■人生を変える美しい勝ち方 -宝島社-
瞬間、瞬間に気づき、動き、済ませる。それが「間に合う」です。済ますことが出来れば、余計なものがない「澄んだ状態」になります。強さとは、きれいなものも汚いものも、いいものも悪いものもすべていったん呑み込んだ上で出てくるものだと思います
瞬間、瞬間に気づき、動き、済ませる。
それが「間に合う」です。
済ますことが出来れば、
余計なものがない「澄んだ状態」になります。
「澄んだ状態」になれば五感も澄み、
より気づくことが出来ます。
それによってまた「間に合う」動きになるといういい循環が生まれます。
by. 桜井章一氏
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ダメだなと思う人を見ていてよくわかるのは、
いつも「これからやります」という姿勢になっていることです。
逆に出来る人というのは、
今出来る人です。
今この瞬間に「片付ける」「間に合う」
ことの出来る人なのです。
けれども私は、
その汚さをよけようとはせず、
自分の中にいったん呑み込んでみて、
ダメなら吐き出せばいいと思っていました。
by. 桜井章一氏
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そうすることで、
本当にきれいなものが何かということをつかんでいった気がします。
強さとは、
きれいなものも汚いものも、
いいものも悪いものもすべていったん呑み込んだ上で出てくるものだと思います。
きれいに見えるものでも実際は汚かったり、
汚いものの中にも一抹のきれいさが潜んでいたりします。
あらかじめ、これは汚い、
あれはきれいといった分け方をせずに、
いったん受け入れて上で選び取るぐらいの懐があったほうが、
人としては強くなります。
by. 桜井章一氏
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その雑種性や寛容さがアメリカのある種の独特の強さを作っていることは間違いありません。
それ(日本)は汚いものや都合の悪いものを除いて出来上がった無菌培養の空間のような気がするのです。
そこには、ひたすら人工的なものだけでこしらえたゆえのモロさも強く感じます。
あまりに禁じるものが多いと、
人は弱くなるのです。
by. 桜井章一氏
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ダメなものも悪いものもすべてが混在した世の中に人は住んでいるわけですから、
それを単純にマイナスとして排除していると免疫力がなくなります。
きびしく禁じるのではなく、
もう少しゆるやかな構えで接し、
間口を広く持つことが大事なのです。
そんな時(負けが込んでいる)は自信を失い焦っているので、
全体がよく見えていません。
大きく勝ってやろうという気持ちは、
読みを間違えた無謀な動きになりがちです。
by. 桜井章一氏
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むしろ、負けが込んだ時は、
大きな勝ちを狙わないで、
とりあえず小さな勝ちを一つでも取ることです。
ともかく小さな勝ちでも取って少しでも自信をつけることがまず大事です。
それを足場にして少しずつ小さな勝ちを積みかさねていくようにするのです。
そうしているうちにいつか大きな勝ちを狙えるチャンスが必ずまたやってきます。
by. 桜井章一氏
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ルールの裏をかいくぐるようなテクニック、
インチキなごまかし、
明らかな反則技といったものは、
すべて弱さから生まれます。
自分たちに大きな弱点があるのがわかっているので、
そんなことをやってしまうのです。
そんなトリックは弱点があることを自ら言っているようなものですから、
弱いその穴を抑え込んでしまえば相手はそれまでです。
ごまかしや卑怯なテクニックは、
やっている当人は一つの才能や武器と思ったりするのでしょうが、
その上をいく人間からすれば致命的な弱点です。
by. 桜井章一氏
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それに気づかれたら何も使えなくなるという手も足も出ない状態になって、
一巻の終わりなのですから。
勝負において弱点や急所を見つけることは大事なポイントになります。
けれども、そこを攻めるには攻めるなりのルールがあります。
それが出来るかどうかが、
勝負の質を決めます。
by. 桜井章一氏
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相手の弱点を見つけて
「お前の弱点見つけたなり」
で勝負が終わるのは、
出来るもの同士の闘いです。
急所、弱点はたしかに攻めどころですが、
そこばかりを何度も執拗にやるのは、
卑怯な勝ち方になります。
卑怯な勝ち方とは弱い人の勝ち方です。
相手の弱点とどう接するかは、
そのままその人の強さをはかるモノサシになるのです。
by. 桜井章一氏
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アメリカなどを見てもわかりますが、
今の世の中で強いとされるものはみんな人から分捕る強さです。
そういう強さをテーマにしている限り、
世の中はいつまでも分捕りあいのシーソーゲームです。
そこには、少しでも分捕って前へ進まないと、
たちまち弱者になってしまうのではないかという恐怖があるのだと思います。
しかし、「獲る」とか「貰う」のでなく、
「与える」というふうに発想を変えていくことが、
ホンモノの強さをもたらします。
by. 桜井章一氏
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ただ、その子の身体の悪い場所に無心に手を当てるだけなのですが、
目の悪い子がはっきりと目が見えるようになったり、
骨の異常で足を引きずっている子が普通に歩けるようになったりするのです。
面白いことに、その時、
相手に共振して私まで目がよくなって普段読めない文字が読めるようになったりするのです。
ホンモノの強さとは人から分捕らなくても、
自分で何かを作れることです。
いくらでも作れて溢れ出るから人にも与えられる、
これが真の優しさだと思います。
by. 桜井章一氏
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朝令暮改は「朝に言った命令を夕方に変える」
という意味で、
人の信頼や期待を裏切るよくないものと思われていますが、
私はそんな悪いことではないと思います。
むしろ一度言ったことをずっと変えないことのほうが問題は多いのです。
ものごとはたえず変わるもので、
人間関係も会社のような組織も時代の環境も刻一刻と変化しているわけですから、
そこで変わらなければマイナスのほうが大きくなってしまいます。
その意味では信念もあまりいいことではないと思います。
by. 桜井章一氏
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朝令暮改はダメで信念はいいとする考えの底には、
不変というものに安心を見出したいのかもしれません。
しかし、本当に不変なのは、
絶え間なく変化してやまないに「無常」そのものなのです。
ただ、人は変えないほうがいいものもあります。
その人が大事にしている人間やものごとはそう簡単に変えるべきでないでしょう。
by. 桜井章一氏
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朝令暮改でとくに人から批判されるのは、
その人が立っている軸まで変えてしまう時です。
けれども軸自体が間違っていれば変えてもいいのです。
人としてブレていけない軸があるとすれば、
それは「人も自然である」
という認識だと思います。
そんな軸があった上で変わっていくことが、
強さを作るのだと思います。
by. 桜井章一氏
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