■ 図解 雀鬼流「運に選ばれる」法則76 ―運とツキに好かれる人になる -宝島社-
勝負事の最中に訪れる潮目は、大逆転に向けての足掛かりなのである。私の言う「見つける力」とは、世の中のあらゆる物事の中からいいものを自分から積極的に吸収していくことを意味している
この世が晴れの日ばかりでなく雨の日もあるように、
勝負事でも優勢がずっと続いたり、
もしくは劣勢がずっと続いたりすることはない。
人それぞれに、
その瞬間、瞬間で運量(運の量)が変化している。
勝負事をしている時、
序盤は運量の勝っている人が優勢となる。
しかし運量は刻々と変化していくものだから、
その流れが変わる潮目が必ず訪れる。
by. 桜井章一氏
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運量が相手より劣っているとしても、
慌てる必要はないのだ。
潮目が来るまでじっと耐え、
潮目が来たと感じたらその瞬間を逃さず的確にとらえればいい。
潮目では相手の運量とこちらの運量がスッとすり替わる。
相手との運量の差があまりに違いすぎると勝負を下りてしまうような人もいるようだが、
相手との運量が2:8、
あるいは1:9になろうとも、
勝負をあきらめてはいけない。
by. 桜井章一氏
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勝負事の最中に訪れる潮目は、
大逆転に向けての足掛かりなのである。
自分が有利な状況だとしても、
潮目は必ず訪れる。
その時にどれだけ相手に流れる運量を最小限に抑えるか。
そこが勝負の肝なのだ。
運を自らのもとに呼び込むには、
受け身ではなく、
自発的にいろいろなことをしていかなければならないのだ。
by. 桜井章一氏
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では、受け身の生き方を改めるにはどうしたらよいのか。
それには「見つける力」を磨いていくしか方法はない。
私の言う「見つける力」とは、
世の中のあらゆる物事の中からいいものを自分から積極的に吸収していくことを意味している。
いいものを探していく中で「悪いもの」をつかんでしまうこともあるだろう。
そんな時には、
いいものだけを自分の中に残し、
悪いものは捨てていく。
by. 桜井章一氏
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それが「見つける力」であり、
その力を磨いていくことで、
あなたと運の距離は確実に短くなっていくはずだ。
しかしいくらパソコンから知識を得たとしても、
それは「見つける力」には何の役にも立たない。
簡単に手に入れたもの、
他の人にお膳立てされたものから
「自分にとっていいもの」
を見つけることはなかなか難しい。
仮に見つけることができたとしても、
それが運に結びつくことは滅多にないだろう。
by. 桜井章一氏
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「見つける力」を育む上で大切なのは、
自分で動き、自分の体で感じようとすることだ。
現代社会にあふれている知識やマニュアルにどっぷりと浸かっているようでは、
運は決して巡って来ないのである。
この世には流れというものが存在し、
その変化を読みながら生きていくことが結果として運を招くことにもつながる。
しかしながら、人類は一方的にこの流れを遮断することで文明を進化させてきた。
by. 桜井章一氏
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それが「進歩」であると信じ、
海を埋め立て、
川の流れを変え、
山を削り、
自然の流れを断ち切って生きてきた。
自然界の流れを遮断してきた人類に待っているものはなんなのだろうか。
このままでは人類が全体として運から見放されることになる。
そうならないためにも、
ひとりひとりが自然との調和、
共生を意識し、
流れや変化を読み取って生きていくべきなのだ。
by. 桜井章一氏
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「偶然の運」というのは、
自らが何らかの行動を起こすことによって招き入れられるものではないのだ。
この私も、どうがんばっても思い通りに
「偶然の運」を呼び込むことなどできない。
本人の生きざま、姿勢にかかわらず、
ふいに訪れることがあるのが
「偶然の運」なのである。
私が言及しているのは
「必然の運」についてである。
by. 桜井章一氏
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「必然の運」は普段の生活や意識の持ちようによって、
誰もが呼び込むことができる。
しかし、現代社会で五感を閉ざして生きている人たちは
「必然の運」がすぐそばまでやって来ているのにそれに気付かず、
みすみす運を逃してしまっている。
確率が限りなくゼロに等しい「偶然の運」
に頼っても人生が開けることはない。
人生をよりよいもの、
より豊かなものにしてくれるのは
「必然の運」なのである。
by. 桜井章一氏
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「運」というのは常に動いている。
だからあなたのもとに運がやって来たとしても、
その後あっという間に去っていってしまう。
せっかく運が巡ってきたのに、
そこで考えたり悩んだりしているようでは
「運」を手にすることはできない。
運をつかむには、
巡ってきてくれた運に間に合わせる必要があるのだ。
by. 桜井章一氏
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瞬間的に訪れる運をものにするには、
「感じる力」を磨くことが一番だ。
その瞬間、その瞬間に感じたものから判断を下す。
世の中の多くの人は
「間違えたくない」「損をしたくない」
そんな思いから自らの情報や知識に頼り、
長考に長考を重ねる。
いや、寧ろながく考えれば考えるほど、
結果は悪いほうに出ることが多い。
by. 桜井章一氏
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そう考えると、
情報や知識というものは、
人間の直感を曇らせる霧のような存在なのかもしれない。
そもそも「感じる力」というのは、
もともとすべての人間に備わっていた大切な機能であったはずだ。
そういった生きる上での大切な感覚を、
人間は文明の発達とともに失ってしまった。
だから雀鬼会ではそんな失われてしまった力を呼び覚ますために、
「間違えてもいいからとにかく一秒で打て」
と教えている。
by. 桜井章一氏
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運を呼び込むには、
情報に頼らない瞬時の判断力、
つまり「瞬間力」が何よりも必要なのだ。
日々の暮らしの中でちょっとしたことに気を付けていくだけで、
「感じる力」は徐々に蘇ってくる。
一番簡単な方法は「違和感を感じる」ようにすることだ。
これらの人々
(大音量の音楽を聴いている人、
座席で化粧をしている人、
3人掛けの席をふたりで占拠してしまっている人)
は私からみればとても違和感を感じる人たちなのだが、
多くの人は見て見ぬふり。
by. 桜井章一氏
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もちろん違和感を感じている人もいるだろうが、
多くの人はそんな風景に慣れっこになっているのか、
あるいは煩わしさから感じる感覚を閉ざしてしまっているのか、
とにかく「感じる力」を自ら鈍感にしているように感じる。
情報や知識というものも、
違和感を感じる力を鈍らせてしまうひとつの要因となる。
自分にとってそれが「気持ちいいもの」
なのか「気分を悪くするもの」なのか。
人間誰もが持っている基本的なこの感覚を蔑ろにすると、
違和感を感じる力も減ってくる。
私は違和感のある体験をするとしばらく気をつけようと思うし、
気分のいいことに出会うとしばらくいい流れにあると判断している。
普段の何気ない、
些細な事柄から違和感を感じるようにしていく。
それが「感じる力」を磨く最初のステップとなるはずだ。
by. 桜井章一氏
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