■どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか? -講談社-
そういったシンプルで楽しかった時代に自分を戻すと、現代社会の矛盾や謀略、罠などいろんなことが見えてくる。体力、知力のみならず、能力、権力といったあらゆる力を疑ってかかる
しかし、素になることができれば生き方が楽になります。
素になるというのは自分に素直になるということです。
そのためにはまず、
自分をいつも等身大でとらえる感覚を持っていないといけません。
そうすれば自分のマイナス面が出てきてもそれをあえて隠そうとはしなくなる。
by. 桜井章一氏
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自分の中の弱い部分、
ダメな部分を公表したくなるのは、
そのほうが楽だからというわけではないんですね。
俺は強がって自分を誤魔化したり、
正当化したりするのが嫌なだけなのです。
自分を誤魔化すくらいならさらけ出して生きたほうがいい。
それが俺の生きざまでもあります。
by. 桜井章一氏
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でも俺は他人からほめられるほうが居心地が悪い。
自分を上に置くのでなく、
下に置く、
そんな気持ちでいるとちょうどバランスが取れるんですよ。
そういう道を自分で選び、
生きていた。
だから自分の気持ちを誤魔化すことなく、
その通りに生きていました。
by. 桜井章一氏
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野球だろうが相撲だろうが、
体を動かす遊びなら何でも負けはしませんでした。
私は免許や資格といった類のものとは一切縁のない生活をしてきました。
しかし、豊かになること、
発展すること、
広がることなど、
この世で”善し”とされる考え方には疑問を抱いているので、
自動車などなかったほうがよほど今よりいい社会だったのではないかと思ったりもします。
現代社会に合わせた、
いわゆる”大人の考え方”ではなく、
自分が子どもだった頃の考え方に自分を戻す。
by. 桜井章一氏
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そうすると複雑だと思っていた物事がとてもシンプルに見えてきます。
「子どもの頃はどんなふうだったろう?」
「子どものときならどのように感じたろう?」
そうやって子どもの頃の自分に今の自分を戻しながら表現したり、
行動したりしているんです。
それは子どもの頃の感覚に信頼を置いているわけではなく、
ただ単に子どもの頃の自分が好きだからです。
そういったシンプルで楽しかった時代に自分を戻すと、
現代社会の矛盾や謀略、
罠などいろんなことが見えてくる。
by. 桜井章一氏
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俺の体は”自然なもの”は受け入れるけど、
文明の利器と呼べるような新しいものには拒否反応を示します。
現代社会に欠かせない数々の電化製品は、
人間が利便性を追求した結果生み出したものです。
そしてそれらは自然界から見えれば
“不自然なもの”ばかりです。
そんな”不自然なもの”
に対しては条件反射のように拒否反応を示してしまうんですね。
by. 桜井章一氏
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ただ、便利な生活にどっぷり浸かってしまうと、
いろんなところに弊害が及ぶことを忘れないでほしいと思う。
パソコンのクセが体の動きを固くしてしまっている。
力めば人間の体は硬くなります。
体が硬くなれば、思考も固くなる。
現代社会に生きる人たちはみんな不必要に力むことで、
心身ともに固くなってしまっているんですよ。
by. 桜井章一氏
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俺は何事も力を入れたり、
力んだりしてやることはありません。
この世の中には体力、知力といった力の他に能力や権力などいろんな”力”が存在しますが、
どの”力”も信用していません。
“力”というものすべてを疑っています。
慣れるまではすごい力を入れなければできなかったのに、
慣れてきたらそれほど力まずにできるようになった。
by. 桜井章一氏
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そんな経験は誰にでもあると思いますが、
そうやって力を入れずにやるのが本来の人間の動きです。
現代人はがんばりすぎてみんな固くなってしまっています。
体力、知力のみならず、
能力、権力といったあらゆる力を疑ってかかる。
そうすることで自分がいかに不必要に力んでいたかが分かるんじゃないでしょうかね。
by. 桜井章一氏
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また、ふつうであれば自分が成長できたもの、
いいと思ったものは人に勧めるのでしょうが、
俺にはそんな感覚もあまりありません。
70歳を前にしてこんなことを言うのもおかしいですが、
彼らのように”健やか”に生きたいと思っています。
だんだんと乱暴な言葉や人を責めるような言葉も使うようになり、
“健やかさ”からどんどんと離れていってしまうのです。
でも、今の社会で生きる人間の”成長”は、
必ずしも”いいもの”ばかりではないと思います。
by. 桜井章一氏
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俺たち大人がくっつけてきたいろんな
“汚いもの”を彼らはまだ持っていない。
過去の嫌な記憶というのは誰でも持っているものでしょうが、
その記憶があまりに強くなりすぎるとそれは
“恐怖”となります。
恐怖がトラウマを作り、
トラウマに囚われた人は心の動きを止めてしまう。
トラウマを抱えた人は、
親から虐待を受けていた人だけでなく、
親が子に”いいもの”を与えていたつもりなのに、
その”いいもの”が”嫌なもの”として記憶に残っている人たちもたくさんいます。
by. 桜井章一氏
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愛されたことによってトラウマを抱えてしまう人がいることを忘れてはいけません。
子どもの頃に「親から認められたい」
という思いが強すぎた人は、
大人になってからも心身の動きがぎこちなかったりするものです。
与えるほうがよかれと思ってやっていたとしても、
受ける側がそれによって傷つくこともある。
社会では”愛”や”やさしさ”
といったものがことさら”いいもの”
のように思われていますが、
けっしてそんなことはありません。
by. 桜井章一氏
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雀鬼会の道場生たちと接していて
「こいつは過去の記憶に囚われているな」
というものを感じると、
その子が気分のよくなるような場を作ってやるようにしています。
そうすることで、
嫌な記憶から完全に解放してやることができなくても、
固くなった心を少しずつほぐしてやることはできる。
親や大人も、
自分が”いい”と思ったものでも、
それが子どもにとっては
“嫌な記憶”となってしまうことがあることを肝に銘じておくべきでしょう。
大人が子どもと接するとき、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
であることを忘れてはいけないでしょうね。
by. 桜井章一氏
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人の精神の柱のひとつに
“使命感”があります。
生まれたばかりの赤ちゃんに使命感はありませんが、
人は生きていく過程の中で使命感を持たされます。
人は使命感を生きる意味だと思いがちです。
使命感という言葉を直接使わないとしても、
人は”何らかの使命”を知らず知らずのうちに背負わされているのです。
by. 桜井章一氏
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