■どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか? -講談社-
自分を利することもない人の小さなことにも目を向け、それを大事にする。物事の真理は、疑うことで初めて見えてくるものなのである
血がつながっているから関係性が必然的に濃い、
ということにはけっしてならない。
血というものは思っているほど意味のあるものではないのでしょう。
たとえ好きな異性であっても
「こいつといつも一緒にいたいな」
という気持ちはなかなか起こってこないものですが、
道場生たちにはそれを感じます。
俺はそんな環境にいられることに感謝していますし、
道場生たちにももちろんいつも感謝の気持ちを持って接しています。
by. 桜井章一氏
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人は誰だって生きていれば嫌なことのひとつやふたつはあるものですが、
彼が嫌な顔をしているところを見たことがありません。
人間の心の形成には、
育った環境が色濃く反映されます。
環境ひとつで心の有り様がガラリと変わるように、
環境は心理に大きな影響を及ぼします。
親が醸しだす”生活感”
にいいも悪いもありません。
by. 桜井章一氏
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何かにしがみついてでも生きていく姿勢が子どもに受け継がれ、
それが生きていく強さとして身に付いていくものなのです。
日々の生活から生活感が失われれば、
男も女も関係なく、
人間として弱くなっていくばかりです。
でもそれ以上に”豊かさ”
にも弊害がある。
小さなものを貸し借りするのではなく、
人を押し退けてでも大きいものを得ようとしているのが現代社会のあり方です。
by. 桜井章一氏
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便利と利用ばかりの人間関係には感謝心もなければ、
ありがたみも生まれようがありません。
自分を利することもない人の小さなことにも目を向け、
それを大事にする。
得か損かと計算することをやめ、
人同士の思いが通じることに喜びを感じる。
そんな日々の積み重ねがいい人生を作っていくんだと思います。
by. 桜井章一氏
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同じひと言であっても、
本当に気持ちの入った言葉は相手に響きます。
気持ちの入った言葉というのは心にすっと入っていくものです。
もっとも届かないのは、
体験を伴いわないただの知識から発せられた言葉です。
でも、世の中を動かしているのはインターネットではなく、
やはり生の人と人のつながりです。
by. 桜井章一氏
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それを忘れてはいけないと思います。
話して分かるということは、
そう簡単なことではない。
“言葉”というものを全面的に信頼するのではなく、
言葉にもいろんな面があるということを理解していれば、
誰かの発したひと言によって傷ついたり、
落ち込んだりすることも減っていくはずです。
一番大切なのは、
相手の心に入っていく
“生きた言葉”を発すること。
熱というものが手から手へ伝わっていくように、
言葉に込めた本当の思いは相手に伝わっていきます。
by. 桜井章一氏
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■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-
『渡る世間は鬼ばかり』
というテレビドラマがあったが、
確かにこの世に存在するのは”神”
ではなく”鬼”ばかりである。
『蜘蛛の糸』は人間のエゴイズムを見事に表している。
自分だけ救われたい、
自分だけよければいい。
神のいる世界が”表”とするならば、
鬼や悪魔のいる世界は”裏”である。
by. 桜井章一氏
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表の世界だけで生きているとその裏側はなかなか見えないものだが、
裏から見ると表も裏も一目瞭然である。
私は昔から世の中で正義や善とされるもの、
あるいは当たり前とされるものほど疑いを持って接してきた。
宗教を信じている人たちにとって
“神”は絶対的な存在である。
しかし、私はそんな”神”ですらも疑っている。
by. 桜井章一氏
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でも、だからこそ私は自分の言っていることで彼ら(道場生)を洗脳することがないように気をつけて接している。
私の言っていることは宗教でもなければ哲学でもないし、
思想でもない。
宗教や政治といったものが時に大暴走してしまうのは、
群集の心理が操りやすいものだからに他ならない。
私は常にフワッと流れるように、
自然のままに生きていたいのだ。
by. 桜井章一氏
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私はみなさんにも、
自分を固定するのではなく、
自由に、流れるように生きてほしい。
本書で詳しく述べるが、
それには”半信半疑”という、
自分すらも信用しない心構えが必要となる。
物事の真理は、
疑うことで初めて見えてくるものなのである。
その静寂の中にはいつも”死”があった。
by. 桜井章一氏
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私たち代打ち稼業に生きる者たちは常に死を身近に感じながら、
勝負師としての戦いを続けていた。
しかし、私はどんな窮地に立たされても、
どんなに切羽詰まった状況であっても、
神頼みというものをしたことがない。
元来、私は”頼む”ということが好きではない。
日常の生活の中で
「これ、ちょっとお願いね」
ということはあるかもしれないが、
他の人の力を当てにして何かを頼んだり、
願ったりしたことは生まれてからこの方、
一度もない。
by. 桜井章一氏
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考えてみると、
“相談”というものすらしたことがない。
“頼む”という行為には、
人としての弱さがそこに表れている。
神頼みも弱い人間がすることであって、
“神”もそんな人間の弱さがつくりだしたものに他ならない。
人間が強ければ神という存在はそもそも生まれていなかったはずなのだ。
by. 桜井章一氏
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科学がいかに進歩しようと、
文明がどれだけ発展しようと、
所詮人間の力が自然にかなうはずがないのだ。
自然の力によって住処や家族の命が奪われた時、
彼らは自然を怨むのではなく、
崇め奉るようになった。
その結果、山の神、
海の神といった概念が生まれ、
人間たちは供物や生贄を捧げることによって自然の力を鎮めようとした。
自然崇拝は、
人間が自分たちの弱さを認めた上で生まれた概念だといえるだろう。
by. 桜井章一氏
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自然を畏怖し、
崇めているのならいいのだが、
その対象を人間にしてしまうのは大いに問題がある。
幽霊にしろ、
シャーマンにしろ、
占いにしろ、
人間の弱さが見出したという点ではすべて一致している。
何かに頼ったり、
依存したりすることもないので、
寺社で何かお願いをすることも、
自ら進んで墓参りすることもない。
いや、むしろ「罰が当たってもいいよ」
とすら思っている。
by. 桜井章一氏
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神様が本当にいるのだとしたら、
なぜこれほどまでに人間に悪いことばかりを与えるのか。
人間が神をどれほど信奉しようとも、
神はいいことはほとんど与えてくれず、
悪いことばかりを与える。
何をしても悪いことが起こるのであれば、
何も信じず、
悪いことに対処していくほうがいい。
その方が何ものにも囚われず柔軟な対応が取れるし、
恨みや妬みの気持ちが起こってくることもない。
by. 桜井章一氏
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「人生、楽あれば苦あり」
とよくいうが、
楽しいこと苦しいことの配分は決して五分五分ではない。
私の生きてきた感覚からいうと楽しいことが2、3割あればいいほうで、
人生は圧倒的に苦しいことのほうが多い。
だとするならば、
「人生、苦しくて当たり前」
と思っていたほうが余裕ができるし、
対処もしやすい。
苦しいことをただ”苦しい”と捉えるのではなく、
自分を成長させてくれるものとして捉えれば、
人は強くなっていけるのである。
by. 桜井章一氏
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