■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21-
女は泣くことで行動の切り替えをスムースにしている。
泣くことによって感情の澱がたまらないから尾を引かないのだ。
涙を流すことですっきりして次の行動にパッと転じることができるのだから、
泣くという行為はけっして後ろ向きなものではないのである。
by. 桜井章一氏
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悔し涙はみっともないと思う。
こういう涙を流すのは基本がむしゃらな頑張り屋タイプだ。
しかし、そういう人は自分のことだけをいつも考えている。
他人に何かを与えるとか、譲るという発想がない。
by. 桜井章一氏
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男も女も関係なく、
孤独というのは本当はあまりいいことではないと思う。
孤独な人間というのは、
そもそもどこかに問題を抱えているものである。
何かその本人の性格や生き方に問題があったりする。
by. 桜井章一氏
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そもそも人は本質的には自立などできない生き物である。
他人と必ずつながり、どんな形であれ誰かに依存して生きていかざるをえない存在である。
仮に自分の力だけでやってきたとしたら、
私はきっと楽しくないだろう。
by. 桜井章一氏
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それは自分のためだけに生きているようなことになるからだ。
自分のためだけなら力なんて出てこない。
私に限らず、人は誰かのためにと思って何かをするほうが力を出すものである。
by. 桜井章一氏
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そもそも迷惑を他人にかけないで生きていくことなどできるのだろうか。
子どもに「迷惑かけるな」という親からして、
人に迷惑ばかりかけていたりする。
周りに迷惑をかけないで生きている人などこの世に一人としていない。
by. 桜井章一氏
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「迷惑はかけて当たり前」なのである。
すなわち、生きるということは、
人に迷惑をかけるということなのだ。
迷惑をもし膨らませてしまったら、
そのときは「ごめんね」という言葉を用意しておけばいい。
迷惑をかけることを、やたら怖がることはないのである。
by. 桜井章一氏
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兎にも角にも、明るく振る舞うのがよしとされる風潮が
世間の根底にあることがよくわかる。
もちろん、明るいことはいいことだ。
一日のうちに明るい昼と暗い夜があるように、
人にも明るいときと暗いとき交互にやってくる。
by. 桜井章一氏
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明るくない気分のときでも無理に明るくしていると、
どんどん鬱っぽくなってくる。
根暗というのは根っ子が暗いということだが、
根はそもそも光が当たらない部分だ。
暗いのは当たり前なのだ。
誰だってほんとうは根は暗いのである。
by. 桜井章一氏
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根暗であっても、必ず一方に明るさがあって、
その明と暗の加減は昼と夜が交互に訪れるように、
四季が移ろいいくように常時変化しているのである。
人の目は気にせず、
そんな下限が自分のなかで自然とできればいいのだと思う。
by. 桜井章一氏
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人は素で生きるもの、なるべく本音でつき合うもの、
という思いが私にはあるので、社交辞令は、
いうのもいわれるのも基本的に好きではない。
私が社交辞令をいうのは相手から求められているときだけだ。
by. 桜井章一氏
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相手のことを思う気持ちが元にあって、
相手が自分のことを褒めてほしそうな気配を発しているとき、
それによって相手が喜ぶだろうなというときにはいう。
社交辞令はいうまでもなく社交術の一種である。
by. 桜井章一氏
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相手がいいことをいってきたとき、それが本心でいっているのか、
社交辞令でそういっているかということは、声や表情ですぐにわかるものだ。
物事には知る楽しさと知らない楽しさがある。
知らないでいいことも、世の中にはたくさんある。
by. 桜井章一氏
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相手がほんとは何を考えているのか、そんなことを知りたがるのは、
本来しなくてもいいことかもしれない。
知ってしまうことで後悔することはいくらでもあるだろう。
by. 桜井章一氏
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人の心なんて、多かれ少なかれ、埃で汚れているものだ。
探っていけば、必ず、その埃にむせることになるのだ。
本心なんて「知ったところでどうなるの?」ということである。
人は相手をあるがままに感じていればいいと思う。
by. 桜井章一氏
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