いい体構えとはどこにも偏った力が入っておらず、柔らかく、軸がきちんと通った状態

■体を整える ~ツキを呼ぶカラダづかい~ -講談社-

いい体構えとはどこにも偏った力が入っておらず、柔らかく、軸がきちんと通った状態

軸は急所とは違う。

教書とは弱い部分であり、
カラダのあちこちに散って存在している。

急所を攻めることは大きな勝ち点を稼ぐようなものだが、
それで勝負が一気に決まるということはない。

しかし、軸を取ることができれば、そこで「勝負あり」になるのである。


by. 桜井章一氏

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「心技体」という言葉があるが、
いい技術を持っているのに、
思うように上にいけないという人は、
心構えにダメなところがある。

だが、心構えがちゃんとできていない人は、
じつはカラダ構えも本当はきちんとできていないものなのである。


by. 桜井章一氏

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いいカラダ構えとはどこにも偏った力が入っておらず、
それゆえに柔らかく、軸がきちんと通った状態である。

逆にカラダ構えができている人は、
おのずと心構えもしっかりしてくる。

カラダ構えも心構えもいいとき、
すなわちカラダと心が一体化しているときこそ、
技術はそれを越えた力を発揮する。


by. 桜井章一氏

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技術を越えたものとは何か?

それは感覚の世界であり、
それはカラダ構えがちゃんとできていなければ気づくことができないものなのだ。


by. 桜井章一氏

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何をもってホンモノか、
あるいはニセモノなのかという理由は感覚的なものなので定義しづらいが、
ニセモノといわれるような人の場合は、
たいてい他人から「なんかインチキな感じがするね」と受け取られることが多いものだ。

反対にホンモノといわれるような人は、
その理由がわかる人にはわかって、
わからない人にはピンとこないものである。


by. 桜井章一氏

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私の場合、「ああ、この人はホンモノだ」と感じるときの基準は、
ある意味、明快である。

それはカラダにごまかしようもなく表れるものだからだ。
生き方というものは、そのまま動きに出るものなのだ。

商業主義が極まったニセモノの世界は必然的にニセモノで溢れ返るのである。


by. 桜井章一氏

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本来の自然は人間が入り込めないほどきびしいものだからだ。
だから、「自然とともに生きる」というのはそう簡単なことではない。

「自然体で生きる」というのはすなわち、
心やカラダのどこにも力みが入っていない状態のことである。

しかし、いつも力みがなく自然に振る舞える人はおそらく世界に一人としていないだろう。

なぜなら人は自然から離れた生き方を選んでしまったからだ。


by. 桜井章一氏

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本当に自然と一体化して生きている人がもしいれば、
その人には不必要な力みがカラダにも心にも一切ないだろう。

自然から離れてしまったわれわれは、
いつも何かを考えている。

そんな生き方をしていれば、
どこにも力みのない自然な状態でカラダを動かすことは不可能である。


by. 桜井章一氏

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人類の歴史とは、
不自然な生活環境をひたすら価値あるものとしてつくってきた歴史といえる。

そんな不自然な環境にあれば、
そこに生きる人間のカラダから生まれる振る舞いもまた不自然なものになるのは当然なのだ。


by. 桜井章一氏

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人の心身の動きは不自然さで覆われていて、
自然に動かせる部分はわずかしかない。

人は言葉を持つことと引き換えに、
本能がどこか壊れてしまった生き物だ。

本能がいびつな形になってしまった上に、
文明的な習慣が日常における一つひとつの動作に染み込んでしまっている。


by. 桜井章一氏

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それゆえに日常におけるちょっとしたカラダの使い方や動きというものですら、自然なものではなくなっているのである。

だからこそ、自然なカラダ使いができるということは、
人間の生き方において重要な意味を持つ。

ところで不自然にカラダを使うということは、
絶えず無理な負荷をカラダにかけているということを意味している。

そんな無理を長年続けていれば、
カラダのあちこちにガタがきて、
調子を崩すのは当然である。


by. 桜井章一氏

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■運を支配する -幻冬舎新書- 私は、男というのは我が道を自分で 切り拓いていくべき生き物だと思っている。 ...

長生きすること自体に私は別に価値を置かないが、
現代人のカラダ使いがもう少し自然なものであれば、
もっと長生きするはずだ。

自然の生き物を見れば、
人がいかに不自然なカラダの使い方をしているかがよくわかる。

彼らのカラダの動きは一分のスキもなく自然である。
彼らの動きはまったく無駄のない美しさに満ちている。


by. 桜井章一氏

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いや、それを美しいというのは人間を基準にしているからであって、
美しいっとか不格好というものすら越えている。

なぜならそれは本能に100%忠実な動きだからだ。

彼らの動きが自然でまったく無駄がないのは、
人間みたいにあれこれ考えることもなければ、
文明的な習慣を身につけたりもしないからだ。


by. 桜井章一氏

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彼らの生は不自然な要素を微塵も抱えることがないから、
どこまでも自然な動きができる。

それは文明の穢れのない本能だけが表現しえる世界なのである。

自然に生きるということは、
すなわち変化に対応して生きることである。


by. 桜井章一氏

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