■どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか? -講談社-
人を”尊敬する”ということは、”囚われる”ということでもあります。社会の常識やルールといったものには常に半信半疑の姿勢でいるべきなのです
子どもは誰でも、
母親からいろんなものを得て育ちます。
幼子が父親から得るものなど何もありません。
子どもが必要とするものを与えることができるのは母親だけです。
なぜなら、母親の代わりは父親には絶対にできないからです。
by. 桜井章一氏
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それぞれの持ち分、
強い部分をいい方向に持っていければ、
子どもは健やかに育つだろうし、
社会も今よりもだいぶマシになっていくように思います。
女性は男性の視界に入ってこないような小さいことまで見つけて、
ああだこうだと言っている。
女性のほうがなんで文句が多くなってしまうのか。
それは狩猟時代の名残のようなものが女性の中に残っているからだと思います。
by. 桜井章一氏
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巣を守る女と子どもは食料の到着を待つ立場です。
女性は常に待たされる立場でした。
そうするとそこに当然、
要求や要望というものが出てくるはずです。
待たされる側というのは辛い立場ですから、
不平不満が増えて当然なのです。
女性は要求の後に正論をつけてきます。
by. 桜井章一氏
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「必ず電話してね」の後に
「夕飯の支度もあるから」となる。
要はただ単に自分の存在を確かめたいだけ。
それだけなのです。
待つ側と待たせる側が真の意味で分かり合うということは、
ちょっと難しいことなのかもしれません。
とくに家事というものに対して、
男は軽く見ているところがあります。
by. 桜井章一氏
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そのことに気付かない、
鈍感な男性は少なくないようです。
このように主婦の家事に対して男性が評価をちゃんとしないのは、
主婦からすれば旦那に対するストレスをためる大きな原因になると思います。
夫にヒステリーをぶつけてくることがしばしばあるようなら、
そのあたりに理由を求めるといいかもしれない。
女性がヒステリーになってしまうのは、
生理的なものからくる場合もあります。
by. 桜井章一氏
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そのことは男性も充分に考慮しておく必要がある。
優先すべきは「子どもは何を求めているのか?」
という点です。
俺も父親をやってきたのでよく分かりますが、
子どもというのは”母”を求めます。
子どもが小さければ小さいほど話す言葉も少ないので、
当然自分の思いをうまく主張することはできない。
by. 桜井章一氏
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でもそこで子どもが何を求めているのかを親が肌で感じ、
判断していくことが大切です。
物を与えるだけで子どもの欲求を補おうとするのではなく、
どんな”心”を求めているのかを常に感じ取っていく。
あるのは”友達”ではなく
“仲間”の感覚です。
仲間が持ってきたものだからそれは仕事ではない。
by. 桜井章一氏
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俺にとってすべてが”遊び”
になるのはこういう感覚を持っているからです。
仲間には上も下もなければ、
年齢だって関係ありません。
仲間の輪もこれと同じで広げすぎると
“和”であった輪が”不和”
になってしまいます。
俺にとっての仲間の輪はせいぜい百人くらい。
by. 桜井章一氏
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しかし広がったり、
大きくなったりしたその裏側には、
たくさんの犠牲者が存在することを忘れてはいけません。
よく「桜井の尊敬する人は誰ですか?」
という質問を受けますが、
俺には尊敬している人はひとりもいません。
人を”尊敬する”ということは、
“囚われる”ということでもあります。
ただ、それが行きすぎるとその人は自分を見失うことになる。
by. 桜井章一氏
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もし非常に尊敬する相手が悪いことを頼んできたら、
どうしますか?
そこで正しい判断を下すのは難しくなる。
生きていく選択肢は狭まり、
等身大の自分で生きることも難しくなる。
俺はそうなるのが嫌いだから夢も尊敬する人も持たず、
“好きか嫌いか”くらいのところで抑えているのです。
by. 桜井章一氏
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社会的システムが繰り出す常識、
制度といったものは、
いつも危ういものばかりです。
規制や制度をつくるのが権力者たちの仕事なのでしょうが、
俺から見ると彼らのつくった規制や制度はどれも一般人を操ろうとするためのまやかしに思えます。
体制や権力者たちのつくった常識や制度に則って生きるのが”常識人”、
あるいは”社会人”
というものなのでしょう。
ふだんから「常識なんてクソ食らえ」
と思っているし、
by. 桜井章一氏
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でもなぜ仕事で稼いでいるだけでそんなに威張っているのか。
俺には理解できません。
生きていく上で仕事をしなければならないのは当たり前のことです。
その当たり前のことをしているだけなのに人より稼いでいることを主張したり、
大きな態度をとったりするのは社会の”常識”
に囚われているからにほかなりません。
by. 桜井章一氏
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社会の常識やルールといったものには常に半信半疑の姿勢でいるべきなのです。
健康ブームに乗る人たちは、
体には気を遣うくせに、
心にはそれほど気を遣っているようには見えない。
そういった人たちは自分の心がどれだけ傾いてしまっているか、
まったく分かっていないのです。
“アンチエイジング”はとても不自然なことですが、
「老いる」ということは生き物としてとても自然なこと。
by. 桜井章一氏
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他の人であれば
「ああ、こんなこともできなくなってしまった」
と寂しく感じるのかもしれませんが、
俺は”できなくなる”
ということを楽しみながら生きています。
もちろん喜びではありませんが、
その事実を面白がっている自分がいます。
才能とか技術とかそういったことではなく、
“ふつうのこと”ができなくなっていく。
それが”老いる”ということです。
by. 桜井章一氏
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過去にさんざんやりたいことをやってきたので、
できないことがひとつ、
またひとつと増えてきても
「できなくていいや」と思えるのです。
「死」とは「無になる」
ということです。
人間は「死」を迎えることで、
生まれる前のように「無」の状態となるのです。
だから俺は「生まれ変わりたい」
と思うこともありません。
by. 桜井章一氏
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