■賢い身体 バカな身体 -講談社-
自然は毎日、変わる。勝負も同じです。その場の瞬間、瞬間の感性で動いていく。恵みっていうのは、自然からしかもらえないものです
自分すら知らない人なんて恥ずかしいことですよ。
とても自立どころではない。
しかし、究極のレベルで言えば、
自覚はできてきも、
最終的には人間社会での自立というものは不可能ですね。
その意味で「自分で立つ」という感覚は、
誰しも完全な状態では一生持てないんじゃないですかね。
その上で自立というものをめざしていくということなんでしょうね。
by. 桜井章一氏
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お金も物もあふれるほどたくさんあるのに、
社会に余裕がない。
人に余裕がない。
つまり、遊びがないんですね。
世の中のベクトルが便利や効率といったものを追求していく限り、
それに付随して生まれるマイナスの問題が、
ますます増えていくことは間違いない。
でもせめて、心だけでも、
もともと歩いていた道を向くようにしていけば少しはましかなと思う。
by. 桜井章一氏
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海に潜ると同じ場所でもぜんぜん違う種類の魚がいる。
自然は毎日、変わる。
勝負も同じです。
変わるから前もって勝負のために準備をするのではなく、
その場の瞬間、瞬間の感性で動いていく。
あと1メートルでゴールという相手を、
こっちはあと100メートル走らなければいけないところからヨーイドンとなって追いかけるような勝負があったり、
小結クラスのやつが運を持つことで横綱に簡単になってしまうこともあるという世界なのです。
by. 桜井章一氏
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麻雀は相手とはじめに触れ合うことで、
こいつはできる、
できないというのが瞬間的にわかる。
牌を置いた音や感触、持ち方で、
「こいつはこれくらいだな」
というレベルがわかってしまう。
点棒が増えても、
運で増えているときと、
力で増えているときがある。
力はあるけど、
いまは力が出し切れなくて運が勝っているとか、
力がもともとなくていまは運でやっている、
といったことが量れる。
by. 桜井章一氏
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麻雀はそれこそ小学生に大人が負けることだってありますからね。
人生のように、
不条理や矛盾とか見えない裏の面が非常に多いと思います。
昔、新宿を根城に代打ちをしていた頃、
一人、すごい人に出会いましたね。
神様に近いような人。
ふだんは居酒屋の親父をやっているんですよ。
by. 桜井章一氏
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居酒屋の親父にしては、
ひどく大人しくて優しい感じで喋る人なんです。
芸術家のようにもの静かで、
仏像の絵が上手なんですが、
実は刑務所務めの長い、
大きな組織のヒットマンだった。
あるとき、「ありがとな。俺、行ってくるわ」って。
それで「どこに行くのかな」と思ったら、
新聞沙汰になるような大きな事件を起こして死刑判決を受けていた。
by. 桜井章一氏
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義理を感じたり、
何か匂いを感じたとき、
組織の論理でなく自分の判断でサッと動く人だったんだと思う。
その人と麻雀をやったことがあるんですが、
いつもアガらないんですよ。
でも「弱くてアガんないんじゃないな」ってわかるんですね。
こっちも途中でアガるのを止めて、
二人でそろってアガらなくて、
他の弱い二人がアガったこともありました。
by. 桜井章一氏
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そしたらちゃんとわかってて、
「章ちゃん、合わせるね」
って言っていた。
そんな人、いまはいないですね。
途方もなく社会が複雑であるがゆえのさまざまな問題にしても、
先生がよくおっしゃるようにいつも加害者でありながら被害者でありうるという側面を持っている。
つまりどんな立場にいようとけっして無傷できれいな身でありえないということです。
by. 桜井章一氏
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少なくともそのことは自覚して生きていきたい。
そして、「人が人として生きることは、それだけですごい」
ということに気づけば、
それは誰がなんと言おうと、
この世界を見事に生きているんだと思います。
みんな、人より抜きんでよう、
勝とうとして、
華やかなほうにばかり気を取られて、
足元の生活をおろそかにしている気がします。
でも、あたり前の日常というのは奇跡のようなことなんですね。
by. 桜井章一氏
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そこにこそ生きる根っこがある。
それは根であるゆえに深い。
深いというより無限の長さを持っているかもしれない。
そのことにいつも素直に驚き感動できれば、
いい生き方をしていると思いますね。
そして深い呼吸とともに、
この瞬間、
自分が無数の多くの人や自然界の無数の生き物とともにあることを感じる。
by. 桜井章一氏
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そんな心境で生きれば、
何気ない日常も活き活きとしてくるし、
本当の意味で心の自由さを保てるんじゃないでしょうか。
伊豆では海に潜って魚と毎日遊ぶのですが、
そうやって自然の中へ入っていくのは、
結局、自然から恵みをもらっているということなんだなと思いますね。
みんなお金の豊かさだとか、
愛の豊かさだとか、
豊かさがいいことだと思ってそればかり一生懸命求めているけど、
ぜんぜん恵まれてはいないんですね。
恵みっていうのは、
自然からしかもらえないものです。
by. 桜井章一氏
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あるいは、自然さをたくさん持っている人からもらえるものです。
お金の豊かさをいつも追求している人は、
一方でどんどん恵みがやせていくんですね。
愛でも優しさでも豊かさを求めている人は、
心が飢えているってことじゃないですか。
でも優しさや愛の豊かさを求めてる限り、
その飢えは埋まらないと思います。
by. 桜井章一氏
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最終的には人は自然のなかに入って、
自然の恵みをもらうべき存在なんだと思います。
どんな人だって自然には敵わない。
自然の前では、
人の世界ではすごいと思われている人でも、
大したことないんですよ。
だから、自然からこそもっとも多くのことを学べるんだと思います。
by. 桜井章一氏
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たとえば私は海に潜るときも、
酸素ボンベなんかの器具は一切つけないで潜るんですけど、
それは自然と接するときは直に触れたいからなんですね。
何か機械を使って自然に入っていくのは卑怯な気がするんです。
自然の動物はみんな何も持っていませんから、
それと同じであるべきだと思うんですよ。
そうやって自然に入っていったほうが、
たくさん恵まれます。
だから、知識だの科学だのと、
そっちへ行っても恵みはないんですね。
by. 桜井章一氏
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