■賢い身体 バカな身体 -講談社-
何か手に入れたいとか思っているものがいろいろあるうちは、嘘やごまかしがつきまとうものです。ほんの一息吸うように、欲を軽めに持つと楽々と生きられるんだと思いますね
私はかねがね、「部分は病」
と言っているんですが、
物事を正しくとらえるには全体感が必要です。
部分だけを見て思考したり、
何かを行ったりしても、
バランスの悪いズレた見方しかできません。
こういう断片化された情報や知識が増大していく状況を、
世間では進化といっているわけでしょう。
知識文明は進化しているかもしれないけど、
自然としての人間はむしろ退化しているんじゃないですか。
by. 桜井章一氏
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携帯電話は好きなときにどこでも誰にでも連絡がとれ、
話ができる便利なものとみんな思っていますけど、
じつはすごく人間関係を不便にするものだと思いますね。
家や会社などの点と点を結ぶ線は、
携帯電話の突然の出現によっていつも振動している状態です。
携帯電話が唐突にかかってくるのは、
相手が自分の家に勝手に入ってくるようなもので、
お互いに相手の陣地に侵入したり、
されたりしているのと同じことだと思います。
これは目に見えない戦争です。
いつも戦争だから、平和なんてないんですよ。
by. 桜井章一氏
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だから、現代人はみんな不安だし、
寂しいんでしょう。
先に寂しい状態があって、
だから人とつながろうと思って携帯電話やメールをするのではなく、
携帯電話で張り巡らされた無数の線がいつもいつも揺れて不安定だから、
寂しくなるんだと思います。
よくあることですが、
喫茶店で話をしている相手に携帯電話が鳴って、
その人が話しだしたら、
こちらは手持ち無沙汰で間が抜けた状態になるじゃないですか。
なんでみんなそれが平気なのかと思う。
by. 桜井章一氏
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これは言ってみれば、
並んで待っていたのに割り込みをされたようなものですから、
それをされた相手にとっては面白くないのはあたり前だと思うんですがね。
現実に会っている相手に集中するから関係は深まっていくのに、
その現実の相手を放っておいて、
目に見えない他の人間とつながれば、
関係はただ薄くなっていくだけだと思いますけどね。
こうやって生活の中で携帯電話でいつも割り込みや侵入ばかりし合っていると、
いま言ったように、
いろいろと問題が起きるのに、
そのことにみんな気がつかない。
仮に、部下に直接の責任が100パーセントあっても、
責任を感じてとるのがリーダーです。
by. 桜井章一氏
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そんな気概も何もない姿を子どもが見ていたら、
大人になってもこんなもんでいいんだと思うだろうし、
その意味で計りしれない悪影響を与えているんじゃないでしょうか。
何かあればすぐに「~のせい」と言って、
人や社会のせいにする者がやたら目立ちますね。
また、「~のため」と言って、
人のため、社会のためと思いすぎると、
それがひっくり返ったときに、
「~のせい」にしてしまうこともけっこうある。
「これだけのことをやったのにそれに応えてくれない、ひどい」
となるわけです。
by. 桜井章一氏
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だから人のため、
社会のためというときは、
ある種のバランス感覚が必要だと思いますね。
何か手に入れたいとか思っているものがいろいろあるうちは、
嘘やごまかしがつきまとうものです。
手に入れたいものって人から奪わなければいけなかったりしますから。
だから、あんまりいろいろなものを欲しがったりすると、
ごまかしの多い嫌な人生になってしまう。
by. 桜井章一氏
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大正時代のことだそうですが、
あるお坊さんが刑務所の講堂で大勢の囚人を前に、
「みなさん、みんな仏の子だ。浄土で逢おうよ」
って言って、ただ合掌して引き上げたら、
その後、その場にいたほとんどの囚人たちが1時間くらい、
すすり泣いていたという話があるんです。
それを言うのに10秒とかからない短い言葉で、
みんながずっと泣いていたというのは、
その人の中に「みんなのためにこうしてやろう」
とかいうものを遥かに超えた、
他人の幸せが自分自身の幸せという、
ふつうの人間では到達できない思いが、
ごくごく自然な感覚としてあったんでしょうね。
本当にすごい!
というか、
見事!
というしかありませんね。
by. 甲野善紀氏
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何を欲するか、何を取るかは、
自分の正直な心に聞いて決めるべきなんだと思いますね。
人が持っているから、
人が欲しがっているから、
自分も欲しいということはあまりしないほうがいい。
いまは、何かを取るのにうまいかどうかでその人が評価される。
国同士でも取り合いっこが国家の大きな役割と機能になっている。
by. 桜井章一氏
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その調整を外交と称しているわけですね。
石油を取る、
天然ガスを取る、
食料を取る、
ドルを取る、
土地を取る、
会社を取る、
人を取る、
世界史というのは取り合いっこの歴史ですよ。
取ったもん勝ちみたいなところがある。
ヨーロッパの国々なんて人の国をさんざん取っておきながら、
偉そうな顔をしているわけです。
by. 桜井章一氏
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あそこ(アメリカ)は自由の国とか言っていますが、
要は、人のものをいくらでも分捕るのが自由と言っているようなもんだと思いますね。
正義や自由や民主主義といった理念や思想も、
分捕ることを美化するための道具なんです。
取ることがすぎると、
ものだけにとどまらないで、
人を傷つけて他人の自由を取ったり、
生命まで取るようになるから怖いもんです。
取ることがすぎると、
病になるということですよ。
by. 桜井章一氏
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でもそれを病とはみんな思わないから、
よけいに根が深くなる。
一杯一杯の欲を持つと苦しくなって病になっていく。
ほんの一息吸うように、
欲を軽めに持つと楽々と生きられるんだと思いますね。
己の分を知っていれば、
その分だけ取って生きることができるんだと思う。
by. 桜井章一氏
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みんなそこらじゅうで分捕り競争して、
それなりのものを各自取っているんでしょうけど、
ぜんぜん楽しそうじゃない。
むしろ疲れているように見えるし、
そういう意味で「分を知る」
ということをもう少し知ってほしいと思いますね。
「自分の分を心得ている」
ということから本当の自由の感覚は出てくるんだと思います。
それは、つまるところ、
「生き物としての分」
ということなんでしょうね。
by. 桜井章一氏
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自立が大切って言うじゃないですか。
でも自然から離れて自然から自立してしまうのはまずい。
反対に自然に寄りかかることが生き物としての人間の自立なんです。
他に寄りかかっていないから自立していて自由度が高いということに単純にならないと思う。
by. 桜井章一氏
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寄りかかるという言葉に、
何かよくないイメージがあるのなら、
寄り添う、
と言えばいいのかもしれません。
とにかく自然から離れたらまずい。
だから本当の自立とは、
自然界の生き物としての己を知るということと、
人間界において自分を知るということ。
この2つを少なくとも自覚することですね。
by. 桜井章一氏
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