■人生を変える美しい勝ち方 -宝島社-
連続することは、この世界に生きるということそのものです。いい連続とはしなやかで力強いものです。日常において間合いとは間に合って自分を生かすリズムです
連続することは、
この世界に生きるということそのものです。
生命という連続を長くするには、
自然との関係を連続させなければいけません。
環境汚染の問題はこの連続ということを蔑ろにし、
無視するところから生じます。
スポーツでも勉強でも、
練習という連続をどれだけ長く出来るかが大切なことです。
by. 桜井章一氏
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それは自信とかということでなく、
連続して何かを出来る自分を知ったことで、
別の「新しい連続」を見つける手がかりをつかんだということです。
私は、その子に限らず問題のある子をできるだけ親御さんに
「お前、変わったね」と言われるようになって帰してあげたいと思っています。
姿勢を良くするには足も伸ばさないといけないし、
腰も伸ばさないといけないし、
そうやってあちこち今まで死んでいたところを伸ばしているうちに、
いつの間にか身長が伸びたわけです。
身体がよくなれば気持ちよくなるし
胸につかえて発音を邪魔していたものがとれて、
吃音もほとんどよくなりました。
by. 桜井章一氏
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鬼打ちをやり遂げた時に、
彼は「いままで生きてきて、初めてというくらい喜びを感じました」
と感想を漏らしていましたが、
私にとってもその子の喜びは大きな喜びです。
道場に来ている若い子らに私は何ほどかのものを与えているかもしれませんが、
それ以上に、
私は彼らからいろいろなものを貰っていると思っています。
それは一生かけてこちらが与えても、
到底追いつかないものだと心の中で思っています。
私と道場生との関係も長い連続の中にあるものです。
私にとってこの連続は何よりも有難いものなのです。
by. 桜井章一氏
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いい連続とはしなやかで力強いものです。
そして、それはまた人生におけるもっとも大きな喜びになると思います。
その際どいところ(相手への攻撃が可能になるというぎりぎりの距離)で均衡している距離が間合ですが、
普段の生活でも間合いは大事なものです。
日常において間合いとは間に合って自分を生かすリズムです。
by. 桜井章一氏
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生活のリズムがいい人は、
いい間合いで食事や休憩や睡眠をとり、
いい間合いで仕事をします。
人間関係でも、友人にしろ、恋人にしろ、
いい関係を保つにはいい間合いが必要です。
自然は間合いの達人です。
毎日、太陽が出ては沈み、
月が空に姿を見せるのも地球と太陽と月の間合いが取れているからです。
by. 桜井章一氏
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勝負においては、
相手の間合いを取るのが上手いほうが勝ちを収めます。
勝負とは、
相手の間合いをどちらが先に自分のものにするかという闘いのことでもあるのです。
それ(カメレオンの昆虫捕獲)を見ると、
人間にはマネ出来ないなあと思われるかもしれません。
しかし、人間にも同じような能力はあると思います。
by. 桜井章一氏
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ツバメを斬るなどとても人間技とは思えませんが、
それが出来る能力を人は持ちうるということです。
人はみんな先入観、思い込み、
固定観念というものを持っていて、
その虜になって生きています。
「こんなことはとても出来ることでない」
「自分はこういう人間だから、こんなことをやるのはおかしいんじゃないか」
とか言って、
日常のさまざまな場面で自分の行動を規定してしまっているのです。
私はそうしたものを全部うっちゃって、
素の状態でいつも見るようにしています。
by. 桜井章一氏
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今起きていることをまっさらな状態で見ています。
するとこんなことは出来ないだろう?
と常識で思えることが、
力を入れないでフッと出来たりするのです。
強さも同じく、
先入観やイメージでとらえている限り、
ホンモノの強さには近づけないということです。
自然が持っている力こそ能力だと思っているからです。
by. 桜井章一氏
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いくら頑張っても人は風になれないし、
太陽になれません。
「能力を磨け!」とか
「XX能力を身につけろ!」
みたいなことを親や学校はかまびすしく言いますが、
知識や情報そ素材にして作られた能力は、
やはりモロいものだと思います。
もちろん、それはそれで人間社会の中ではあったほうが都合がいいのでしょうが、
あまり買いかぶり過ぎるとしっぺ返しをくらいます。
たとえば環境問題にしても、
人が勝手に作り出した人工的な能力を至上の価値と見るところに問題の根っこがあるわけです。
by. 桜井章一氏
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能力とは自然に近づいていって深いところから呼び覚まされるもの、
つまり先祖が自然の中で動物と対等に生きていた時に持っていた力だと思うのです。
それは、何かから取ったり作ったりするのでなく、
元々あるものを取り戻すものなのです。
「自信がない人」と「自信過剰な人」。
まったく正反対に見える2人ですが、
共通するものがあります。
by. 桜井章一氏
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それは、ともに自分を等身大でとらえていないということです。
自信とは、己を信じるのではなくて、
等身大の己を知っているということだと思います。
それが本当の自信です。
等身大で己をとらえることがなぜいいのか?
それは、自分の限界がわかるからです。
by. 桜井章一氏
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限界がわかれば、
「じゃあ、次どうしようか」となって工夫をしたりして次に進めるわけです。
けれども欠点が多くて自信が持てない人は、
自分の弱点をそのまま見ることが出来なくて正当化することばかりします。
だから自信がない人は、
たとえ自分をみすぼらしく感じても、
それをありのまま受け入れることです。
そうすればそこから何をすればいいか、
少しずつ見えてくるはずです。
by. 桜井章一氏
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自信も変化するものです。
今日の自信は明日の自信を保障しません。
たえず変化する己を等身大でとらえること。
それが自信となり、
そこから強さが生まれてくるのです。
勝負に強い人が「手の内を見せる」
こともそれと同じで、
そこには気持ちのいい伸びやかな強さがあります。
by. 桜井章一氏
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たしかに、相手に隠していた戦略や武器は不意を突いたり、
密かに準備を進めて相手に先んじることもあるかもしれません。
しかし、強くて余裕があればそんな必要はないのです。
たとえ、手の内を明かしてその人の欠点が知られても、
逆にその弱いところで闘えるほどの強さを持っています。
反対に言えば、強くなるには気持的に「素っ裸」
でいつもいられるようにすればいいということです。
そういう気持ちでいるほど、
その人の力はどんどん伸びていくはずです。
by. 桜井章一氏
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