■賢い身体 バカな身体 -講談社-
目的でなく経過を大切にしろというのはそこなんです。いつも遊びが中心にある。厳しくても「すくすく伸び伸び」と成長するような持って生き方をしないといけない
学ぶということは本来、
高度なレベルに行こうということだと思います。
求めるべきは安住や安定でなく、
試練や困難なんじゃないでしょうかね。
難しいところ、厳しいところ、
危険なところに向かっていかないと、
人としてより上には行けないと思いますね。
目的でなく経過を大切にしろというのはそこなんです。
by. 桜井章一氏
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でも過程を楽しむ感覚があれば頂上に向かう一歩一歩に味わいがあるわけです。
そのときそのときにやるべきことをやったという感じが強い。
やっているうちにはたと気がつくとこんなことができるようになったというふうなんです。
甲野先生もよく言われていることですが、
結果的にそうなった、
自然な感じでそうなったというのが一番いいことなんですね。
by. 桜井章一氏
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それは、結果も考えずにいいことのようだからやるという、
「いいこと病」というやつですね。
子どもの頃からまったく自然と離れた生活を送るというのは、
教育面から言ってもかなりマイナスだと思います。
甲野先生もよくいうように、
生きているっていうことは、
もうすでにリスクのあることなんですよ。
人も生き物なんだから、
リスクを味わって楽しまなきゃ。
by. 桜井章一氏
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困難は友達だと思ってるくらい。
厳しい道とやさしい道があれば、
厳しい道を選ぶべきなんですよ。
反対に厳しい道を選んでいると、
厳しい局面に出くわしても、
それが楽に対処できるようになるんです。
厳しいほうを選ぶと、
いろいろなことが楽にできるようになり、
やさしいほうを選ぶと、
物事を難しくしてしまうことになるんですよ。
by. 桜井章一氏
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私の場合、人からよりも自然から学ぶことのほうが圧倒的に多いので、
教育という言葉がどこか重苦しく感じるところがあるんです。
「本当に動かなけりゃいけないんだ、
気づかないといけないんだ」
ということがストンとわかったんだと思う。
自発的に気づかせるように教えるということが、
とても大切だと思います。
そういう教え方をするには遊びの感覚や一見遠回りするような余裕があるといいんだと思いますね。
by. 桜井章一氏
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私は麻雀の勝負でも仕事でも、
なんでも遊びの感覚でやっています。
たとえ真剣な勝負でも、
真ん中には遊びの感覚がある。
いつも遊びが中心にある。
だからといって、
不真面目にやっているわけではない。
by. 桜井章一氏
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仕事でも遊びでも真剣に遊んでいるんです。
遊びの感覚でいくと、
麻雀の指導でもこうしなさいという鋳型にはめていくような固い押しつけでなく、
それこそ教わるほうが自然と気づいていくような教え方になるんですよ。
その人のまわりに大きな円を描いてあげて、
ちょっと手を伸ばしてごらん、
といった感じです。
もちろん指導には厳しさも大事ですけど、
そこで間違えてはいけないのは萎縮させてしまう教え方をしないことですね。
by. 桜井章一氏
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厳しくても「すくすく伸び伸び」
と成長するような持って生き方をしないといけない。
雪の厳しさがないと、
その山菜もいい味が出てこない。
結局、自分(指導者と呼ばれる人たち)の権力欲満たしたいんでしょうね。
厳しい練習を厳しくやるような人はそんなに伸びないんです。
by. 桜井章一氏
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苦しみながらうんうん言って練習をするより、
楽しみながら練習したほうがずっと伸びます。
いい結果が出れば誰でも楽しい気分になりますよね。
つまり練習のときから楽しんでやれば、
いい結果も生まれやすいということです。
もし、練習が大変だなと思ったら、
遊び心が持てるような工夫をあれこれ自分なりにすればいいんですよ。
by. 桜井章一氏
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でも人間は、
言葉を使って「愛」と言ってみたり「憎しみ」と言ってみたり、
みんなが自由勝手にそれぞれ意味を作り出すから、
巨大な矛盾を抱えてしまうことになる。
人は論理的に考えるから矛盾を起こすけど、
自然の生き物は、
人の論理など関係ないところで生きているわけです。
人間は哺乳類の中でもっとも未熟な状態で生まれてくるそうです。
言葉を使う能力を持ったことで文明が生まれ文化が創られたわけでしょうけど、
それによって人間は自然とは本質的に矛盾する宿命を背負ってしまった。
by. 桜井章一氏
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であればこそ、矛盾に直面しても、
いちいちそれにひっかからないで、
いっそ矛盾を矛盾として生きる覚悟のようなものが人には求められるんだと思いますね。
文字通り、命を大事なものにかけるから
「命がけ」なんですよ。
人間は社会や文化をつくり、
法律や会社やお金やいろいろなものに守られています。
でもそのことが人を弱くしていると思う。
by. 桜井章一氏
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だから、人が命というものに思いを馳せるとき、
あたり前に自分たちを守ってくれていると感じているものを、
いったんチャラにして考えてみるといいと思いますね。
人のなかにそういうもの(異質なもの弱いものに対する攻撃衝動)があたり前にあるんだという感覚を持っておくことなんでしょうね。
マングローブは長い実をつけるんですが、
親の木が「こいつは強い子だな」と思うと、
先を尖らして落とすんだそうです。
それが地面に突き刺さって、
そこからまた一本の木になる。
by. 桜井章一氏
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反対に「こいつは弱いな」と思うと、
先を尖らなせないで革に流れるままにする。
流されていった実は、
競争相手のいないところで根を生やして生長していく。
人から見れば差別的な感じがしますけど、
まったく自然の摂理なわけです。
人は子どもを分け隔てなく育てなきゃいけない。
by. 桜井章一氏
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それが優しさや思いやりと思われたりするわけですけど、
それは人が勝手にそうしているだけであって、
自然からすれば見せかけの優しさだったりするかもしれない。
世間の表面的な常識に従ったきれいごとだけですませようとしていると、
おかしなことにもなる。
少しでもそうならないようにするためにも、
人間社会の問題を自然の観点から見ていくのは大切なことだと思いますね。
人間の心っていうのはナマものです。
ナマものって便利じゃないんです。
ナマというのは自然ですから、
どんどん形を変える。
だから自分の手中に収まらないし、
またそもそも収める必要もないんです。
by. 桜井章一氏
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