■マイナー力 ~「負け」が「勝ち」になる生き方~ -竹書房-
勝ちに正しさがないように、成功にも正しさはないことを知りました。多くの人が憧れるレベルの成功を収めるまでには、「嘘」や「不自然」、いろんな意味での「悪行」が体に残るからです
私はいろんな人との交流の中で、
勝ちに正しさがないように、
成功にも正しさはないことを知りました。
多くの人が憧れるレベルの成功を収めるまでには、
「嘘」や「不自然」、
いろんな意味での「悪行」が体に残るからです。
ビル・ゲイツのようなメジャーの中のメジャーといった世界的な成功者も、
虚しさを感じて悩んでいるそうです。
どんどん会社が大きくなる中で、
それに呼応するようにさまざまな問題が起こってくる。
by. 桜井章一氏
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人から富をぶんどったという気持ちはついて回るでしょうし、
成功した裏にはさまざまなマイナス要素や悲しみが生じて、
やがて「人間とはいかがなものか」ということばかり考える精神状態になるのです。
富は増えても、
人生はどんどん色褪せてつまらなくなってしまう。
私から見れば、
たいていの成功者こそ不成功者。
でも世間の多くの人は、
「成功者」というメジャー感に憧れて、
自分を見失ってしまうのです。
by. 桜井章一氏
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ある程度の幸せで満足せずに、
「まだ自分は成功していない」と、
上ばっかりを見てしまうのです。
それは不幸の始まりです。
メジャーを志向する限り、
いつも人は満足することがなく、
「足りていない」状態にあるからです。
「足りない」ことではなく、
すでに「足りている」ことを考えるのがマイナー感覚というものです。
by. 桜井章一氏
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マイナー感覚をしっかり持っていれば、
世間的に「足りない」状態でも「十分足りる」状態になりうるのです。
自分は何を本当に求めているのか。
人がつくったメジャー感覚に沿った欲望をいったん外して、
そういったことを考えてみるといいと思います。
それは、金や権力といった分かりやすい欲望とはまた違う種類のものかもしれないし、
よくよく考えてみたら、
すでにいろいろなものを手にしていることに気づくかもしれません。
自分が手にしているものに感謝することで、
人間力は育っていくものです。
ちなみに私の求める欲望は、
睡眠欲と食欲と性欲の三大欲くらいです。
by. 桜井章一氏
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人間ですから、
それらは生命を継続させていくためにも、
ある程度素直に自由でいいんじゃないかと思います。
もっと純粋に、
子どものころの自分を取り戻す感覚で自分自身を知り、
マイナー感覚を持って生きてみれば、
百も千も欲を持つ必要はないことが分かります。
私自身も実感しますが、
人間というものは小さいときの感覚のほうが正しいものです。
長く生きているとどうしても悪いものが身についてしまう。
by. 桜井章一氏
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流されないように生きようと思っていても、
どうしても大人になると知恵がついて、
それが邪魔をするものです。
取り返しのつかない規模の問題は、
大人のほうが起こしてしまう。
つまり、弱くて小さいマイナーのほうが純粋な気持ちがある。
メジャーになると感覚的にどうしても汚れてくるのです。
by. 桜井章一氏
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原点に帰るような気持ちでマイナー感覚を養い、
他人のモノサシに振り回されないで、
自分の感覚で自分を活かす生き方をしてみてほしいと思います。
マイナー感覚は、
自分の感覚で動ける強さを持っています。
世の中の多数派に流されない、
自分自身の座標軸を持っているからこそ強いのです。
人は変わり時代も変わるのに、
大衆の感覚からすると、
本当にいい世の中には一向にならないのはなぜでしょう。
by. 桜井章一氏
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時代や国が変わっても、
いつもメジャーな連中は悪いことをして、
社会には澱のように不安が溜まっていくからです。
メジャーの先端には誰かがいて、
「◯◯主義」というものをつくる。
いつも「主義」という頑固で頭の凝り固まった政策を取る輩が出てきて、
それがマルクスやレーニンになり、
毛沢東やヒトラーになる。
大衆というものは往々にしてメジャーな人間に世の中を預けてしまうからです。
by. 桜井章一氏
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なぜ預けてしまうかというと、
メジャーを崇める気持ちがあるからでしょう。
メジャー感覚しか持っていないことは、
結局、危険なことでもあるのです。
われわれはどんなに頭をフル回転して考えても、
実際に身体に食べ物を入れなくては死んでしまう生き物です。
ほとんどの仕事は偉くなったり出世したりすると現場から遠ざかって、
現場感覚は鈍っていきます。
by. 桜井章一氏
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本当は偉い人ほど現場を見て、
現状をしっかりと把握しなければならないのに、
なぜかそういうことはしない。
現場にいる人に任せっきりにして、
さらに感謝もしないのです。
私は現場にいる人にこそ感謝して、
大切にしなければならないと思う。
現場にいることが何より楽しい私からしたら、
現場に行かないのは不思議なことです。
by. 桜井章一氏
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現場にいることが重要なのは仕事に限ったことではなく、
遊びや人生経験、
人間関係の上でもそうです。
生の現場にいて経験し、
実感を得ることがとても大事なのです。
現場というのは一次で、
それを聞いたり読んだりしている人は二次の情報を持っているに過ぎません。
お手軽なほうを選ぶのがメジャー感覚で、
面倒なほうを選ぶのがマイナー感覚なのでしょう。
by. 桜井章一氏
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何事も第一次の現場感覚で知るのではなくて、
第二次、第三次の「知識」というものだけで伝えよう、
知ろうというスタンスです。
しかしながら、知識もある程度ありつつ、
なおかつ自分の身体を使って学ばないと、
本当の理解というものはできません。
実際現場にいないと、
現場の面白さ、楽しさ、大変さ、
いろんなことを含めて、
分からないことが多分にあるわけです。
スポーツでも情報として持っているのと、
実際に自分がやってみるのとでは全然違います。
by. 桜井章一氏
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その感覚の違いを知っていることが大事なのです。
そういう意味では、
「知」と「行動」のバランスを取ることがとても大切です。
「知」だけが肥大化して、
「行動」が伴わずにバランスが崩れると、
ウツ病などの心の病になりかねません。
しかし、「知」というメジャーが行き詰まりを見せ始めている今、
身体をフルに使った現場感覚や行動といったものの意義を、
再びとらえ直すタイミングにきているのだと思います。
by. 桜井章一氏
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これまでひたすら「人工的」「都会的」「便利」ということをもてはやしてきた人間にとって、
「不便」で「厳しい」自然は疎ましい存在でもありました。
すなわち、人間は自然をマイナー扱いしてきたわけです。
大切なことはエコのブームから一歩身を引いて、
当たり前の感覚で自然のために行動できるようになれるかどうか。
それがしなやかな強さを持つマイナー感覚のエコです。
by. 桜井章一氏
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