■雀鬼流の行動哲学 ~「狂」の時代を回避せよ~ -三五館-
だけど私は、「広がるものというのはろくなものじゃない」という考え方を持っている。勝負ってのは、やってみなければ分からない、ではなく、私に言わせれば、やる前から分かってるんです
みなさんある程度頑張れば、
富士山の頂上に近づけるし、
登れるんです。
武道を、思想の道を、
あるいはビジネスの道を通じて、
いろいろな道から頂上へ到達する人はいるんです。
ですが、道が違うということは、
頂上を極めたにしろ、
みんな同じではなくて違うんだ、
ということを認識していないといけない。
私の場合は、麻雀の道なんです。
違いがあるんです。
by. 桜井章一氏
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私は、これまでの人生の中で挫折感など一度も経験したことはないんです。
いつでも、その時その時を精一杯にやって来ただけです。
ですから、「あの時、もっとこうしておけばよかったな」
などという気持ちは起きない。
後悔や挫折がないというより、
できないんです。
by. 桜井章一氏
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自分の許容範囲以内で頑張るというのではなくて、
自分の許容範囲を広げていく。
プラスしていくべきなんです。
許容範囲を超えたことをやってこそ、
それを頑張りというわけです。
しかし実は、
やらない人間というのは、
辛いんです。
by. 桜井章一氏
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一所懸命、
いろんなことをやっている人間のほうが、
楽なんです。
たくさんのことができる人というのは、
幸せなんです。
私自身について言えば、
努力した結果、
頑張った結果、
今の私があるとは思っていない。
あらためて考えてみると、
私は、人のものを人より多くぶんどってきた人間だということです。
by. 桜井章一氏
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それを、私は自覚していなければならない。
人よりも、いろんなものを持ってるのは、
人のものをぶんどってきたからなんです。
決して、かっこいいものじゃない。
みなさんは、
頑張った結果であるとか、
才能があったからとか、
そういうふうに理解してしまうんでしょうが、
私は、自分で反省してますよ。
by. 桜井章一氏
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私の全ては、ぶんどったものなんです。
私は、盗賊みたいなものですよ。
しかし、私には一つだけ、
自分自身に対する戒めがある。
それだけは守っていますよ。
だけど私は、
「広がるものというのはろくなものじゃない」
という考え方を持っている。
by. 桜井章一氏
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宗教を広める、
などと言いますが、
広めるということは、
侵してることと同じことなんです。
そういう発想をどこかに持っていないと、
頑張ることは美徳だとか、
俺には才能があったんだと勘違いして、
いばりくさってしまうんです。
本当にすばらしいものというのは、
常識を羅針盤として生きている人たちに理解されるはずもないものなのだ。
ということは、逆に言えば、
多くの人びとに支持されるもの、
広がるものというのは、
大抵の場合、
内容の薄っぺらなものなのである。
by. 桜井章一氏
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本物や一流の人を理解するのは、
同じく一流の人か、
その域に近い人だということである。
たとえば、将棋の「名人」
などという免許や称号は、
自分たちの組合で作ったものであって、
世間が与えているものじゃないんです。
ほんとうに誰もが認めた名人だということで与えた称号ではない。
まだ配牌の前ですが、
その四人をパッと見ると、
「最初は場所で動く」、
つまりで動くというのが分かるわけです。
by. 桜井章一氏
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努力した者が勝つんだとか、
いままでに頑張った人が勝つんだとかではない。
「地で動く。
この場所に座った奴は、工夫も努力もしなくても、絶対和了れる」
「こいつはいくら工夫と努力しようが、じたばたしようが、ここに座ったら和了れない」
というのが分かるんです。
「地のものがどう流れているか。
あ、こことここだな。
こっちと、こっちには動いてない。
でも、これは地運のまんまじゃないぞ。
いよいよ半チャン二回の終わり頃に、これは人に変わってくるぞ。
今度は人の動きで麻雀が変わってくるぞ」
どういうことかというと、
いままでツキ(天運)のないところへ座ってた人間が、
今度はツキのあるところへ座るので、
そいつが勝つことが分かるんです。
by. 桜井章一氏
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その前に、地運で動いているときに、
誰かがナイス・プレイをするか、
あるいは大失策をするかで、
人が動いてくるんです。
いいことだけではなく、
大失策も、人を動かすことがある。
みなさんはただ、
今日は運があるとか、
勝ったとか強かったとか、
そう見るんだろうけど、
私は、配牌など見ない。
配牌が動く前に前もって見て、
これから起こることが全部分かる。
by. 桜井章一氏
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誰が何をするかが全部分かってしまいます。
勝負ってのは、
やってみなければ分からない、
ではなく、私に言わせれば、
やる前から分かってるんです。
私は権力には全然関心がない。
関心があるのは、
性分あるいは生き甲斐とでも言いますか、
若い子たちです。
by. 桜井章一氏
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一番関心があるのは、
自然なのですが、
人間に生まれてきた以上、
物よりも人間を大事にすべきですし、
だからこそ大人に毒されていない、
湧いて出てくる若い子たちを大切にしているんです。
冒険心を持って挑戦し続けていって、
最後は自然に勝つんではなく、
自然に敗れてしまうというね、
それができれば最高だったなと思っているんです。
最後には、自然に挑戦して負ける、
そこがいいんですよ。
企業、仕事、政治などに挑戦するではなくて、
自然に挑戦したいんです。
by. 桜井章一氏
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海ではそこそできるんですが、
山には負けそうだからね。
本を読んでる時、
ピタッと止まる時がある。
それは、一つの単語だったり、
一つの文章だったりするんですが、
どんな本の中にも、
一つや二つは、
いいものがあるんです。
人間、全部悪い人なんていませんよね。
本にも同じことが言えるんです。
by. 桜井章一氏
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で、これはいいなと思える本に出会える時がありますが、
そんな本は、だいたいシンプルです。
小学生でも読めるぐらいにシンプルなものほど、
一番いい本だなあと思います。
(車、携帯電話、ビデオ機器など)興味がないというのではなくて、
口に入らないものというか、
私にとって毒だと思うからです。
思想や考え方であれ、
文化であれ、
情報であれ、
自分が呑み込めないものは吐き出してしまう性格なんだね。
みなさんの場合は、
隣の人がいいと言うから飲んじゃう。
つまり自分の意志ではない。
by. 桜井章一氏
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