■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21-
「自分を信じる」ということは、
「自信」がありますといっているのと同じことだ。
だが、ほんとに自信がある人は自ら自信があるとはいわない。
結局は自信がないからこそ、
「あとは自分を信じるだけ」という表現になるのだと思う。
by. 桜井章一氏
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私自身はこれまで「自分を信じる」
なんて思いを抱いたことはない。
大きな勝負に臨む私のなかでは
「俺は負けるかもしれない」という思いと
「いや、そんなことはない」という思いが
交互に繰り返されていたのである。
by. 桜井章一氏
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自信はなかったが、
ひとつだけ確としたものが心の内にあった。
それは「納得感」である。
by. 桜井章一氏
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勝負に対する準備をちゃんとやってきたという納得感、
これまできびしい勝負を体を張ってしのいできたという納得感、
いままで麻雀からたくさんのものを学んだという納得感、
そんな納得感だけが自分のなかにあったのだ。
by. 桜井章一氏
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「結果さえよければいい」という結果論の人は「満足感」の中に自分を置くが、
結果よりも過程を大事にする人は「納得感があるかないか」、
それだけなのだ。
by. 桜井章一氏
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だから、納得感がある上でなら、
これからやろうとしていることが上手くいかなかったり失敗したりしても、
けっして悔いは残らないだろう。
ところが、自信だけで結果を出そうとして、
失敗したときは必ず後悔することになる。
by. 桜井章一氏
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そもそも自分という人間は他人と同様、
絶え間なく変化している。
他人が次に何をするかわからないように、
自分のなかから何が飛び出してくるかわからないのが当たり前なのだ。
そんな自分なんて信じることなど初めからできない相談なのである。
by. 桜井章一氏
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だから、自信などなくてもかまわない。
何事も納得感さえあれば、
それで上出来なのである。
by. 桜井章一氏
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麻雀は牌を切ることで進められるゲームである。
つまり、牌を捨てることは麻雀の基本中の基本といえる。
だが、長いこと麻雀に触れてきて、
この基本動作ができているという人はこれまで見たことがない。
by. 桜井章一氏
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牌を切る動作は最短の距離を最速で、
それでいて柔らかく打たねばならない。
私が麻雀で勝負していたときに出会った「これはできるな」という打ち手は、
いずれも牌の切り方からして他の人とはレベルが違っていた。
by. 桜井章一氏
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牌を切れているということは、
そこに「一打を切る悟り」があるということだ。
ひとつ切るごとにひとつ悟りがある。
そのくらい牌を切るという動作は奥が深い。
by. 桜井章一氏
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牌を切る動作にはその人の心が映る。
きわめて単純な牌を切る動作に、
その人がまるごと素直に表れるのだ。
by. 桜井章一氏
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悟れないからこそ、
いろいろな工夫をして上を目指す楽しみも味わえる。
どんな道にも最終ゴールはない。
どんな人でもその途上なのである。
だからこそ、「悟った」と思うことがあれば、
そこでお終いなのである。
by. 桜井章一氏
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不安には二種類ある。
理由のわかっている不安と、
理由がはっきりしない不安と。
われわれ人間は、ときおり漠然とした、
理由のよくわからない不安に襲われることがある。
by. 桜井章一氏
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理由がわかっている不安に対しては、
何とか対処の仕様があるが、
理由のよくわからない不安は対応の仕様もない。
だが、理由がはっきり見えない不安というのは、
実は理由がある。
それは「死」に対する恐怖だと私は思う。
by. 桜井章一氏
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