「利を急いで来る友は、利を急いで去る」という言葉があります。私は「よく遊び、よく遊び、また遊び、それで、ちょっと学べ」くらいの感覚でちょうどいいと思う

■マイナー力 ~「負け」が「勝ち」になる生き方~ -竹書房-

「利を急いで来る友は、利を急いで去る」という言葉があります。私は「よく遊び、よく遊び、また遊び、それで、ちょっと学べ」くらいの感覚でちょうどいいと思う

メジャー感覚の強い人は、
功なり名を遂げた人が好きです。

相手がマイナーな存在のときは、
かばってあげたい気持ちがあるし、
場合によっては身体を張ってでも守ってあげようという思いもある。

私は生涯の大半、
そしてこれからの残りの生涯をも麻雀に賭けている。

マイナーなところにどっぷりと身を置いて、
その中でずっとお稽古しているような人生です。


by. 桜井章一氏

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「利を急いで来る友は、利を急いで去る」という言葉があります。

人は何かしらの利があるから寄って来る。

だけど向こう側にもっと利があれば、
あっさりとそっちに向かって去って行ってしまうという意味です。

人間関係はギブアンドテイクなどとよく言いますが、
基本的には「与えたからには返してもらうぞ」という側面がある。


by. 桜井章一氏

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しかし、だからこそ私は「利がない」人間のほうに引きつけられるのです。

そして、メジャーな存在で「利がありそう」な人とはあまり触れ合いたくない。

どうにも、そのほうがいいと私の感覚が言うのです。

しかし割を食っても、
その中でどうにかして凌いでいくことが、
自分にとってまた面白い遊びなのです。


by. 桜井章一氏

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仕事なんてものは、
遊び半分でやったほうがいい。

子どものときは、
みんな「よく遊び、よく学べ」と言われたはずです。

しかし、私は「よく遊び、よく遊び、また遊び、それで、ちょっと学べ」くらいの感覚でちょうどいいと思う。

なぜなら、仕事や学びというものは、
「遊びながら学ぶ」ことが大事だからです。


by. 桜井章一氏

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遊びの中にこそ、
学びの種があるのです。

それを仕事漬け、
勉強漬けにしてしまったら、
学べることも学べなくなってしまう。

現代社会は、数字に支配されています。

何でも数字で表す感覚というものが、
空気のように浸透しているわけです。


by. 桜井章一氏

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つまり、数値化して何かを表現するというのはメジャーな感覚です。

しかし、私は数字ほどあてにならないものはないと思うのです。

単に「イエスと思う人が多かった」という結論でいいはずなのに、
「多かったのだからイエスは正しい意見である」と思われてしまう。

本当はたった一人、
ノーと行った人の意見が正しいかもしれないのに、
そう流されてしまうのです。


by. 桜井章一氏

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数字の怖さはそういうところにあります。

人生は、確証がないからこそ不安や迷いと戦いながら、
自分の生き様を見つけていかなければならない。

でも、それはあまりに大変な作業なので、
つい数字という明確な表現に頼っていきたくなるのかもしれません。

結果、何かあったときに融通が効かないとか、
臨機応変に対応できない人間をたくさん生み出すことになる。


by. 桜井章一氏

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また、「数字=万能」だという感覚を持った人が社会へ出ると、
「どんな手段を使っても、数字という結果を出せばOK」
という汚い手段をもいとわない人間になってしまったりする。

そのうち仕事だけでなく、
人間関係における愛や優しさといった、
数字では計れないものまで点数で考えるようになってしまう。

数字至上主義は伝染します。

結局のところ、数字を追いかけ、
それを目標にするという生き方や仕事のやり方から、
どういう距離を置くか、
そのセンス次第で人生の厚みは大きく変わると思う。


by. 桜井章一氏

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たとえば、そのセンスの一つに「だいたい」という感覚があります。
数というものは、「だいたい」でいいのです。

数というのはあくまでも目安であって、
あまりにも執着し過ぎると人間の形を失っていきます。

「だいたい」の感覚は、
そんな数字至上主義の風潮から適度な距離を取るいい手段なのです。

新聞やテレビ、
もしくはインターネットに溢れている情報は、
誰かが媒介しています。


by. 桜井章一氏

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一見、たとえ真実だと思われるような新聞やテレビのニュース情報も、
誰かが媒介している以上、
本当のところは分からない。

われわれは、
ニュースの裏にあるものを感じ取らなくてはいけない。

逆に、われわれが現実に体験する一次的な情報は、
自分の目が狂わない限り、
かなり正確なものがあります。

たとえば、私はほぼ毎日雀鬼会の道場生と顔を合わせていますが、
そのときに相手の顔色、
動作からも情報は読み取れる。


by. 桜井章一氏

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こうして人と向き合って、
言葉を超えたレベルで得られる情報が、
マイナーな一次的な情報です。

そんな生の一次的な感覚を磨いていくことで、
マスコミやインターネットなどの加工された二次情報に惑わされていくのを防げるのです。

私の場合はすべてにおいて、
知識や情報より感覚が優先されます。

技の名前すら知らないのに、
どういうふうに動けばいいか、
どういうところにスキがあるのか、
感覚でなんとなく分かるのです。


by. 桜井章一氏

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相手の動きを見ていれば、
身体の場所が分かってしまう。

つまり、「知識や情報がないからこそできることがある」ということです。

きっと「感覚」というものは、
普段から情報にとらわれない生き方をしていないと、
上手く働かないものなのでしょう。

試合がどういう流れになるかも、
「今日は荒れるな」とか「小さくまとまるだろうな」
という感じで見えてきたりします。


by. 桜井章一氏

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これは、選手のいろいろな情報を聞いて分析して出てきた予想ではありません。

勘と本能で分かるだけなのです。
こういうことは、情報にとらわれているともうダメです。

一つ付け加えると、
「勘」や「本能」といった「感覚」は、
いわゆる「感性」とは違います。

「感性」というものは誰もが持っているものです。


by. 桜井章一氏

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センスであったり、
資質であったり、
能力であったりと、
生まれたときに持ち合わせた性格の一つの種類のようなもの。

でも、私が言う「感覚」というものは、
もっと深いところに根っ子があるものです。

先祖に遡り、
もっと原始的なものに遡って見つけられるようなものなのです。

持って生まれた以前にあるものなら、
意識して使うというものとはちょっと違います。


by. 桜井章一氏

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