マナーや仕草っていうのは、相手を気遣うところからくるものです。制するのではなく、収めるという感覚を持つようにしています

■賢い身体 バカな身体 -講談社-

マナーや仕草っていうのは、相手を気遣うところからくるものです。制するのではなく、収めるという感覚を持つようにしています

マニュアルに陥らないためには、
自分の生身の身体を使って生きていく感覚、
生身の感情、生身の思考をするということですが、
なかなかそれができない人が多い。

安全なように見えるけれど、
世間を覆っているその安全という蓋を開けると、
たとえば環境問題のような人類にとってかなり危機的なものもスッと顔を出してきます。

もともと、人が生きていくことはリスクがあることなわけで、
それがいろんなものに守られすぎて見えなくなっていることはかなり問題があります。

だから逆に、
生に意気をつける、
ふつうに言われているのとは違う意味合いで生意気にならないといけない。


by. 桜井章一氏

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危機感を持っていれば自然と意気はついてきますよ。

意気があるっていうのは、
「粋」だし、
「活きがいい」ってことなんです。

マニュアル的な生き方というのは意気を失わせます。

マニュアルは生きることを機械のようにしてしまいますから。


by. 桜井章一氏

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意気があれば、
また生きていく上で大事な臨機応変な対応というものもできてくるんじゃないかと思いますね。

マニュアル的な感覚で生きているいまの人たちというのは、
自分を律するルールを自分で持っていないから、
いったんタガが外れると外に対して暴力的なエネルギーを出したりするんですね。

楽しい仕事をしているんだったら、
多分、楽しくお酒を飲んで楽しそうに帰ってくると思う。

昼間の仕事に人としての誇りをいくらかでも持っていたら、
深夜の電車で酔っ払って荒れるようなこともないんでしょうけどね。


by. 桜井章一氏

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でもそのストレスの状況を、
少しでもやわらげていくものの考え方や行動が必ずどこかにあるはずですから、
それに負けて、
人としてのルールも失っていくようなことだけはしてほしくない。

マナーや仕草っていうのは、
相手を気遣うところからくるものです。

江戸には庶民が身につけて「江戸仕草」と呼ばれるものがあって、
他人と接するときのスマートな立ち居振る舞いを習慣的に持っていたんですね。

他人に対するそんな身体の感覚を持っていれば、
自然とどんな場面でもいい仕草ができるわけです。


by. 桜井章一氏

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仕草がいいというのは、
空気が読める身体の使い方ができるということでもある。

言わば臨機応変に振る舞える身体ということだと思う。

仕草がいいというのはまさに品がいいということです。

品は頭で考えて品よく振る舞おうというのではダメで、
身体の仕草から入っていってこそ本物になるんだと思いますね。


by. 桜井章一氏

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逆にみぞおちを自在に緩ませられるような身体であれば、
不快に感じなくてすむ。

いい勝負をするには心構えが大切だとよくいうんですが、
同時に身体構えも大事なんですよ。

サメでも豹でも、
彼らはいい体構えをしていますね。

本能に従って動くから、
1ミリの無駄もない美しい動きになるわけです。


by. 桜井章一氏

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こういう素晴らしい動きをする身体を、
「身体が構えがいい」というんです。

つまり、いい身体構えとは次の瞬間、
どんな状況にも対応できる柔らかさと速さを持った身体なんです。

そういう身体を持っている人は心構えもちゃんとできているものです。

そういう意味で、
身体と心は同じもの、
という言い方ができるんでしょうね。


by. 桜井章一氏

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ところが、いまの世の中、
まずいのは精神論が流行りすぎてしまっていることですよ。

精神論だけだと、
頭でわかったような気になってそこで満足してしまう。

だからこれからは精神論ではなくて、
身体で覚えていく、
生きた知恵を身につけていくことを意識してやっていくべきだと思いますね。

いまはお金は入ってくるけど、
心のゆとりも仕事への厳しい誇りもない。


by. 桜井章一氏

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「粋」を感じるのに人種は関係ない。
外国人にもそれはわかる。

プライドっていうより、
魂なんでしょうね。

職人が作る道具っていうのは、
身体と心が一致して、
そこに生まれるものなんだと思います。

そういう点で道具っていうのは、
職人の魂や感性がもっともストレートに現れるものなんでしょうね。


by. 桜井章一氏

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海の生物はヒラメでもタコでも、
外敵が近づくとサッと身体を変色させて、
岩や砂と同化します。

存在感をスッと消すことができる。

人間も同じように気配を消して、
存在を気づかれないようにすることはできます。

今日は誰にも気づかれずに道場に入って行こうと思って行くと誰も気づかない。


by. 桜井章一氏

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何人かは顔をこっちへ向け視界に十分に入っているはずなのに気がつかない。

人から「あの人はいい存在感があるね」
と言われるような生き方をしていることが大切だということです。

「いい存在感」は、周囲の空気、
相手の空気を感じる力のあり方から作られるものだろうし、
その人が生きているということ、
あるいは生きる姿勢そのものが直接出てくるものですから。

総理大臣とか社長とかヤクザとか、
レッテルや身分で人を一切見ないですから。


by. 桜井章一氏

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でも自分のなかでは、
大きく制してはいけないというのが非常にあるんです。

だから制するのではなく、
収めるという感覚を持つようにしています。

弱い立場にある人が不安な状態にあったら、
落ち着かせよう、
元に戻そうってなるんですが、
これはやはり、制するではなく、
収めるという感覚ですね。

収めるという行為は、
その場で収まればそれでお仕舞いでなく、
終わった後も後腐れがないところまでもっていくのが、
本当に収めるということだと思います。


by. 桜井章一氏

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「準備・実行・後始末」という流れがあれば、
自分のなかにすでにあるものが準備であって、
それをもって実行するわけです。

でも後始末がよくないと、
止めに入ったほうも、
入られたほうも後で嫌な気持ちになる。

ただ実行が強いだけではダメで、
その後始末も大切なわけです。

でも、気持ちがちゃんと入っていれば、
謝り方が気に入った、
わかったとなる。


by. 桜井章一氏

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向こうも嫌な気持ちがなくなって、
後腐れなく収まるわけです。

怒って興奮している相手を収めるというのは、
相手の間合いを外すことでもあるんですね。

専門家は自分の関心あることを部分でしかとらえないし、
専門家が何か言えば、
ふつうの人は「専門家が言っているんだから間違いないんだ」
となってしまうんでしょう。

そうなると、部分で切り取られた偏った世界をみんなでお互いに回しあうようなことになってくる。

かなりいびつな状態だと思います。


by. 桜井章一氏

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