
by. 桜井章一氏
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畢竟、いい「男の器」とは自在に姿を変えるがゆえに目に見えないのである。
男論というものは本来、男らしさを背骨としながらも、
野放図なくらいの自由さを孕んでいていいはずだ。
by. 桜井章一氏
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男を量る最上級の物差しのようなものがあるとすれば、
私の場合、その人が「粋」かどうかということである。
有能なのはいくらでもいるだろうが、
粋なやつはそうそういない。
by. 桜井章一氏
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この社会では能力を磨いて有能な人間になることが、
もっとも価値のあることだとされている。
日本人同士お互いに「活き活きしてないなあ」と感じていると思う。
「活き」がなければ、当然「粋」は生まれない。
「活き」と「心遣い」と「気風のよさ」が一緒くたになっていて、
久しぶりに粋というものに触れる思いがした。
「粋」の反対はいうまでもなく「野暮」だが、
野暮は今日日、腐るほど目にすることができる。
by. 桜井章一氏
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野暮が大量生産される社会の根源にあるものは何かというと、
それは競争ではないかと思う。
激しい競争社会の原理が人々から余裕を奪い、活きを奪い、
粋を失わせたのだと思う。
by. 桜井章一氏
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競争に勝つことに執着するのはじつに野暮である。
人は学校やサークル、会社組織など狭い枠の中で勝った、負けたと一喜一憂しているが、
「勝った俺や私」にどれだけの値打ちがあるのかじっくり考えてみるといい。
そんな勝ちは「たかだか」という程度の価値しかほんとはないのである。
by. 桜井章一氏
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勝つことにこだわる人は、負けると恨みつらみを後に残す。
そんなものを抱えることほど格好わるいものはない。
この競争社会において粋に振る舞うということはけっして難しいことではないと思う。
粋がどういうものであるかを知れば、それは不可能ではない。
by. 桜井章一氏
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男という生き物は本来、
ちょっとやそっとのことで驚かない遺伝子を持っていると思う。
驚くことは、危機に対して警戒態勢をつくるきっかけになるわけだから、
ある面ではとても重要なことだ。
ただ、過敏に驚くようなことがあるとすれば、
それは生物として弱くなっているのだと思う。
そんな風に弱くなってしまったのは、
人間が頭を優先させすぎて生きているからに他ならない。
by. 桜井章一氏
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現代人は何かあったときに、
とっさに体で反応することができなくなっているのだと思う。
予想外の出来事に不意打ちされたとき、
頭でなく体で反応すれば、
体は一瞬の間を置いてそれをスーッと吸収できるものだ。
男はちょっとやそっとのことで驚いてはいけない。
by. 桜井章一氏
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力は「込める」のでなく、いかに「抜く」か、なのだ。
力を入れるほど物事は上手くいくという強い固定観念を大多数の人が持っているからだ。
権威を笠に着るのは、本人に十分な力がないと示すようなものである。
by. 桜井章一氏
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私がほんとうに格好よさを感じるのは、腕一本で生きている職人や、
体を張って仕事をしている肉体労働者だったりする。
彼らは「 」という余計なものを一切まとっていない。
素で勝負しているような潔さが格好いいのである。
男であれば、素で勝負したいものだ。
by. 桜井章一氏
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力が足りなくてどうしようもなくても、
ありのままで戦えばいい。
身の丈で精一杯やっていけばいい。
いくども戦いを繰り返すうちに、
必ず力は磨かれるのだから。
by. 桜井章一氏
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私がよく使うそれらの店が「何かを持っている」のは、味もさることながら、
それをつくる人の生き様が料理に濃く込められているからだと思う。
生き様には血、汗、困難、意気、自信、さまざまなものが詰まっている。
その組み合わせが人として「いい味」を出し、
強いスパイスとなって料理を引き立るのではないだろうか。
by. 桜井章一氏
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