■体を整える ~ツキを呼ぶカラダづかい~ -講談社-
動こうとするのを「止める」ことで、体の動きは力が抜けて滑らかになり、スピードが出る
これはお互いのエネルギーの流れが混ざり、
3人で一つの大きな流れがつくられるからである。
つまりカラダの一体感がそこに生じ、
たんに3人の力を足し算しただけではない大きなエネルギーを生むのである。
by. 桜井章一氏
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強さとは何だろうか?
たとえば恐怖に襲われたときにたじろがない心身を持っているということも強さの一つであろう。
人は恐怖にかられたとき、
カラダのみぞおちがきゅっと緊張して硬くなり、
重心が上がっている。
反対に腹が据わっている人というのは、
そのようなときでもみぞおちが硬くならずに緩んでいる。
by. 桜井章一氏
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恐怖に襲われてもみぞおちが緩んでいるカラダは、
みぞおちだけでなくカラダ全体が緩んでいないとそうはならない。
緩んだカラダというのは、
柔らかな自然な状態にカラダがあるということ。
それは頭や精神の柔らかさにも通じることである。
by. 桜井章一氏
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たとえば、頭が柔らかいと変化に対応できる。
柔らかいということは、
いくらでも変化していける可能性を孕んでいるということだ。
そう考えると、強いカラダとは、
どういうふうに状況が変わろうとも臨機応変に対応できるカラダといえる。
考える前にカラダ全体で即応できる、
そんな動きができるカラダこそが強いといえる。
by. 桜井章一氏
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自然界の生き物を見ていると、
外界への対応、環境に対する変化の素早さに感心する。
海へ潜ってタコに出くわすと、
彼らは岩と同じ色にさっと変色するが、
こうした変化こそが自然に生きるものの本質的な柔らかさであり、
強さなのである。
by. 桜井章一氏
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たとえば、卓に倒れている牌を片手で起こすとする。
そのとき、ふつうは指や手首を動かして牌を起こさざるをえない。
これは目に見える動作である。
だが、指も手首も動かさずにスッとなでるようにして牌を起こすことはできるのだ。
そうした動作には、動作らしいものがないからドタバタ感がない。
静かでしかも速いので、
見ている人には何がどう動いてそうなったのかがよくわからない。
by. 桜井章一氏
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昔、ある対戦相手が私の打ち方を見て、
「陽炎打ちですね」といってきたことがあった。
すごい打ち手だったが、私の動作が見えないというのだ。
by. 桜井章一氏
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野生の動物は獲物を獲るとき、
忍び足で相手に気づかれないように近づく。
ドタバタした動きをしていたら、
気配ですぐに伝わってしまう。
彼らの動きはあまりにも静かで速いがゆえに見えにくいのである。
by. 桜井章一氏
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一ヵ所でも怪我で気になる箇所があると、
カラダのバランス感覚が著しく崩れるということだ。
このようにちょっとした怪我をすると、
われわれのカラダが、
ふだん精妙なバランスの上に成り立っていることに気づく。
一ヵ所でも悪くすると全体がダメになるということは、
反対にカラダのある部分だけをトレーニングで強化しようと思っても、
同じ意味合いでダメだということである。
by. 桜井章一氏
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頭に偏ったカラダが、バランスがいいとはけっしていえない。
頭に価値を置きすぎると、
カラダに対する信頼感がなくなる。
その結果として現代人は頭と頭、
知識と知識の力比べみたいな生き方になってしまっている。
by. 桜井章一氏
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カラダの恵みを生かして生活している人は、
頭中心の生き方をしている人とは根本からカラダの使い方が違う。
その結果、常識でははかれないような力を発揮したりする。
自然を相手にしている漁師は、
おそらくカラダの恵みをフルに生かすことができたに違いない。
その強さとは自然そのものの強さなのだろう。
それが天才武道家(植芝盛平)でさえもかなわなかった理由だと思う。
by. 桜井章一氏
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カラダは思考が入ると、
力が入って不自然な動きになる。
人は考えることが習慣となり、
癖になっているので、
自然な動きにはなかなか近づけない。
つまり、われわれは目的意識を持ってカラダを動かすと無駄な力がふんだんに入り、
動きがぎこちなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
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柔らかでスムーズな動きをするには、
こういう動作をするんだという意識を止めればいい。
「~しよう」でなく、「止める」。
意識をコントロールして何かをしようという動きは、
所詮たいしたことではない。
by. 桜井章一氏
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動こうとするのを「止める」ことで、
カラダの動きは力が抜けて滑らかになり、
スピードが出る。
速く動こうとしてスピーディーに動いても本当に速くはならない。
速く動こうとする意識を「止める」ことで、
予測のつかないスピードが結果的に生まれるのである。
by. 桜井章一氏
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