■体を整える ~ツキを呼ぶカラダづかい~ -講談社-
愛とは永遠のもの。愛とは決して不変なものではない。愛とは自然そのもの
落ち着くということにあまり囚われず、
カラダの底にある「動きたい」という本能の衝動にもう少し耳を傾けてもいいと思う。
不自然なことに人間は、
こんなに重たい頭を一番てっぺんにして、
哺乳類の中で唯一、二本足で地面に経っている。
これほど重心が上に上がりバランスの取りにくい姿勢で立つということは、
生物としては非常に不自然なことである。
by. 桜井章一氏
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おそらく、脳の発達とともに道具を使うことを覚え、
そのことが自然界における存在の弱さをカバーすることに気づいたのではないだろうか。
そのためには立ち上がって手を空けていないといけない。
そんなことから、人間は二足歩行をするようになったとも思える。
そう考えると、
人間は生き物としての弱さを根っこに抱えているのだと思う。
頭がいいのも肉体的な弱さゆえにそうなったということだ。
by. 桜井章一氏
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人間の存在の根っこにはそうした弱さが間違いなくあるのだろう。
人のカラダというものは、
こうした弱さからもとられていく必要があるだろう。
by. 桜井章一氏
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■人は八割方悪である -竹書房-
大自然が神であり善であるならば、
きょうびの人間は悪に染まり切ってしまった。
現代人は幸福を求め、
喜びを得たいと探し続けているうちに、
それとは逆の方向に歩を進めた。
いまや奈落のそこが待ち受ける崖っぷちでどうにか踏みとどまっている。
この世の中が悪いということは、
そこにすむ人間どもが悪いということである。
by. 桜井章一氏
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社会の頂点に位置する者たちは悪人として存在し、
悪の道標を作り出す。
邪悪な人々の仲間入りを拒否する以上、
さりとて善人にはなり切れない以上、
我輩は悪党として生きたいと思う。
日本の社会はいまや政・官・財・暴という四つの権力が良識ある姿を装いながら、
そこに巣くう数万人の鬼どもに牛耳られている。
それは人間ではなく鬼が作り出す社会であり、
我々はその中で日々暮らしている。
by. 桜井章一氏
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政治という存在が利権と結びつくから巨悪が生まれる。
悪があまりにもでっかすぎて、一般人の目には入り切れない。
彼らの一言、一挙一動に我々はもっと疑いを持って、
巨悪の企みを見破る力をつけねばなるまい。
人の住む国は鬼の住む国に変貌している。
by. 桜井章一氏
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鬼どもが作り出す社会に住む我々には、
もはや善悪の物差しは見当たらなくなってしまった。
そのうえ文明や進歩の波に乗っかって大自然から多くの恵みや生命を頂戴しているのに、お返しをするどころか自然破壊の一端を担っている。
そんなものはどう転んだって悪党である。
我れ悪党で歩んで行きたい。
by. 桜井章一氏
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人間は、とくに現代人というやつは「部分」にとらわれすぎる生き物だと俺は思っている。
ものごとのある一面だけをとらえて、
そこに執着してしまうのだ。
野生の動物ならそんなことはない。
彼らにとっては本能と感覚だけが行動の基準となっているからだ。
by. 桜井章一氏
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本能を離れ、
知識と経験を集めることを身につけて今日の文明社会を築き上げた人間は、
皮肉にも知識があるがために、
もっとも大切な愛について部分的な味方しかできなくなってしまったのだと俺は思う。
「永遠の愛を誓う」という言葉がある。
たしかに愛とは永遠のものである。
by. 桜井章一氏
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だが世の中の多くの人は、
愛がもつ「永遠」という本質的な意味を誤解してしまっているのだ。
それは、「愛は不変である、変わらぬものでなくてはならない」という誤解である。
相手が変化したことで、
自分に対する愛がなくなってしまった、
自分はもう愛されなくなったと考えてしまうからだ。
by. 桜井章一氏
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愛とは決して不変なものではない。
それどころかまったく逆で、
刻一刻と姿を変えていくものだ。
そして相手の変化を「許せない」と憤る気持ちは、
実は愛情からではなく相手への支配欲や依存心から起きているのである。
自分に忠実であってくれるはずの人間が、
そうでなくなったことにうろたえているに過ぎないのだ。
by. 桜井章一氏
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人に裏切られたと思う気持ち、
恨みつらみの感情は、
間違いなく人間を悪く変えていくだけである。
人を愛するがゆえに本人の人間性が悪くなっていく。
どこかおかしくないだろう。
愛とはそんなにいびつなものなのか。
もちろんそれは、
愛とはかけ離れたものを愛だと誤解してしまうことが原因となっている。
by. 桜井章一氏
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そういう(相手の少しの変化にも不満が募る)人は、
人間は変わって当然の存在だということに気づいていないのである。
もって生まれた気質や性分のように、
変わるところのない根っこの部分は保ちながらも、
時に応じて変化するのが人間の成長というものだ。
もちろん悪く変われば堕落や頽廃ということになってしまうのだが。
by. 桜井章一氏
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ところが現代では、
家庭でも学校でも職場でも、
相手との利害を計算し、
それが自分に有利に働く時だけ相手に近づいて親密になっているのが実情ではないか。
愛とは自然そのものである。
俺はこのことを、
自然から学び、
感じ取った。
by. 桜井章一氏
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