■運命を変える 本物の言葉 -ゴマブックス-
自然の感性を磨いていれば、本能で解決策が見出だせることもあります。まず気持ちのいいしぐさがあれば、心はちゃんとあとからついてくるので
みんな一様にメールを打ったり、
ゲームをしたりで、
完全に自分ひとりの世界に埋没しているのです。
おたがいの顔をあわせて、
自分の弱点をさらけ出し、
相手のことを理解しようとする、
それが本当の人づきあいというものですし、
それが人間を成長させる原動力です。
もともと仏陀の思想は、
「どうか、死んだあとのことは何も考えないでくれ」
ということだったはずです。
あるいは、
「死んだ自分を敬ったりなんかしないでくれよ」
というようなことだったはずです。
by. 桜井章一氏
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別に遺骨が道を説いたり、
救ってくれるわけではないのにです。
骨といっても、
本当は塵みたいなものですから、
ただ自然に還せば、
それがいちばんいいのです。
先祖を敬う気持ちは当然大切なのですが、
敬うのは人ですか、
モノですか。
水もまた土に還るのです。
by. 桜井章一氏
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自然感覚からしても水と土は相性がいいので、
水をかけることで、
無意識に自然の循環を感じとることもできると思います。
根拠があやふやなもの、
自然の感覚と違和感があるものは、
まず疑うべきです。
死者は何も語ることはできません。
しかし、弱者を痛めつける行為は、
人の道に反するものです。
by. 桜井章一氏
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必ず負かすことができる相手だけを選び、
悪気で弱者を虐げる行為など人間の倫理に欠けています。
実に汚らしいやり方です。
こういう人は、
自分自身の悪い心に負け続けているのです。
開き直りの精神というものは、
本当はもう打つ手がない状態のことです。
by. 桜井章一氏
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本当に強い人は最後まであきらめないのです。
開き直ったりはしないのです。
どんなに崖っぷちに追い込まれても、
正面から敢然と困難に向き合うことができれば、
肝もすわります。
自然の感性を磨いていれば、
本能で解決策が見出だせることもあります。
最後まであきらめなければ、
突破の糸口は必ず見つかるものなのです。
by. 桜井章一氏
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しかし、これを100パーセントの力ではなく、
80パーセントの力だと考えたらどうでしょう。
まだ20パーセントも余力があります。
さらなる成長が望めて、
より強くなることができるのです。
常に完全主義でなければいけないと考える人は、
限界ギリギリまで頑張ることで、
無意識のうちに自らの可能性を自ら閉ざしてしまっているのかもしれません。
by. 桜井章一氏
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私は、勝利に関しても、
常に「腹八分目」の感覚がいいと思います。
余力のない完全主義では、
もうあとがありません。
意外なモロさが露呈する恐れもあります。
たとえ全力で頑張ったとしても、
「自分はまだ80パーセントの力しか出していない」
と自らに暗示をかけることで、
もっと上を目指すことが可能になるのです。
by. 桜井章一氏
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肉体的には100パーセントでも、
精神的には80パーセントだという感覚を持つことで、
次回もより高いハードルに挑戦することができるようになるのです。
かつて日本人が持っていた連帯感や、
共生の感覚はどこに行ってしまったのでしょう。
誰もが、他人より自分、
譲る気持ちより得ようとする気持ちばかり先行させています。
悪しき風潮のもとになった高度成長時代もバブルの時代も過去の話です。
by. 桜井章一氏
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若い人たちは、
その前の日本社会が持っていた美点を、
ぜひ学んで欲しいと思っています。
道路はクルマのもの、
といったドライバーの考えが、
「歩行者主体ですが、クルマも通してくださいね」
といった感覚になれば、
交通事故も少なくなるはずです。
クルマ好きの人のなかには、
クルマが生きがい、
といってはばからない人もいますが、
生きがいとは、モノでなく、
人に対して持つものではないでしょうか。
物質に対する価値観ばかりが強くなると、
価値観そのものまで物質化されてきて、
精神が歪んできます。
by. 桜井章一氏
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先にあなたの人格を相応にしてください。
子どもたちからしてみれば、
格好のいじめの材料(給食費を払わない)です。
つまり、間接的に親が自分の子どもいじめているのです。
そういうところ(経営者の集まるパーティ)に集まる人たちが実に下品だからです。
by. 桜井章一氏
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イエローハットの相談役の鍵山秀三郎さんはユーモアのある方で、
「上品でない人は、下品です。
中品というのはありませんから」
なとおっしゃるのですが、
まさにその通りだと思います。
そういうところに集まる人たちがなぜ下品かというと、
その人のなかに「欲」が見えるからです。
名誉欲や金銭欲出世欲が見えて、
人格などは、
まず感じられません。
江戸時代、武家の精神を尊んだように、
庶民は生活のなかで他人と接するときの立ち居振る舞いをしっかりと守ってきました。
by. 桜井章一氏
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いわゆる「江戸しぐさ」です。
町で暮らしていく上で、
こうしたしぐさが自然に出ない人は
「田舎者」であり、
粋とは呼ばれませんでした。
ぶつからずにすむような身体の動きができなくなっているから、
心のぶつかりあいや、
言葉のぶつかりあいが起こってしまうのです。
まず身体のほうから学んでいかないと、
身につかないしぐさといえるでしょう。
by. 桜井章一氏
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そして、そういったしぐさのできる身体ができてくれば、
自然と、
「心がいいな、気持ちのいいヤツだな」
という評価をされ、
ほかのマナーもあとからついてくるのです。
女性からの好意を得たいためにやるのでなく、
これ自体が粋な立ち居振る舞いだったのです。
こういうしぐさは、
マナーやルールといった理屈では語れません。
何かのためにこういうしぐさがあるのではなくて、
こういうしぐさをすることで、
他者への思いやりや気遣いといったものが、
自然とついてくるのです。
by. 桜井章一氏
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まず気持ちのいいしぐさがあれば、
心はちゃんとあとからついてくるのです。
昔から、私は流行にまったく関心がありませんでした。
そこには自分の意志がまったく感じられないからです。
10人中9人が、
「こっちに行きましょう」
といったら、
ひとりだけ反対のほうに行ってしまうのが私です。
周囲に流されるのは、嫌いなのです。
天邪鬼なのです。
by. 桜井章一氏
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