■壁をブチ破る 最強の言葉 -ゴマブックス-
まさに自然の摂理そのもの、そういうことこそ、私は才能と呼びたいのです。義理と人情はある面、人の値打ちをはかるシンプルで正確なモノサシです。生きていく基本が人間関係なのです
でも、会社という物体には心はありません。
心のないものに命を捧げてはいけません。
利益を得るためには手段を選ばない、
というのがたいていの会社です。
これはもう会社という組織の宿命といってもいいでしょう。
そして、会社の体質のなかでは、
自分の正しいと思ったことに従いたいという人、
良心のある人ほど葛藤があるはずです。
by. 桜井章一氏
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そういう人が、
自分を殺して会社勤めを続けたとして、
はたしてその人の人生はイキイキとしたものになるでしょうか。
生活の手段としての会社であって、
人生を捧げるような対象では決してないのです。
「考えるな、感じろ」
というのが私のやり方です。
考えると、
そこに計算が働いてきます。
by. 桜井章一氏
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損得とか、欲とか、ズルい気持ちとか、
そんなものが生まれてくるのです。
「計算高い」とか「計算づく」
といった言葉があるように、
自分の有利になるように物事を進めるための小ざかしい能力だとおもっています。
それに、計算というのは、
数字が大きくなればなるほど狂ってくるものです。
計算なんて、
ひとケタの計算がわかるぐらいでいいのです。
by. 桜井章一氏
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極端ないい方になりますが、
たとえばヒマワリが常にお天道様に向かって咲いているということ、
そういったことを私は真の「才能」
だと思っています。
まさに自然の摂理そのもの、
そういうことこそ、
私は才能と呼びたいのです。
将来にいい遺伝子といい環境を残していくことが動物としての人間の務めなのに、
人間は地球に住みながら地球を壊しています。
自分の首を自分で絞めるようなことをして、
さらに、何世代かあとの人類の資源までも収奪して生きている人間には、
才能などないのです。
by. 桜井章一氏
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もしかしたら、
そういう悪行を行う人間のセンスのことを、
いま「才能」と呼んでいるのかもしれません。
つまり、いまいわれている実力主義とは、
利益=おカネを至上の価値とする効率主義です。
いかに義理と人情を押し通すかで、
人間関係の正しいあり方が決まってくるような気がするのです。
義理の「義」というのは正義の「義」です。
正しい道のことです。
by. 桜井章一氏
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「理」というのは不変の法則のことです。
義理というのは、
人が不変に果たさなければならない正しい道のことです。
これが「義理」の本来の意味です。
一方、人情というのはそのまま「人」の「情け」です。
by. 桜井章一氏
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まわりの人への気づかいや思いやりです。
特に弱者に対して関心を持つという気持ちが込められた言葉だと私は思います。
義理と人情はある面、
人の値打ちをはかるシンプルで正確なモノサシです。
パソコンや携帯電話でとり囲まれる社会はますますデジカル化し、
それと比例して人間関係も浅く薄いものになってきています。
by. 桜井章一氏
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本来、目端が利くというのは、
その場その場の状況に応じて最良の判断をくだす応用力のようなことだと思います。
そういうこと(次に何が儲かるか)を「目端が利く」
とこの(ビジネス)世界では評価しますが、
人のためになるとか、
人を喜ばせるようないい仕事をする、
といった考えがそこには抜け落ちています。
人間関係というのはもともと喜びを生み出すものであるはずなのに、
彼ら、彼女らには、
まったく喜びなどはありません。
でも、人を悩ますいちばんの要素が人間関係なら、
人生を楽しくするいちばんの要素も人間関係だというあたりまえのことを、
決して忘れてはいけません。
by. 桜井章一氏
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生きていく基本が人間関係なのです。
人間関係の基本はまず自分のことを知ること、
そして相手に対して関心を持つことです。
反対に「いい人間関係」
をつくれる人は、
自然とあとから「成功」
がついてきたりするものなのです。
そういう利害関係のなかの人脈というのは、
とても薄っぺらで恥ずかしいものだと思います。
by. 桜井章一氏
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なぜ私が派閥を軽蔑するかといえば、
結局、自分たちだけがよければいい、
という発想だからです。
ひとりでは何もできないから人の数なのです。
そんな人脈は「利害」
を軸にしているので、
利害がなくなれば、
あっという間に消えてしまいます。
人脈づくりにエネルギーを注ぐのなら、
どんな状況でも変わらない「人脈」
こそつくるべきなのです。
by. 桜井章一氏
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なぜ適度な大きさではいけないのでしょうか。
際限なく「大」を求めたものは、
たいてい「病」や「狂」
に入っていく、
というのが私の持論です。
そして「病」や「狂」
があるところには、
必ず堕落や不正や犯罪が生まれてくるものです。
「大」のことは人間の手に余るのです。
「大」のことはヤバイのです。
by. 桜井章一氏
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つまり「大」になると、
よそから分捕らないとやっていけない、
という「悪」の構造に必然的になってしまうのです。
でも結局、
ウソというのは負のエネルギーです。
心に不安や欲がない人は、
たぶんウソにはひっかからないのではないでしょうか。
他人にバレなくても、
ウソをついた瞬間にそのウソは自分にはバレているのです。
by. 桜井章一氏
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それが負のエネルギーなのです。
そのことに気づくべきです。
ウソがないとうまくいかなかったり、
ウソがないと出世できなかったりする組織であれば、
そんなところには、
いないほうがマシです。
営業スマイルにも本当のスマイルとウソのスマイルがあるように、
自分たちの利益だけのことを考えて行動していると、
どうしても、ごまかしたり、たくらんだり、
邪心が働いてくるものです。
つまり、感情指数の高い人がそれを悪用すれば、
いくらでもそういうことができてしまうということです。
by. 桜井章一氏
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だから、感情指数を「ずる賢い指数」にしない、
ということです。
自分感情を知って相手の感情を知るということは、
とても大切な人間関係の基本です。
そして人間関係こそが、
人生に喜びをもたらすものです。
感情指数が高いということは、
人間関係の資質が高いということです。
by. 桜井章一氏
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