■20年間無敗の雀鬼が明かす 「勝負哲学」 -三笠書房-
「実を咲かせよう」と思い直すべきなのだ。強くなるためには「心」が大事だということ。大自然に学び、大自然に力を授かるということ
じゃあ、役に立つのは何かと言えば、
それは「実」である。
あるいは「葉」である。
自然の中に木が生えている。
小さな実がなると、
それを小鳥が食べる。
大きな実がなると、
それを動物が食べる。
by. 桜井章一氏
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鳥や動物が糞をすると、
それが土の栄養となる。
葉もまた土に還って養分となる。
そうやって循環して生命の源となるのが実であり葉なのである。
ところが、人々はパーッと咲く花に目を奪われ、
心を奪われる。
by. 桜井章一氏
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実や葉を見ずに、
花という名の幻想ばかり追い求めるのだ。
しっかりと実も葉もあって、
そこに花があるならまだいい。
ブランド品も花である。
花のある教育や行政ではなく、
実と葉のある教育や行政をつくろうとしなければいけないのだ。
by. 桜井章一氏
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花ばかり求めていると、
人はたとえ成功をしようが失敗をしようが等しく自信が持てない。
それは、自分自身をふりかえったときにどこにも見も葉もないからである。
みんな花がある人間になることを出世や成功だと思っている。
「ひと花咲かせてやるぞ」
と意気込んでいる。
by. 桜井章一氏
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しかし、それは違う。
「実を咲かせよう」
と思い直すべきなのだ。
強くなるためには「心」が大事だということ。
大自然に学び、
大自然に力を授かるということ。
by. 桜井章一氏
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「人間が相手であればどんな動きでも予測できる。
けれども、自然の中にあるものの動きは予測がつかない」
ヒクソンはそう言う。
日本と比べれば貧しいが、
はっきりとした生活観があり、
そこで育んだ命はひとつひとつが生き生きとしている。
どっちの顔が生き生きしているか。
どっちの命が輝いているか。
by. 桜井章一氏
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「なぜ、この子は弱いんだろう」
「なぜ、この子は手順をはずしてしまうのだろう」
「この子はいったい、何を怖れて、
こういうことをするのだろう」
彼ら(道場の子たち)とのふれあいの中で、
私はいつもそういうことを感じさせられる。
そして、彼らを少しでも強い人間にしてあげたい、
彼らを少しでも多く楽しませてあげたい。
そう思えば、
私の体験や「気づき」を通して導き出されたものを、
彼らにわかりやすい言葉にして伝えていかなければならない。
by. 桜井章一氏
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そういう中から出てきたものが雀鬼流の言葉のひとつひとつだと言ってもいい。
同時に、勝負の世界から身を引いた私が常に自分を律していられるのは、
彼らの存在があるからでもある。
しかし、私から何かを学ぼうとしている若者たちがたくさんいる以上、
私自身が強い人間であらねばならない。
言葉だけでなく、
私自身がそれを実践して生きている姿を彼らが見ればこそ、
彼らも何かを学んでいくのである。
by. 桜井章一氏
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それでも、待っていてくれた彼らを相手にそんなことは言っていられないし、
それを言い訳にいいかげんな麻雀を打つわけにはいかない。
これは、障害が多ければ多いほど、
一生懸命やろうとするから、
余計に勝ってしまうということなのだ。
目は見えなくても、
苦痛が多くても、
いや、それだからこそ余計にさえている状態なのである。
彼らに向けて、
「強いというのはどういうことか」
「強い人間になるためにはどうすればいいのか」
を示し続けること。
by. 桜井章一氏
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それが私にできる「オヤジの仕事」
のもっとも大切なことなのだ。
なぜ人々は迷っているのか、
なぜみんな「強くなるにはこうすればいい」
「勝負に勝つためにはこうすればいい」
という鉄則と反対のことばかりするのか、
それに気づいてほしいのだ。
そして、その答えも実践方法も、
実はこの本の中に書いてきたように、
身近なところにあるということを知ってほしいと思っている。
by. 桜井章一氏
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■ 図解 雀鬼流「運に選ばれる」法則76 ―運とツキに好かれる人になる -宝島社-
私のまわりにも、
本書を読んでいるあなたのまわりにも、
運やツキはフワフワと流れに乗って漂っているのだ。
この世のありとあらゆるものが、
常に変化し、流れている。
すべてが変化し、
流れながらそれぞれの生を全うしている。
心と体、その両方の変化を続けながら人は生きている。
by. 桜井章一氏
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あらゆるもんぼが流れているのと同様に、
運やツキといったものも常に移動を続けながら流れている。
「運をつかむ」と表現したりすることがあるが、
運はこちらからつかみ取りに行くようなものではない。
運もツキも常に目まぐるしく動き回っている。
そしてある時ふいに、
ペタッと人間にくっついてくる。
by. 桜井章一氏
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運やツキを自分のものにできるか否か。
それはくっついてきた運を感じ取れるかどうか、
そこにかかっている。
しかし、利便性を追求するあまり、
私から見ると現代に生きる人々は感じる力を自ら衰退させてしまっているような気がしてならない。
五感を使わなければ感じる力も鈍っていく。
by. 桜井章一氏
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そんな廃れてしまった感覚では、
当然のことながら運やツキといったものを感じることはできないだろう。
勝負事の中では、
運やツキのみならず、
勝ちも負けも、
あらゆるものが目まぐるしく動き回っている。
そんなさまざまな流れが交わるなかで、
いかに変化を感じ取るか。
それが勝敗を分ける鍵となる。
本当の強さとは、
感じる力を磨くことで育まれていくものなのだ。
by. 桜井章一氏
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