■突破力 -講談社-
「律する」というのと
「ガマンする」というのは違います。
自分の意思で能動的に自己を抑制するのが
「律する」ということで、
他人からいわれたからとか、
世の中の常識に反するからといった理由で受動的に自己を押し殺すのが
「ガマンする」ということです。
ガマンはよくないと思います。
ガマンが蓄積されると、
いつか爆発しますから。
by. 桜井章一氏
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私はむしろ、男らしさや女らしさというのは必要なことだし、
とても大切なことだと思います。
私は男ですが、
男らしく生きることによって人生は二倍楽しめると思っています。
人間として生きて一倍、
男として男らしく生きれば二倍、
ということです。
by. 桜井章一氏
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たしかに、男らしく生きようとすると、
たいへんなこともたくさんあります。
でも、たいへんだからこそ楽しいのです。
「らしさ」というのは責任のことでもあるのです。
それぞれの立場から逃げずに、
その立場を全うすることなのです。
そういうと堅苦しく思われるかもしれませんが、
実際は「らしさ」を無視した生き方よりも、
充実した結果と喜びが得られるのです。
by. 桜井章一氏
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夢をもつことはとても大切ですが、
実際期待はしないほうがいいと思います。
努力をすると期待してしまうものですが、
必ずしも報われるものではありません。
期待をしすぎて、
努力したのに報われないと、
周囲の環境のせいにしたり、
他人のせいにしたり、
きっとロクなことにはなりません。
by. 桜井章一氏
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夢も大きすぎると問題です。
大きすぎると、
実現は困難なわけですから、
なおさら期待などしてはいけません。
現実感のない夢は妄想にすぎない。
いっぺんに全部をやるのはたいへんなのだから、
自分のできることからやっていけばいいのです。
目先のことを先延ばしせず、
あるいは人まかせにしないで、
自分でコツコツひとつひとつやっていくことが大切だということです。
by. 桜井章一氏
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社会に期待したり、
政治に期待したり、
いつか誰かがやってくれると考えるのは、
依存心にほかなりません。
「期待」はよくない、
というのはそういうことです。
そんなところからは、
たぶん何も生まれてこないと思います。
by. 桜井章一氏
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若い人たちにはいつも、
「夢は小さくもて」
といっています。
小さな夢に向かって、
いま自分ができることをコツコツと誠実にやっていく。
そうやって、その小さな夢が実現したら、
次の小さな夢をもって、
そこに向かって、
またコツコツやって、
だんだんと大きな夢に向かって
歩いていけばいいのです。
by. 桜井章一氏
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人間というのは、
「守り」に入ったら弱いものです。
しかし、「守る」ではなく
「護る」だったらどうでしょう。
実は私は、この「護る」こそ、
万能の言葉だと思っているのです。
「護る」という言葉には、
もっと全体感があります。
ただ本能に従って自分の大切なもののために行動する。
それが「護る」です。
自分の身を「守る」ためだと怖いことも、
何か大切なものを「護る」ためなら怖くない。
だから「護る」は万能の言葉なのです。
by. 桜井章一氏
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挫折のなかにこそ学びがあるのです。
本当は自分に問題があるのに、
思いどおりにいかない状況のほうに問題があるのだと
考えてしまうのです。
そう考えたとたんに、
その人は不幸になるのです。
挫折があればあるほどいい、
などとはいいません。
少なくとも挫折を感じることができて、
そこから自分に足りないことを見つけることができて、
また一からやり直そうと思えれば、
それはとても幸せなことだと思うのです。
by. 桜井章一氏
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肉体的な痛みもあるし、
精神的な痛みもあります。
自らが感じる痛みもあるし、
他人が感じる痛みもあります。
肉体的な痛みでいえば、これは人間にとっては、
ひとつの戒めだと思います。
身体のどこかが痛くなったら、
それは身体が発する危険信号です。
どこかやはり生活習慣が間違っているぞ、
という戒めです。
by. 桜井章一氏
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必要なものは、
いつも「情」なのです。
(あ、この子の心の痛みは、過去の痛みだな)
と感じられることがよくあります。
子どものときに痛めつけられた心のキズなのです。
忘れたいから忘れたつもりになっているだけで、
その子にとっては、
それこそが心に突き刺さったトゲなのです。
by. 桜井章一氏
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大事なことは、
自分で自分の痛みに気がつくということなのです。
自分の心の痛みに気がついて、
ちゃんと真正面から知ってそれを直そうとする気持ちがあれば、
心の痛みもいつかはきっと癒えると思うのです。
そして、自分の心の痛みを知れば、
同時に他人の心の痛みにも気がつくようになるはずです。
他人の痛みを知るということが、
正しく生きていくうえでとても大切なことだと私は思います。
by. 桜井章一氏
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勝ちさえすれば、
その経過や手段はどうでもいいと考える彼らの価値観は、
あきらかに間違っています。
世の中には「きれいな負け方」
というものがあります。
そんなものは、
おそらく彼らにとっては無価値でしょうが、
しかし、私から見れば「手段を選ばず勝つ」ことよりも、
ずっと大きな価値があるのです。
姑息な価値を拾いにいく人よりも、
きれいに負けることのできる度量をもった人のほうへ、
運の波は最終的に多く訪れるものです。
価値観のあり方を見誤ったところへは、
決して運は向かないのです。
by. 桜井章一氏
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たしかにいまの世の中、
煩わしいことだらけです。
しかし、残念ながら、
そんな世の中に生きているということが、
いまの現実なのです。
現実を無視して生きることなど、
誰にもできません。
煩わしい現実をかたくなに無視したり、
そこから逃避しようとするから、
うまくいかないのです。
むしろ、煩わしさも何もかも含めて、
世の中の現実という波にうまく乗っていけばいいのです。
by. 桜井章一氏
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どんな善人でも、
すべて「善」だけという人はまず、いません。
つまり、人間は、誰でも「善」と「悪」の
両方をもっています。
「悪」の部分があって「悪」を知っているからこそ、
「あ、これは悪いことだから、やってはいけない」
と、気づくことができるのです。
by. 桜井章一氏
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