■体を整える ~ツキを呼ぶカラダづかい~ -講談社-
勝機やチャンスといったものは、掴もうとする意志を働かさない方がいい。触れるのだ
カラダの硬さというものは、
誰しも年齢を重ねるとともに増すものだ。
そして、この硬さは生き方に微妙な影響を及ぼす。
「勝負における勝機はつかみにいくもの」という感覚を、
たいていの人は持っている。
by. 桜井章一氏
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その勝機にも濃淡があって、
一番強い勝機から2番目に強いもの、
3番目、4番目、5番目という具合にあるのだ。
そこで勝機をつかんだ離したりの凄絶な駆け引きがあって、
それは当人同士にしかわからないものだったりする。
by. 桜井章一氏
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私も麻雀を打つときは、
「勝機をつかむ」のではなく、
「勝機に触れる」という感覚でいつもやってきた。
麻雀は変化が激しいので、
勝機は現れても一瞬のうちに抜けていってしまう。
だからつかまないで触れるのだ。
by. 桜井章一氏
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これは頭で考えてできることではない。
頭で考えていては、
そもそもそんな勝機に触れるという感覚は持てない。
カラダで麻雀を打っていればこその感覚なのだ。
by. 桜井章一氏
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麻雀に限らず勝機やチャンスといったものは、
つかもうとする意志を働かさないほうがいい。
仕事でも勉強でもそれは同じだ。
そこで何かをつかもうとすると、
カラダに力みが入って結果的にはあまりいいことにならないのである。
by. 桜井章一氏
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耳というのは実際、
目以上に動くものの気配を敏感に察知する。
壁の向こうは見えないが、
壁の向こうにいる生き物の気配や動きを感じることはできる。
by. 桜井章一氏
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私は自分の牌だけを見るようなことはしない。
あくまでも自分の牌に対しては見てみないという感じであり、
卓全体をボワッと眺めているような感覚である。
それは耳で見る感覚といっていい。
耳を澄ますと全身の感覚がスッと立ち上がって鋭敏にさまざまなものをとらえることができる。
そういえば、私が出会った数少ないできる勝負師というのは、
いずれも目つきは鋭くなく、
どちらかというと眼差しがボワッとしたような感じだった。
目というものに頼りすぎると、
核心はつかめないのである。
by. 桜井章一氏
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麻雀の牌を拾うときでも、
小指を使って軽く弧を描くようにしてやると、
音もなくフワッと牌を拾える。
ところが、親指と人差し指、
中指の3つの指だけで拾いにいくと動作が直線的で荒々しい感じになってしまう。
このように小指を意識して使うと、
カラダの動作は柔らかくなる。
by. 桜井章一氏
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仕事で指を使う人、
例えば職人でも茶人でも舞踏家でも一流といわれる人は、
みな例外なく小指の使い方がきれいなはずである。
このように小指というのは、
イメージと違ってけっして小さな存在ではない。
それどころか、指の中でもっとも非力なのに、
もっとも重要な働きを担っているのである。
by. 桜井章一氏
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親指は力の出る指だからといって、
その通りに力を入れてはいけないのだ。
スポーツでも指を使った作業でも、
親指はむしろ柔らかく使ったほうがいい。
このように、小指にしろ、親指にしろ、
イメージとは違った働き方を実際はしているのであり、
その使い方もそれに応じた工夫をするべきなのである。
by. 桜井章一氏
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人の本性というものは、
平時のときにはなかなか見えないものである。
それが見えたり現れたりするのは、
生存がかかった危機のときである。
何かの事故に遭ったり、
トラブルに見舞われて人生の岐路に立たされているようなときである。
by. 桜井章一氏
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カラダの動きにも、
心の本性に相当する「ホンモノの動き」というものがある。
ふだん、人は文化や習慣の中で培われた「人工的な動き」をもっぱらしている。
だが、危機のさいに人の本性が現れるように、
カラダの「ホンモノの動き」といったものも同様、
危機のときに出てきたりする。
by. 桜井章一氏
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素早く的確な動きがそこでできるか、
パニックになってしまって何もできずにいるか、
そこはふだんからの行動の仕方によって違ってくるだろう。
とくに、生きていれば避けられないさまざまなトラブルに対して、
どういう対応をしてきたかが、
いざというときの行動を大きく左右することは間違いない。
by. 桜井章一氏
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トラブルに対してひるまず、
スピーディーで的確な動きをしてきた人は、
やはり大きな危機にさいしても冷静に正しい行動がとれるだろう。
そして危機に慣れていなければ、
たとえ危機的な状況にあってもカラダは日常の「つくられた動き」以上のものができない。
そのときカラダが「ホンモノの動き」をする人は、
危機やトラブルの際、
それなりの対応をしてきた人である。
「ホンモノの動き」ができる人は、
起こった状況を冷静に瞬間にして把握できる。
by. 桜井章一氏
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