俺は遊びの感覚を持って、流れのままに生きてきました。唯一あるとすれば自分を否定する”否信”でしょうか。俺は誰に遠慮するでもなく、素直に、等身大の自分で生きていきたい

■どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか? -講談社-

俺は遊びの感覚を持って、流れのままに生きてきました。唯一あるとすれば自分を否定する”否信”でしょうか。俺は誰に遠慮するでもなく、素直に、等身大の自分で生きていきたい

俺は何をするにも「楽しいのが一番」
だと思っています。

だから仕事も、
雀鬼会での道場生たちとの触れ合いも、
すべて”遊び感覚”でやっています。

遊びだと思っているから嫌になったり、
面倒くさくなったりすることがない。

遊びというものは、
瞬間、瞬間の楽しみであり、
喜びです。


by. 桜井章一氏

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俺は遊びの感覚を持って、
流れのままに生きてきました。

何かに執着したり、
囚われたりしたくない。

そこに止まったり、
振り返ったりすることはないのです。

俺はそうやってすべてを遊びに置き換えています。


by. 桜井章一氏

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一晩に100万も200万も使うような遊び方を見て、
「こうはなりたくない」と思ったものです。

俺にとっての”遊び”とは、
子ども時代の遊びの延長にすぎません。

自分の中に「己を磨く」
という気持ちがあまりないからそういったものに興味を持てないのかな、
と思ったりすることもあります。

唯一あるとすれば自分を否定する
“否信”でしょうか。


by. 桜井章一氏

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「それでいいのか?」
「そうじゃないんじゃないの?」
と常に自問自答することがで自分の人間の幅のようなものを広げてきたような気がしますね。

この世に生きている限り、
何かを”悟る”ことなどできっこないのは分かっています。

彼ら(昭和初期の子どもたち)の表情を見ていると、
「今は豊かな時代なのに、どうしてこんなに子どもたちの表情が淀んでしまったんだろう?」
と感じてしまいます。

今の時代は、
すべての人があまりにも”遠慮がち”
すぎるように思います。


by. 桜井章一氏

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“遠慮する”ということは、
人との関係から遠ざかっていくということ。

俺は誰に遠慮するでもなく、
素直に、等身大の自分で生きていきたい。

何を言われようがいっこうに構わないのです。

そのときに出た答えは
「俺は世のため、人のためになりたくないから、雀荘のオヤジになったんだ」
というものでした。


by. 桜井章一氏

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■マイナー力 ~「負け」が「勝ち」になる生き方~ -竹書房- 人間がいかに自然の摂理の中で、無駄に生命力を浪費して生きているかが分かり...

なぜ雀荘のオヤジをしているのか。
雀鬼会をやっているのか。

それはやはり”己のため”
であるからです。

世の中は、「人のため」
と思ってやることが裏目に出てしまうことが多いものです。

原発のような存在は歴史上いくつもあり、
とくに20世紀以降、
その数を急速に増やしているように感じます。


by. 桜井章一氏

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「こんなもの本当はなければいいのに」
というものや
「自然界にとっては害でしかない」
といったものが世の中では必要視される部分がとてもある。

たとえば魚はとても自然で、
安定した動きをします。

そんな魚を見ていると人間だけにある
“ダメなところ”
を強く感じてしまう。

そう考えたとき、
「人間は相当弱い生き物なのだ」
ということに気付きました。


by. 桜井章一氏

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人間が二本足で立っていること自体、
すでに不安定でそこに弱さが出ています。

人間は、このように元来不安定な状態で体を使って生きているのですから、
体も心も、精神も不安定になるに決まっています。

人間は”万物の霊長”ではけっしてありません。
人間は自然界の中で一番弱い存在である。

俺はそう思っています。


by. 桜井章一氏

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■この世の掟をぶち破れ! -李白社- 古い感覚というものは、生命の根源にまでつながっていると考えている。私のいう古い感覚と直感は違う。...

ただ、人間はそんな簡単に変われるものではないから、
負の状態から正の状態になるのも一筋縄ではいきません。

そういう人たち(変われない人)は負の性分みたいなものがとても根強い。

人が変われるのは、
その人が自分で気付き、
自分で変わろうとしたからです。

第三者ができることといえば、
気付くための”きっかけのボール”
を投げてやることくらいです。


by. 桜井章一氏

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なぜなら、”きっかけのボール”
の投げ方をひとつ間違うと、
その子はもっとダメになっていく可能性があるからです。

俺が”きっかけのボール”
を100個投げたとして、
そのうちの1個に気付いてくれればいいほうかもしれません。

気付きを与えるということはそれくらい難しいんだと思います。

世の中では「努力すれば何とかなる」と言ったりしますが、
いくら努力したってダメなものはダメだし、
努力しなくても何とかなってしまうのが麻雀なのです。


by. 桜井章一氏

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雀鬼会の麻雀はいかに与えながら、
いい場をつくれるかということに価値を置いています。

「考える」という行為は往々にして迷っているだけだったりします。

だから「考える」ことでずるくなったり、
汚くなったりしてしまうのです。

そこでまず最初にやったのは麻雀から政治色と経済色を拝することでした。


by. 桜井章一氏

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■この世の掟をぶち破れ! -李白社- 今できることは何か、自分には何ができるかということを考える。行動も頭も固まってしまえば死んでいる...

情報やテクニックといったものは、
あればあるほど有利だと誰しも思うでしょうが、
反対に足を引っ張る原因になることを雀鬼流麻雀は証明しています。

素の状態でいかにいい場をつくるか。

だからこそ、素の自分になれるよう
「牌を1秒で切れ」
と教えているのです。

俺は「らしさ」を失ったことによるマイナス面はばかにならないと思っています。


by. 桜井章一氏

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その意味でも「男らしさ」、「女らしさ」
というものはとても大事だと考えます。

ところで、男性と女性の感じ方に差があるのは、
満足感の感じ方の違いに由来しているような気がします。

男性の満足感は直線的です。

グラフ化するとすれば、
三角形のように頂点があってそこに向かって一直線に上っていき、
頂点に達した後は一直線に下がっていく。


by. 桜井章一氏

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しかし、女性は男性のそれよりももっと底辺が広く、
頂点までいく線も直線ではなく放物線を描きながら緩やかに上っていき、
下るときも緩やかに下っていく。

三角形からはみ出した放物線の部分が、
男女の分かり合えない部分であると言ってもいいかもしれない。

男性と女性の底辺の長さに差があるのは、
男性は”納得感”を、
女性は”満足感”を求めるという、
その違いが表れているように思います。

重なっていない部分を嘆くのではなく、
重なっている部分を大切にしていけばいい。

これは男女間だけではなく、
人間関係においても重要なことだと思いますね。


by. 桜井章一氏

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