■未知の力を開く! ~気鋭の精神科医が「雀鬼流」を診断する~ -ゴマブックス-
だから私は、世間とは違ったものを道場生に与える。教えるということは焼け石に水なのだ。本当は「キレイごと」だけで生きていくべきじゃないのか?
世の中の人たちはなぜルールや常識に従い、
合わせるのか。
そこには自己満足や、
依存する気持ちがあるのだ。
それは支配する側の権力誇示の喜びと、
管理されている側の”楽”という喜びの均衡がとれているからだ。
教えるというのは気の長い作業だ。
毎日毎日の繰り返し。
by. 桜井章一氏
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乾いた石に水をかけ、
乾いたらまたかける。
しかしなぜこうも
かけた水が簡単に乾いてしまうのだろうか?
焼け石に水なのだ、
教えるという作業が。
道場生が毎日乾くのは、
世間が焼けているからなのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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だから私は、
世間とは違ったものを道場生に与える。
この社会に生きる以上、
乾いてしまうのは当たり前なのだと。
だから私は毎日
「冷たくていい感じがするだろ?」
と水をかけてやる。
そしてその石はまた乾く。
私はまた水をかける。
by. 桜井章一氏
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その繰り返し。
教えるということは焼け石に水なのだ。
だから今日もまた、
私は道場生に水をかける。
でも私はまわりを見渡しても一人ひとりがみんな違うし、
それぞれに対して「変だなぁ」と思っている。
そういう意味では、
みんなが”変”なのだから私も”変”なのだと思う。
by. 桜井章一氏
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だから私の中での”変”というのはある種、
それぞれの個性のようなものとして認識されている。
“変”というのは個性であり能力なのだ。
だから、私にとって”変”な人間はとても貴重な存在なのだ。
私が思う”いい女”。
それは”たからない女”だ。
by. 桜井章一氏
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愛とか思いやりとか、
すべてをひっくるめてたからない人がいる。
男女の関係では、
相手の愛情を試すためにいろんなことをする。
それがたとえ愛だろうが、
思いやりだろうが、
金だろうが、
モノだろうが、
たかっているのは蝿と同じだ。
愛情を確かめるためにたかり合っている男と女があまりに多い。
by. 桜井章一氏
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人間には依存心というものがある。
依存心は人にたかることを誘発するから、
極力そういう部分には気をつけなければならない。
私がいいなと思った”たからない女”は、
“愛とは尽くしなり”
という観念を持っているのだろう。
男女の関係のみならず、
人間関係すべてにおいて見返りを求めず、
相手に尽くす気持ちは大切だ。
by. 桜井章一氏
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“愛とは尽くしなり”。
正しいことをやり通す「キレイごと」。
自分の良心に従った「キレイごと」。
本当は「キレイごと」だけで生きていくべきじゃないのか?
難しいから、人は簡単なほうへ、
やりやすいほうへと流れていってしまう。
by. 桜井章一氏
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自分の良心を曲げてまで、
間違ったほうへと流れていってしまうのだ。
良心を曲げる、
良心を否定するということは邪心に負けてしまったということを意味する。
自分だけがうまくいくように嘘をついたり、
人を騙したり、
汚いことに手を染めたり、
そういった行動はすべて邪心が
発するものであり、
心の弱さからくるものなのだ。
心が強ければ自分が不利な時でも汚いことをせずに済む。
by. 桜井章一氏
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自分の良心に従い、
「キレイごとだけで生きていける」
人が増えれば、
今の世の中も少しは変わっていくはずだ。
ペンギンやオットセイが覆うの同類の中から
自分の子どもだけを見つけ出すあの感性。
自然の感覚。
ゲーム的感覚で麻雀をしている人はとても脆い。
流れを読まずにただ勝利だけを追い求めているからとても脆いのだ。
by. 桜井章一氏
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たくさんの選択肢の中から一つのものを
選ばなければいけない局面で、
ゲーム的感覚で麻雀をしている人は、
瞬間的に一つのことを選ぶことができないのだ。
私の場合は自然観が麻雀に入っている。
情報で判断、選択するのではなく、
その場の流れを感じて瞬間的に選択を行う。
もちろん危険もともなうが、
「何があるか分からない」
という感覚、
それがいいのだ。
by. 桜井章一氏
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便利になるのはいいが、
それと引き換えに
何か大切なものを失っていく気がする。
しかし元来人間はそうでなかったのに、
どうしてその方向(便利になる、進歩する)へいってしまうのだろう。
それが分かってきてしまうと、
私は自分の中に持っている感性が途切れていくような気がするのだ。
その恩恵(デジタル化)を自分が受けているのもよく分かっている。
by. 桜井章一氏
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でも、その流れに身を任せることに危機感がある。
危機感があるから抵抗しているわけだ。
本当は必要だったものをデジタル化でどんどん失う危機感。
大切なものを便利と交換しているような危機感。
そういったものを感じているのだ。
by. 桜井章一氏
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人間関係は遠く離れたり、
近付いたり。
毎日毎日それを繰り返してきた。
親子の関係で「友達の感覚でいるのがいい」
という考え方もあるが、
そうやって決めつけるのではなく、
近づいてやったり、
うんと離れたりすることも必要なのだ。
ただ、一段上に上がってしまうと今度は同じ目線で語ることができなくなってしまう。
遠い存在であるということだけを価値観にすると、
そこには埋められない距離が生じてしまうからだ。
だから親子関係や師弟関係で言うならば、
遠い存在でありながら、
身近に感じるというのが一番いいのだと思う。
by. 桜井章一氏
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