ニセモノの勝ちは脆いものです。それがずっと続くということはありません

■勝負の格言 -宝島SUGOI文庫-

人も体構えが出来ている時は、思考が消え去り、
心と体が一つのものになっています。

もともと技と体が出来ている人が、
勝負において心技体が一致する時は無敵です。

とてつもない力が出てきて誰もかないません。


by. 桜井章一氏

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心構えは、じつに地味な日ごろの行動や
気持ちの積み重ねから作られるものです。

それが出来てこそ、
本番でも緊迫感を持ったきびしい心構えが出来るのです。


by. 桜井章一氏

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私は、本当の勝負に「守り」はないと思っています。
そもそも攻撃と守備を分けるという考え方は間違っています。

勝負は攻撃しかないと思うからです。
攻撃が勝負の基本です。
守りはないのです。


by. 桜井章一氏

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守りは、弱い部分があるからそれを守るという発想になるのです。
弱者の発想が守りです。

人間は言葉にとらわれる生き物なので、
「守り」と思えばもろい部分を守るという気持ちになるのですが、
そうでなく「受け」ととらえるべきなのです。


by. 桜井章一氏

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■努力しない生き方 -集英社- 信念を持つとは一つのことに集中するということである。 今の教育は一つのことに集中しろ、 ...

攻撃に柔らかく、
かつきびしく対応することが「受け」です。

「受け」は相手の攻撃力をそぐものです。


by. 桜井章一氏

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つまり「受け」は、相手の攻める力をそいで、
次に自分が攻めやすくする体勢を作るための攻撃なのです。

攻める気持ちで相手の攻撃を受けるかぎり、
「守り」はどこにも存在しないのです。


by. 桜井章一氏

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「守り」の姿勢とは、すでに逃げている状態でもあります。
守る気持ちでいて攻撃されたらたまりません。

狙われ、追われるという気持ちになってきます。
そうなると、逃げようという感覚になって不利な状況を作りかねません。


by. 桜井章一氏

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逃げると、ドキドキして敵でないものまで敵に見えたりします。

逃げていると、
冷静さを失って等身大でものごとを見られなくなるのです。

等身大で見られなくなるから、
いろいろな間違いを起こすわけです。


by. 桜井章一氏

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■努力しない生き方 -集英社- 私は自分に引きつけて誇りというものをじっくり考えたことはないが、 そのようなものが何かあると...

「逃げ」はまた、
次の攻撃に移る時に非常に遅れをとります。

「守り」は階段を百段下りる「逃げ」ということです。

しかし、「受け」になると階段を一段下りる程度の感覚なので、
次にスムーズに攻撃に移れるわけです。


by. 桜井章一氏

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私から見れば、みんながわざわざ人生で
負ける努力をしているようにしか思えてなりません。

そこにはたいがいズルやウソ、
騙しといった汚いものがあるからです。


by. 桜井章一氏

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かりに勝利の花を咲かせたとしても、
それが本当の勝ちなのか、ということです。

ニセモノの勝利=負け、と思うからです。


by. 桜井章一氏

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ニセモノの勝ちは脆いものです。
それがずっと続くということはありません。

大きく勝ったと思うとドカッと負けたりして安定に欠けるのです。


by. 桜井章一氏

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■勝ち負けを超えた誇り ~雀鬼量麻雀道場・特別対局編~ -竹書房- リングでも卓上でも、一本決めにいく志と行動があると、 勝...

麻雀は本来、振込みとアガリ、
つまり与えることと捨てることのバランスの上に成り立っているものですが、
ダメな麻雀を打つ人は自分が得ることだけ、
アガリだけを求めて相手を見ない、
つまり全体を見る目を持てません。

それゆえに判断、行動のバランスが乱れ偏り、
みずから崩れてしまうのです。


by. 桜井章一氏

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つまり勝とうと努力しているつもりが、
じつは負ける努力をしていることに他ならなかったりするのです。

麻雀には東南西北という方向がありますが、
これは麻雀というゲームがひとつの宇宙を表しているということです。

ですから、そこでは自然と同じように循環する流れが起こります。


by. 桜井章一氏

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麻雀という勝負は、東南西北という円の流れを大きく、
かつ細かくとらえ、その流れに上手く乗ることが勝ちにつながります。

いい勝負の時ほど、
東南西北という円の流れはきれいな円の形に近づきます。

円がぐるぐる回って自分に帰ってくる自然の感覚が大事なのです。


by. 桜井章一氏

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