■賢い身体 バカな身体 -講談社-
便利な環境が人間関係を不便にしている。自分で律する心がきちんとあれば、法律なんて本当はいらないんですよ
便利な感覚を追い求めていくと、
人間関係も便利にしようという感覚になる。
だから「利用できる人となるべくつき合いたい」
となるんだと思います。
そんなことをやっているからぎくしゃくして、
人間が壊れていくわけですよ。
そこには思いやりもなにもない。
by. 桜井章一氏
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実に殺伐とした嫌なものがある。
便利な環境が人間関係を不便にしている。
結果的に相手と深く関係を持つことも避けているんだけど、
その意味で人間関係が安っぽくなっているんだと思います。
机で学ぶ知識やゲームやインターネットばかりに接していて、
ナマの人間、ナマの現実に接する時間が少ない。
だから人間関係の呼吸もわかんなくてうまくいかないんですね。
by. 桜井章一氏
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自然の中の孤独ならいいんですけど、
本当のひとりぼっちの寂しさというところに入り込んでいる。
寂しくなれば自分にも冷たくなって、
人にも冷たくなるんです。
人間的に全体のバランスを磨いてきた者は人間関係においても柔軟だし、
タフなんです。
反対に、部分の筋肉だけを太らせるウエイトトレーニングみたいな人間関係だと、
部分と部分で相手とつながるからモロい。
by. 桜井章一氏
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なぜかというと、
そこだけに負荷ががかかるからです。
そうなるとすぐ弱るし不安定だし、
疲れてそのうちかったるくなってくるんですよ。
挙げ句の果てには、
「疲れるからこの人と今後つき合うのは嫌だ」
ってなるんですよ。
それを避けるために、
あらかじめ「ここの部分だけでおつき合いするならいいですよ」っていう、
偏った自己防衛的なつき合い方をするんですね。
by. 桜井章一氏
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たとえば、子どもが大人になっていく上で大事なことを学ぶ機会を「遊び」は与えてくれるわけですが、
いまの社会は子どもが自発的に遊ぶ機会を奪っているように思います。
そういう社会はたとえ物質的に豊かでも本質的に貧しいのではないか。
子どもにとっては不幸なことだし、
そういう意味で子どもは、
社会から本当には大事にされていないんじゃないかと思う。
いまは子どもが本来したいだろう遊びを大人の都合で制限することと、
大事にすることをはき違えている。
by. 桜井章一氏
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子どもにとって窮屈な大人だらけだと思う。
子どもが自然にその人の真似をやっていくわけじゃないですか。
大人も真似されるわけだから、
「じゃあいいことをしよう。格好悪いことできないな」
っていうふうになっていく。
そういう人間関係があったからよかったんだけど、
いまは、そういうのがない。
by. 桜井章一氏
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格好いい大人って、
どこを見ても探してもいないじゃないですか。
甲野先生も俺も変わり者だからね。
変われるんだと思ったんじゃないですか(笑)。
親や教師は言葉で説明するけど、
先生は身体も同時に使う。
そこで何か響いたんでしょうね。
by. 桜井章一氏
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色気が出る、
格好よくなるっていうのは、
当然、表面的なところで言っているんじゃなくて、
いい生き方をしていれば、
その人の生きざまにおのずとにじみ出てくるようなものなんです。
手を加える必要は何もなく、
自然のままで格好いいのが本当の格好よさだと思う。
だから、私は人を見るときに、
自分なりの感覚で「格好いい」
ということがひとつの判断基準になるんです。
だからそういう人が本当に子どものまわりにいっぱいいてくれれば、
子どもたちは向かっていく方向がわかると思います。
by. 桜井章一氏
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仮に私がお金を持っていて、
そのことを格好いいと思われたら、
私の存在はゼロです。
麻雀できれいに勝つとか、
日常の中で男として決断し動いているさまを見て、
格好いいなと思われればそれでいいのです。
汚いこと、
卑怯なことをやっておいて、
言うことが違うじゃないかってなってしまう。
そんなことで感情が止められてしまっている子が多い。
by. 桜井章一氏
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とくに、子どものためと言いながら、
子どもを自分の見栄やお金の道具にしてしまっているような親を持っている子どもなんかは、
親への反感がひどかったりする。
そんな子たちから見て、
「俺の生きざまを見て何か感じるものがあればそれでいいかな」
と思ってます。
そこから彼らなりに答えを出してくれればいいや、
という感じですね。
その代わり、彼らに対しては、
「俺はおまえの親父なんだから」
っていうことはとても大切にしているんです。
by. 桜井章一氏
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結局は、いい学校を出て、
いい会社に入ってという決まりきったレールに乗っかってほしいということなんだと思うけど、
人生において何が本当に大事かを教わっていないから、
社会に出たら、
成功してお金持ちになるのが一番の価値なんだみたいな話になってしまうんですね。
いまは非常に狭い枠にはめられた似通った価値観のなかで人生を決めているような人が多いですからつまらない。
しかも、そんな他人の価値観に依存しているから、
肝心なことが抜けたまま、
みんな前へ進んでいる。
世間の価値観ではなく、
自分の実感から出てくるような価値観、
生きたナマの価値観でやっていくことこそ大切なんですよ。
by. 桜井章一氏
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キャッチボールは人間関係の基本なんです。
相手がミットを構えているところに言葉を投げる、
それを受けてまた相手がとりやすいところへ言葉を放り返す。
日本人は「恥の文化」で、
自分に非があれば恥ずかしいと思う伝統があったと思うんです。
でも残念なことに、最近は、
恥なんてものはなくなってしまって、
他人の評価などどうでもいい面の皮の厚い人間ばかりになってしまった。
by. 桜井章一氏
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でも、本来、人間同士のトラブルや社会のリスクというものは日常茶飯事のことだから、
子どもの頃からそれに馴れて、
自分たちで解決する能力を鍛えておかなければいけないと思うんです。
それには、自分たちで何かが起きたら解決するという遊びを、
子どもの頃からしておくことが大切なんだと思う。
本当は自分たちで解決すべきことなのに、
それができなくなっているというところにリスク対応能力の低下を感じますね。
マニュアルに答えを求めているような生き方は、
生き方としては本当に生きているとはいえないと思いますね。
by. 桜井章一氏
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本来マニュアルもルールもないのが人生ってやつですから。
そこに「卑怯」だとか「恥ずかしいことはしたくない」
といったものがあれば、
自然に自分が作ったルールになっていく。
何かやるにしても、
「このくらいで止めておこう」という、
律する心ができる。
だから、自分で律する心がきちんとあれば、
法律なんて本当はいらないんですよ。
自分でちゃんとしていれば、
それは破らなくてもすむわけです。
逆に法律を出してきたら、
人と人とのあるべき信頼関係はもうおしまいってことかもしれませんね。
by. 桜井章一氏
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