■人生を変える美しい勝ち方 -宝島社-
ぎりぎりの力というのは、日常の中でもしかるべき心構えや準備をやっておかないと出てこないものです。急所は防ぐのではなく、鍛錬して強くしていくべきなのです
ある勝負に勝ってそこで「終わり」と思うのも同じで、
「終わり」と思うことは次の勝負に向かう準備に甘さを作り、
負ける要素を増やすことになります。
つまり勝ちは、
「終わり」ではないということです。
そこには、たえず次の勝負の「始まり」があるだけなのです。
勝ち負けのはっきりしないものに勝負をかけている人は、
強いと思います。
by. 桜井章一氏
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そっちのほうが、
人間関係や仕事で勝ち負けを競っているやつよりもよほど強い。
ホンモノの勝負とは、
日常生活にたくさんある勝ち負けの明確でないものに勝負をかけることをいうのであって、
私がやってきた麻雀をはじめすでに勝敗のハッキリしている勝負はニセモノだと思います。
けれどもニセモノの勝負でも、
勝敗に対するこだわりを超えていい勝負をすることに主眼を置けば、
そこにホンモノの要素が入ってきます。
本当の勝負所というのは実は反対に相手が勝負をかけてきた時なのです。
by. 桜井章一氏
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相手の隙を見て勝負してやろうというのは勝負所でなく、
チャンスというべきです。
勝負所というのはさらにその上にあるのです。
そこにはリスクやハンデといったものがいろいろあるからです。
だから全身全霊でいかなければならない。
by. 桜井章一氏
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その時に勝負所を越えようとするぎりぎりの力が出てくるのです。
普段なら50キロしか持てないものが80キロ持てるという火事場の馬鹿力みたいなものが出てくれば、
立場がひっくり返るわけです。
不利な状況でもそこをしのいで勝つ。
けれども、それは普段から不利な時も逃げないで対処するという生活態度を持っていないと、
いざという時に対応出来ません。
by. 桜井章一氏
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私は、あえて不利なところから手立てを見つけて勝つという勝負を好んでやってきたところがあり、
それが勝負所の力を磨いてくれたのだと思います。
でもそんな時も向こうが多勢だとますます
「面白な、やってやろうじゃないか」
という気持ちになるのです。
相手が5人ともなれば、
こちらの分は一分もないといえる。
一方、相手は十分の確信でやってくる。
by. 桜井章一氏
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でもそれをひっくり返してしまう力が、
ぎりぎりのきわどいところで出てくるわけです。
こうしたぎりぎりの力というのは、
日常の中でもしかるべき心構えや準備をやっておかないと出てこないものです。
ともかく、身体を張った不利な条件でのケンカも麻雀の勝負も、
私にとっては大事なものを賭けた同じ真剣勝負だったのだと思います。
強い人にはしっかりした軸があります。
by. 桜井章一氏
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軸がしっかりしてなければ、
簡単に軸を奪われてしまうし、
相手の軸がどこにあるかわかりません。
軸がしっかり出来ていれば相手の軸もつかめます。
勝負というのは、
軸の取りっこです。
上手い人は自分の軸を相手に外させるし、
相手の軸を取ってバランスを崩しにいきます。
by. 桜井章一氏
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軸を取られれば、
強い軸の持ち主でも負けてしまいます。
スポーツでも仕事でも軸は、
なければそれそのものが成り立たなくなる決定的なものです。
勝負においては軸を奪うことが一番ですが、
その次に効果的なのは急所をとらえ攻めることです。
急所とはいうまでもなく弱い部分のことです。
by. 桜井章一氏
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軸は1本だけですが、
急所はいろいろなところに散っています。
軸を取れば瞬間にして勝負は決まりますが、
急所を攻めるのは大きな勝ち点を重ねていくようなものです。
弱い人も強い人も、
だいたい同じような急所を持っています。
しかし、弱い部分は自覚すれば、
鍛えて修正していけます。
急所は防ぐのではなく、
鍛錬して強くしていくべきなのです。
けれども私にとっては日常の過ごし方から自然と身につけたもので、
それほど不思議なことでもないのです。
by. 桜井章一氏
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喧嘩もさんざんしましたが、
これも一種の遊びのような感覚でやっていました。
そうやって幼い頃からさんざんやってきた遊びや喧嘩の中で、
自然と体のつかい方のコツのようなものをいつの間にか身につけたのだと思います。
身体からまったく力を抜いた状態にすることで、
相手にかかる重さが変わって動けなくなるのです。
無力な状態になる脱力とはまったく違う力の抜き方があるのです。
by. 桜井章一氏
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それはムダな力を取るということでもあります。
自分の中からムダな力を取り、
相手の力も取ってしまうのです。
相手が攻めてくる力を吸収してそれを相手にそのまま跳ね返すことが出来るのです。
つまり、力を抜くことで、
筋肉を使って出す力を凌ぐものが出てくるのです。
by. 桜井章一氏
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たんに力を失うだけの抜き方では軸が崩れます。
本当に力を抜くということは、
軸が立った状態でないと出来ないのです。
苦しいだけのことを我慢するには限界があります。
そういう我慢は時間との勝負なので、
どこかで折れてしまいます。
by. 桜井章一氏
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そうではなくて「耐える」ということは面白いんだ、
と思えれば、
事態は変わってきます。
耐えることが面白いと思えば、
「受身の忍耐」は「攻めの忍耐」に変わります。
ぎりぎりに追い詰められたところから、
感覚を研ぎ澄まして行く手を冷静に見つめる。
不利な状況をどこかで面白がる。
耐えながらも攻める気持ちを失わない。
by. 桜井章一氏
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そんなところから道は開けてきます。
その打者の素材によって試合の運命が変わるのですから、
監督はその人のイメージにとらわれず、
現状を正確に見極める必要があります。
私が打者なら、
こうした場面ではすべて強打でいってしまうと思います。
強打するほうがバントよりリスクが高いわけですが、
私にとってリスクは魅力的なもので、
それを乗り越えていく喜びがあります。
by. 桜井章一氏
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