「水に流す」ということと同じくらい、俺は「土に還る」という気持ちを大切にしています。土というのは原点です。言ってみれば運は空気のようなもの

■どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか? -講談社-

「水に流す」ということと同じくらい、俺は「土に還る」という気持ちを大切にしています。土というのは原点です。言ってみれば運は空気のようなもの

人生をスムーズな流れにしていくためにも、
この「水に流す」ということはとても大切なことだと思います。

水に流せば相手だけでなく、
自分も許すことができます。

「水に流せば自分の気持ちが楽になるよ」
ということを言いたいのです。

水に流すことで、
きっと心を自然に浄化してきたのだと思います。


by. 桜井章一氏

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人間の気持ちも川の流れのように常に流れていればいいのですが、
嫌なことなどがあると人間は自ら流れを塞き止め、
水たまりを作ってしまいます。

何かに囚われ、
流れを止めてしまったら澄んでいた流れも濁り始めます。

今あったことは、
もうすんでしまったこと。

流れていくものなのですからそのまま流れに任せて流してしまえばいい。


by. 桜井章一氏

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いいことでさえ、
そうやって水に流していくことが大切でしょうね。

「水に流す」ということと同じくらい、
俺は「土に還る」という気持ちを大切にしています。

この世の生き物たちは土から生まれ、
土に還っていきます。

土というのは原点です。


by. 桜井章一氏

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何かあったときに、
その原点に立ち返ることでいろんなものが見えてきます。

あらゆることを水に流しつつ、
土に還る気持ちを常に持っていれば、
人生の中で道に迷ったりすることもなくなると思います。

俺には「この人とはちょっと合わないな」
という感覚はあっても
「この人は嫌い」
という気持ちになったことはありません。

ただ、その”合わない人”
と触れ合うことで、
自分の知らない領域を知ることができたり、
教わることができたりします。


by. 桜井章一氏

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似た者同士ではお互いに知っている領域が似通っているので、
“未知の領域”から何かを学ぶということができない。

自分自身、人との付き合いを振り返ってみると、
似た者同士よりも正反対のタイプとの付き合いのほうが多かったように思います。

どうしても不味くて仕方ないというときはスルーして出してしまえばいいだけのことです。

俺がいろんなタイプの人と付き合えるのは、
“変化”を楽しんでいるからだと思います。


by. 桜井章一氏

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金や名誉を目指すという方向性に囚われている人たちは、
どうしても生き方の幅が狭くなる。

それが人間的なつまらなさをもたらしているのだと思います。

運とは決まったものでも、
定まったものでもありません。

あえて言うならば、
運はそこらじゅうに漂っているものです。


by. 桜井章一氏

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しかし目に見えない空気は大切なものなのにどうしても存在が忘れられがちです。

言ってみれば運は空気のようなもの。

そこらじゅうに漂っているけれども目には見えないし、
つかむこともできない。

でも人間にとってとても大切なものなのです。


by. 桜井章一氏

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空気はつかめませんが、
風を肌で感じるように、
その流れを感じ取ることはできる。

太陽の熱も目には見えませんが、
体が温まることでその存在を確かめることができます。

運というものも、
空気や太陽の熱のように、
肌で感じるようにしていけばいいわけです。

感じることができないと、
余計に人はつかもうという気持ちが強くなります。


by. 桜井章一氏

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しかし、運やチャンスはつかもうとすればするほど、
逃げられるものです。

空気に触れるのと同じようにそっと触れていく感覚を持っていたほうがいい。

それと同時に大事なことは、
すでにつかんでいると思っているものに対しても、
絶対放すまいとぎゅっとつかみ続けることをしているとかえってダメになるということです。

つかんでいると思うものには、
「いつでも放します」
というこだわりのない柔らかさが必要なのです。


by. 桜井章一氏

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世の物事はすべて連鎖しています。

俺たちが今生きているのも、
祖先からいろんなものが伝わってきたからです。

存在とは伝わることから生まれるものなので、
その伝わるものをいいものへ、
いい方向へとしていくことは運を呼ぶ上でとても大切なことです。

そんな負のスパイラルを断ち切るには、
悪いことがあってもそれをいい方向にとらえる、
いい方向に解釈していく。


by. 桜井章一氏

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そんな地道な作業を繰り返すことで、
自分も、そのまわりの人たちも気持ちがよくなり、
それが結果として運を呼ぶことにつながるのです。

力を上手に抜きながら、
その都度、その都度、
いい方向に自分を軽やかに置くことが大事なのです。

母は俺たち兄弟を育てるために、
早朝から深夜まで家のことにかかりっきりでした。

そこには今の時代に失われつつある濃厚な
“生活感”がありました。


by. 桜井章一氏

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言葉はなくとも、
その濃厚な生活感に触れているだけでいろんなことを教わった気がします。

今、多くの人が精神のバランスを欠き、
悩み苦しんでいるのは、
そんな生活感から遠ざかってしまったことも大きな要因だと思いますね。

だから俺に教育論があるとすれば、
それは「育てない教育」です。

むしろこちらが子どもたちに育ててもらった。


by. 桜井章一氏

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俺の母だって、
子どもを育てる上での教育方針などはなかったでしょう。

子どもの頃の俺は、
そんな環境の中で生活感を身近に感じながら伸び伸びと生きていました。

俺が今までどんな型にも囚われず、
流れるように生きてこられたのは”押し付け”
というものが一切なかった母のおかげです。

なにかに反抗したい衝動がなかったのならそれはべつに構わないのですが、
反抗したい衝動あったにもかかわらず、
それを抑えてしまった人は、
大人になったときにその反動がいろんな部分で表れてきます。


by. 桜井章一氏

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そもそも親というのは、
「乗り越える」というような言葉で語れる次元の存在ではないでしょう。

親という存在はけっしてそんな存在ではないと思います。

親に対して「乗り越える」
という言葉を使うこと自体、
そこに驕りや偽り、
あるいは怠慢を感じます。

そんなことを人間が橙、
延々とやってきたとすれば、
世の中、立派なすごい人たちだらけになるはずです。


by. 桜井章一氏

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だが、実際はそんなことはない。

そのことからしても、
子どもが親を乗り越えるというのは一種の幻想だということが分かります。


by. 桜井章一氏

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