もしかしたら、「十のうち九(く)が苦」だから”苦”なのかもしれない。”本当の自分”なんてものは、誰もが生まれたときからずっと持っているもの

■どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか? -講談社-

もしかしたら、「十のうち九(く)が苦」だから”苦”なのかもしれない。”本当の自分”なんてものは、誰もが生まれたときからずっと持っているもの

人間には裏表があるように、
また善と悪が共存するように、
ポジティブとネガティブな面の両方を持っています。

ポジティブとネガティブ、
心がそのどちらか一方に偏ってしまえば人は心の病となります。

自分の中のうつ的要素を探してしまう人は、
自分のポジティブなところをまったく見ずに、
ネガティブなところだけを見ているにすぎないのです。

たとえば、戦争や食うや食わずの飢餓状況のとき、
人はまわりの状況をネガティブに眺めてうつうつとした気分に陥ったりするでしょうか。


by. 桜井章一氏

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そんな暇などありません。

どうやって生きていくか、
そのことだけを考えて行動する。

必死で生きようとしている人にうつが親しげにやってくることはありません。

子どもが怪我をしたとき、
それがたいした怪我ではないのに親が
「大変だ、大変だ」
と大騒ぎをしたら子どもは
「そうか、これは大変なんだ」
と思ってしまいます。


by. 桜井章一氏

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逆に子どもが「大怪我かも」
と思っているときに親が
「こんなのたいしたことないよ」
と言ってやれば子どもはそれだけで安心するし、
怪我というものに免疫がついてくる。

何か事が起こるとすぐに動じてしまう人が増えたのは、
何でも大騒ぎする社会の風潮が強く影響しています。

現代人は他から受ける体の傷、
心の傷にとても脆くなってしまったのです。

俺はこの世の中は楽しいことより、
苦しいことのほうが圧倒的に多いと思っています。


by. 桜井章一氏

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だから苦しいことが目の前に現れても、
それをただの”苦”とはとらえず、
“自分の成長させてくれる厳しいもの”
として接するようにしてきました。

人生において、
楽しいことばかりを求めていたらきっと生きることが嫌になってしまうでしょう。

もしかしたら、
「十のうち九(く)が苦」
だから”苦”なのかもしれない。

ただ、俺は先述したように
“苦”をただの”苦”とはとらえていません。


by. 桜井章一氏

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だから”苦”も楽しいことに変えることができます。

「ありがたい」という気持ちがたくさん起これば起こるほど、
自分は救われていきます。

嫌なこと、
苦しいことは身の回りにいくらでもあるけど、
「ありがたい」という感謝心があれば苦しみを薄めていける。

彼らから見れば俺は師匠の立場ですが、
ひとりひとりを見ると
「ああ、こいつは俺より優れてる」
と思える部分が必ずある。


by. 桜井章一氏

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彼らと日々触れ合う中でいろんなことを教えてもらっています。

だからこその「ありがたい」なのです。

“本当の自分”なんてものは、
誰もが生まれたときからずっと持っているもの。

だからべつに探す必要などどこにもないのです。


by. 桜井章一氏

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生まれたときにすでにすべての人間が
“自分”というものを持っていたわけです。

存在というものを。

だから、「自分を探す」
という行為自体は、
すでにある自分を否定していることになります。

否定しているから、
精神的には辛いし、
幸せではない。


by. 桜井章一氏

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“自分探し”というと響きは悪くないけど、
要は自分が嫌で仕方ないから現実から逃げようということでもあるわけです。

でも、自分が思い描くような立派な自分、
綺麗な自分なんて本当はどこにもないし、
なれるものではないと思っていたほうがいい。

しかし、今の社会では人の欲が深くなってしまうから、
多くの人が『舌切り雀』のおばあさんのように大きな葛籠を求めてしまうでしょう。

自分探しをするのは個人の自由ですが、
その前にまずは自分の”欲”というものと向き合ってみるほうがいいんじゃないでしょうか。


by. 桜井章一氏

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欲とはすなわち自我の根っこの姿ですから、
欲をとっかかりにしたほうが、
シンプルかつ柔軟に生き方について考えられる。

そのほうがきっと気持ちのいい人生につながっていくはずです。

人それぞれが個性を持っているように、
誰にでも生まれ持った”天性”というものがあります。

天性は後から学んだものでも、
よかれと思って後から作ったものでもなく、
自然に身に付いているものです。


by. 桜井章一氏

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それは捨て難いものであって、
それが人の存在、
あるいは”我”というものになるのかもしれません。

人が自殺という手段を選ぶのは、
何も苦労したとか、
嫌な思いをしたからとか、
それだけではないと思います。

自我というのは考えれば考えるほど重くなるもの。

その重たさがしんどくなれば、
誰でも自我を手離したくなることはありえます。


by. 桜井章一氏

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それが「死にたい」
という思いになる。

生と死の間にあるのは薄氷のように頼りないものかもしれません。

“命”を自分のものだと思っていれば
「この命をどう扱ったっていいだろ」
という気持ちになってしまうかもしれませんが、
この命は貰ったもの、
授かったものです。

すなわち自然の恵みである命を可能な限り持続させていく。


by. 桜井章一氏

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それが生き物としての務めだと思います。

そして、人はこの生の連続性に思いを馳せるとき、
生が本来持っているしなやかな強さというものに気付くのではないでしょうか。

教科書やマニュアルというものに小さい頃からどっぷりと浸かってきたからでしょう。

若い人たちは何かあるとすぐそこに
「答え」や「型」といったものがあると思ってしまう。


by. 桜井章一氏

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でも、決まった形を追い求めているようでは、
たき火はいつまで経ってもつけられません。

答えとは”決まった形” “定まった形”です。

答えのない人生を歩む上で、
“決まった形”を求めて生きていたら当ての外れることばかりで、
それこそ身動きがとれなくなってしまう。

“決まった形”の中にいると、
一見安心できる。


by. 桜井章一氏

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でも実際は逆です。

みなさんはそうやって”決まった形”
を求めることで自分自身を不自由にしてしまっているのです。

“決まった形” “定まった形”
に囚われることなく、
その都度、
自分なりの変化していく「答え」
を見つければいいと思います。

そのほうが人生は断然面白い。


by. 桜井章一氏

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