■人生を変える美しい勝ち方 -宝島社-
良いものを選ぶか捨てるか、悪いものを選ぶか捨てるか、ズルいものを選ぶか捨てるか、美しいものを選ぶか捨てるか。何を選び、何を捨てるかでその人の人生は決まってきます。品とは、その人が何を選び、何を捨てるかで決まってしまうものなのです
植芝盛平(合気道の達人)が生涯で一度だけ、
組み合って完敗した相手がいました。
その相手とは、
東北のある漁村の漁師だったということです。
なぜ、武術の経験もない一介の漁師が武道の達人に勝ってしまったのか?
それは植芝盛平が武道の枠で戦ったためではないかと思います。
by. 桜井章一氏
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ひるがえって相手の漁師はなんの枠もないところで自由に体を使っているわけです。
それと漁師という職業は人の力など及ばない自然を常日頃、
相手にしているわけですから、
そんなところでもまれた力がひじょうに強かったのではないでしょうか。
植芝盛平が合気道に携わりながらもその枠をどこかで否定していれば、
さらに上の領域に行っていたかもしれません。
専門家や業界人であることは、
どこか弱さがあるということだと思います。
by. 桜井章一氏
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私は麻雀の世界で雀鬼と呼ばれながらも、
麻雀とその業界を否定しています。
そこに閉じられるのは弱さにつながるとわかるからです。
私にとって麻雀は、
あって同時にないもの、
なくて同時にあるものなのです。
今は知識をたくさん持つことが頭のよさをはかるモノサシになっていますが、
私は大昔、
自然と共生していた頃の人間のほうが頭はいいんじゃないかと思います。
by. 桜井章一氏
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人間は本来、
「答え」のない世界に生きています。
なぜ生きているのか?
宇宙とは何か?
そうしたものに一言でいえる正解などどこにもありません。
でも私たちは「答え」のあるものに慣れてしまって、
なんでも「答え」を見つけないと心が不安になってしまうのですが、
その「答え」もまた変化するものなのです。
by. 桜井章一氏
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「強さ」を求めても、
「答え」は出てきません。
「答え」がないことが「強さ」であることを、
体で感じるしかないのです。
品のある勝負と品のない勝負。
この違いはどこからくるのでしょうか。
戦うもの同士、
競争するもの同士が尊敬し合っていないからだと思います。
by. 桜井章一氏
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とくにプロのスポーツであれば、
戦う相手は子どもの頃からお互い非常な修練を積んで、
ようやく巡り合った相手なわけです。
そうしたもの同士が同じ土俵で戦うのは、
ある運命に選ばれたということでもあるのです。
その縁にまず感謝すべきです。
ことに強者ほど品がなくなりがちです。
相撲だけでなく、
剣道や柔道、
空手といった日本古来の武道はみな、
礼に始まって礼に終わります。
by. 桜井章一氏
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しかしどんなスポーツや勝負ごともすべて、
礼というはっきりした形がなくても気持ちの上ではそうあるべきだと思います。
私の麻雀道場では、
勝ち負けでなく、
いかにきれいな勝負をしたかが評価されます。
相手の弱点も良い点もみな知っていて、
その上で相手を思いやったり、
弱いところを修正していってみんなで強さを磨いていく、
そういう場なのです。
麻雀というのは、
人間の一番ダメな部分、
汚ないところがいとも簡単に出てくる勝負です。
by. 桜井章一氏
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そうした意味で雀荘は、
そこに打ちにくる人の、
普段職場や家庭では隠しているだらしないダメな部分が自然に出てしまうところです。
本来その人が持っている考え方や生きかたの姿勢がそのまま出てしまうのです。
人は、何かを選択し、
同時に何かを捨てる生き物です。
良いものを選ぶか捨てるか、
悪いものを選ぶか捨てるか、
ズルいものを選ぶか捨てるか、
美しいものを選ぶか捨てるか。
by. 桜井章一氏
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何を選び、何を捨てるかでその人の人生は決まってきます。
麻雀は一牌ずつ選び、
捨てていきます。
その一牌一牌の足跡を見ていくと、
その人が会社や家庭でどんなことをやっているのか、
どんなつき合い方をしているのかがわかってしまいます。
よくないもの、
汚いものをどれだけ捨てて麻雀というゲームをやっているかが、
勝ち負けの評価になるのです。
by. 桜井章一氏
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いかなる勝負もよくないもの、
汚いものが多いほど品格が下がります。
品とは、
その人が何を選び、
何を捨てるかで決まってしまうものなのです。
敗者が相手の勝利を素直に喜ぶのは難しいものです。
お互いが相手に対し「精一杯いい勝負をしよう」
というように相手を大事に思うと、
たとえ負けても相手を讃える気持ちになり、
勝負にも品が出てくるものです。
by. 桜井章一氏
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私は、いつも相手のためを思って麻雀を打つという心構えでやってきました。
極端に言えば「どうぞ上がってください」
という気持ちで勝負の場にのぞんできました。
いい戦いをしてくれるなら、
本当にそうなってもかまわないという気持ちがあったのです。
けれども、そんな気持ちでいると、
反対にいつも勝ってしまうのです。
by. 桜井章一氏
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そう思うことで心に余裕が出来るからです。
余裕があれば、
全体の流れや細かいアヤがいっそう鮮明に見えます。
いい内容の勝負をすれば勝ち負け関係なしに「お互いが勝ち」、
そういう意味を「どうぞ」は持っているのです。
過ぎたハングリー精神の根っこにあるのは、
「見返してやろう」という恨み辛みの負のエネルギーです。
by. 桜井章一氏
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その力でたとえ成功しても恨みが残って消えないのです。
食事のたとえと同じで、
勝負も程よいハングリーさがある時に、
もっとも味のある勝負が出来るのです。
勝負において本当に勝つべきは、
相手でなく己です。
最終的に自分に勝たなくては、
勝負にいくら勝っても勝ったとはいえないし、
やがて勝負そのものにも勝てなくなるでしょう。
by. 桜井章一氏
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自分に勝つとは、
勝負に対してごまかしのないきびしい姿勢を持ち続けるということです。
たとえば、ある勝負において勝ったとします。
そこで「終わり」と思えば、
その人は自分に対する勝負では負けることになります。
つまり「もう勝ちだ」と思ったことで油断が生まれ、
せっかくのリードをふいにしてしまうわけです。
by. 桜井章一氏
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