物事は流れの中で力を抜いて始末する。体を正直にすると、気持ちも正直になる

■体を整える ~ツキを呼ぶカラダづかい~ -講談社-

物事は流れの中で力を抜いて始末する。体を正直にすると、気持ちも正直になる

カラダというものは環境が絶え間なく変化する流れの中にあるものゆえ、
その動きもまた同じように流れているのが自然である。

動きが流れているとき、
カラダには力が入っていない。

目的意識を持って「ああしよう」「こうしよう」というとき、
カラダに力が入り、動きは流れなくなる。


by. 桜井章一氏

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カラダに流れをつくり、
自然な動きをするにはどうすればいいか?

「つかもう」といった「~しよう」という目的意識を持つと、
カラダの動きは途端に流れなくなってしまう。

目標物への視線を外すことで流れをそこでつくっているのである。

このことは、「つかもう」でなく、
「さわりにいく」という感覚に置き換えてもいい。


by. 桜井章一氏

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全体が流れている中で動くカラダは、
やはり流れていないといけない。

ものごとは流れの中で力を抜いて始末する。

「力を抜く」ということは力が入っていない状態だが、
これは何に対しても「~しよう」という思考の癖を持っている人にとっては難しい。

だから、力を抜こうと思うのでなく、
カラダの動きを流れにするという感覚を持ったほうがカラダは素直になるかもしれない。


by. 桜井章一氏

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カラダが素直になる、
正直になるということが、
カラダのもっとも自然な状態なのである。

カラダを正直にすると、
気持ちも正直になる。

それが、みんな気持ちから入って「気持ちを正直にしよう」とするから、
嘘っぽくなるのだ。

気持ちをいくら正直にしたつもりでもカラダに対しては正直になれない。
カラダはどこか力が入っている。


by. 桜井章一氏

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カラダ正直になると、
力を入れずしてラクにいろいろなことができる。

自然の生き物はみな「流れるカラダ」を持っているから、
彼らと同化するような気持ちになると、
動きがいい流れをつくり出すのである。

そうやって太極拳のような動きをしていると、
カラダの中でとてつもないエネルギーが湧き出してきて自分でも抑えがきかないときがある。


by. 桜井章一氏

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流れの中で力を抜いたカラダというのは、
常識でははかれない力を秘めている。

なぜならそれは、
自然から借りてきた力に、ほかならないからだ。


by. 桜井章一氏

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目線一つでカラダの流れや気持ちの在り方は微妙に変わってくる。
目線が下向きの人は気持ちが閉じている。

同時にカラダの流れは止まっている。

目線は地面と平行でなく、
やや上にして遠くを見るようにするといい。


by. 桜井章一氏

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目線がやや上を向いていると、
気持ちが広がっていく感覚があるはずだ。

カラダも流れだし、
動きも軽くなる。

目線が下になっている人は精神的な問題を抱えていることが多く、
それが文字通り重しのようになってそこに沈殿している。

目線一つでいろいろなものが変わるほど、
カラダとは繊細にして精妙なものなのだ。


by. 桜井章一氏

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生きるということは、
次々起こる変化という流れに応じることである。

その変化の流れの中で動作を柔らかくして対応していけば、
カラダも自然と柔らかくなるものである。

たとえば、日常の中で人は絶え間なく動いている。
カラダを動かさないとできないことだ。

なぜ動かないといけないかというと、
変化がいつもそこに起きているからである。


by. 桜井章一氏

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そうした変化の流れにカラダを素直に合わせて動かしていれば、
カラダはおのずと柔らかくなっていくものなのだ。

カラダの動きというのは、
流れるように一つひとつの動作が繋がっていくのが理想だ。

変化に対応するには何よりも動きが柔らかくなければいけない。

カラダが硬ければ変化に素早く対応できず、
流れるような動きにはならない。


by. 桜井章一氏

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踏ん張った姿勢というのは強そうでもろいのである。

カラダの動きというのは、
一つだけで完結させてはいけない。

一つひとつの動作が繋がらず、
ブツ切れになってしまうと、
次の動作に移るのには大きな動きになってしまう。

小さな動きだと間に合うが、
動きが大きいということは無駄な動作をしているので間に合わなくなるのである。


by. 桜井章一氏

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一つひとつの変化にいちいち大きく動いてはいけない。
変化に間に合うには大きな動作をしてはいけないのだ。

勝負のような場においてはそれは大きな命取りになる。

カラダのいい動きとは、
瞬間、瞬間の動作が柔らかく流れるように繋がっていくことだ。


by. 桜井章一氏

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じっとしているようでもカラダは目に視えないところで「揺らぎ」を孕んでいる。

細かく揺らいでいるからこそ、
今ある状態から次の瞬間の動作に滑らかに移れるのだ。

すなわち、カラダは「個体」でなく、
「流体」なのである。


by. 桜井章一氏

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一つひとつが繋がって流れるような動きをするカラダは、
「流体」が描く曲線で滑らかで美しい。

「仕草」がきれいな人というのは、
このような「流体」としてのカラダ本来の動きをしている。


by. 桜井章一氏

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