■群れない生き方 -ソフトバンク文庫-
雀鬼会でやっていることは”いじめ”ではなく”いじり”だといえる。
その場をしっかりと仕切れるリーダーさえいれば、
いじりを笑いや楽しさに変えていくことができるし、
攻撃された方もした方も最後に一緒になって笑うことすらできるのだ。
by. 桜井章一氏
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“いじめ”ではなく”いじり”。
人との関わり方が少し変わるだけで、
それぞれの思考も変わっていく。
陰湿ないじめを減らすには、
そんな思考の転換も必要なのだ。
by. 桜井章一氏
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粋な大人たちからは
「やるときはやる」
「自分は二の次」
「すべての責任は自分にある」
という覚悟が滲み出ていた。
粋な人が減ってしまったのは、
自分本位でしか物事を考えない人が増えた結果なのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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自分を二の次における人は何かのために
常に動き回っているから”活き”がいい。
その”活き”が”粋”に繋がっていく。
やさしい人、利口な人、そんな人はごまんといるが
そんなのはどうでもいい。
大切なのは”活き”があるかどうかなのだ。
by. 桜井章一氏
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現代人は”活き”というものを便利さや豊かさと交換してしまった。
“粋”というのは、”活き”であり”生き”でもあり、
生の感覚もとても大切になってくる。
by. 桜井章一氏
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そういった便利なものが次々と登場する一方で、
現代社会からもっと大切にしなければならないものが
失われているということを知っておいてほしい。
by. 桜井章一氏
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人の心に温かい血を巡らせることができるのは、
人と人との触れ合いだけである。
そこに、孤独にならずに済む
“群れない生き方”のヒントが隠されている。
by. 桜井章一氏
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■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21-
型などなくても、生活は何の支障もなくやっていけるということだ。
節操がなく型を持たないのは、
自分を意識的に飾らないで地で生きるということである。
節操がありすぎると、生き方から柔らかさが失われる。
節操などなくても、かまうことはないのだ。
by. 桜井章一氏
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生命というのは定まっていない。
絶えず揺らいでいる。
本能に従えば、人間も一箇所に落ち着かず、
ふらふらと揺らいだ生き方をするほうが理にかなっているのではないだろうか。
地に足を着けない生き方のほうが、
生命や本能に近いあり方だと思うのだ。
by. 桜井章一氏
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風に吹かれて生きる。
人もほんとは風に吹かれるようにして生きたっていいのだ。
窓辺に腰かけて早春の景色をぼんやりと眺めていたら、
無数の桜の花びらが風邪に吹かれて鳥のように飛んできた。
by. 桜井章一氏
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地に足を着ける生き方というのは、意外と脆いものだ。
何か大きな力を加えられると突然ボキッと折れたりする。
生命のあるものは「風まかせ」な生き方が合っている。
by. 桜井章一氏
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「ラッキーナンバーとかありますか?」
あるとき、そう聞かれてすぐに思い浮かんだのは「四」という数字である。
もっとも、それが私にとってラッキーナンバーというわけではない。
ただとても縁の深い数字なのである。
by. 桜井章一氏
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四はこの世のひとつの原理を表しているようにも思える。
世の中にはわれわれが意識していないところで動いている、
説明のつかない原理が働いているのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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そんな数字を通して自分の人生を眺めると、
何か大きな流れを感じ取れると思う。
そこに人生の妙を感じることもあるかもしれないし、
不思議な因縁を思うこともあるだろう。
by. 桜井章一氏
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人の手で握ったものは機械にない味わいがあるのである。
それはなぜだろう。
ひとつは人の体温が与えるものがあるのだろうし、
もう一つは人が持っている生命の気のようなものが
そこに入り込むからではないかと思う。
by. 桜井章一氏
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母親は子どもに気持ちを込めて料理をつくる。
雑につくったりはしない。
それに込められたものがおふくろの味なのである。
by. 桜井章一氏
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生活感がない環境で育つと味覚も育たないということなのだろう。
おふくろの味というのは原点の味であり、
それが軸になって人生がつくられていくといっても過言ではないかもしれない。
by. 桜井章一氏
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