私の求めるよい強さは、欲とは無縁の損得勘定を抜きにした強さを指している。「得る」ことがいいとされるこの時代に、「捨てる」「手離す」「与える」ことのできる勇気

■修羅場が人を磨く -宝島社-

私の求めるよい強さは、欲とは無縁の損得勘定を抜きにした強さを指している。「得る」ことがいいとされるこの時代に、「捨てる」「手離す」「与える」ことのできる勇気

経済が反映しているその裏で、
相当な犠牲者が出ているのもまた事実なのである。

潤っているのはごく一部で、
その他はカラカラに乾いているのが中国の現状といえよう。

大企業ほど、そのビルの屋上に
「我、盗賊なり」
という看板を立てたほうがいいんじゃないかと思ったりもする。

資本主義、市場主義というと聞こえはいいが、
要領よく、多くを分捕ったものが大きくなる。


by. 桜井章一氏

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流通というシステムを経ることで、
10円が50円に50円が1000円に、
と価格は雪だるま式に上がっていく。

そのシステムを複雑にすればするだけ、
そこに利潤が生まれる。

第一次産業の担い手がいなくなったら、
外国から高いものを買わざるを得なくなる。

社会の仕組みがいろんな部分で崩壊しつつある。


by. 桜井章一氏

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今の日本は真綿で首をじわじわと締めつけられているような状態なのだ。

永遠に繁栄がないように、
永遠に儲かり続けるなんていうこともあり得ない。

それなのに世の企業家たちは永遠の繁栄、
永遠の広がりを無意識に求めている。

人間にとっての強さには2種類あって、
それは「よい強さ」と「悪い強さ」
に分けられる。


by. 桜井章一氏

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金欲、権力欲、名誉欲といった人間特有の欲にまみれた人たちの欲する強さは、
押し並べて悪い強さとなる。

悪い強さを持った人は
「悪い戦い方」しかできないし、
そこで勝利したとしてもそれはたくさんの犠牲の上に成り立った
「悪い勝ち」でしかない。

私の求めるよい強さは、
欲とは無縁の損得勘定を抜きにした強さを指している。

「得る」ことがいいとされるこの時代に、
「捨てる」「手離す」「与える」
ことのできる勇気。


by. 桜井章一氏

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その勇気を持っている人の強さがよい強さなのだ。

悪い強さを求める人は、
権力や富、名誉を求める。

素の状態では弱いから、
権力などの武器や鎧を身につけ、
強くあろうとする。

権力や名誉を求める人ほど、
自分のそんな弱さを認めたくない、
隠したいという思いが強い。


by. 桜井章一氏

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■悪戯の流儀 -青春出版- 自身が生き生きとしていればどこへいっても慕われる人間になるってことだよ。良きことも、悪きことも我が親友なり...

こうして修羅場を迎えつつある中で、
日本人にもっとも必要なのは上辺だけの悪い強さではなく、
本質的なよい強さなのだと思う。

現役の途中くらいまでの私は「勝つ」
ということに執着していた。

勝てば勝つほど自分の中に不快感や虚無感のようなものが広がっていく。

それからの私は相手を倒すということより、
その場の一体感、
勝負の質といったものを徐々に大切にするようになった。


by. 桜井章一氏

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いくつもの修羅場を経ることで
「勝つことがすべて」
ではない麻雀が見えてきた。

その本質は麻雀のみならずあらゆる勝負事に、
人生に通じるものだった。

現代社会で繰り広げられる競争は
「行きすぎた競争」であり、
私はそれを「間違った競争」
だと思っている。

そんな間違った競争の社会で生きてきた道場生たちは、
麻雀の打ち方のみならず、
勝負に対する心構えや努力の仕方など、
あらゆることが間違いだらけだった。


by. 桜井章一氏

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私は雀鬼流という麻雀を通じて、
その間違いを一つひとつ修正してきた。

しかし、正しいと思う方向を目指し歩いていくことは続けていくつもりだ。

今の世の中の競争は私から見ると
「争いごと」のように見える。

よかれと思っている競争が修羅場を生み出してしまっている。


by. 桜井章一氏

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■悪戯の流儀 -青春出版- しかし、もっとも大切なことは心で解決することであるという指導だ。無心とは、本物の豊かさを求める心だと私は思...

幼い頃からそんな競争に染まってしまっているから、
学校でも会社でも家庭でも、
争いごとが絶えない。

人間同士の争い、国と国との争い、
現代社会の争いを挙げたらキリがない。

こんなことを続けていたらいつかみんな破滅してしまう。

敵も味方と思える競争、
損得勘定を抜きにした勝負、
そういったバランスのとれた
「適度な競争」であれば、
人はその競争の中で切磋琢磨し、
お互いに助け合いながら伸びていくことができる。


by. 桜井章一氏

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今の世の中は、
物事を複雑にすることが高等とされる。

表面上は便利でシンプルに見えても、
その裏側はとても複雑になっているから、
その罠は見つけにくい。

私はそんな複雑化した社会から距離を置くことで、
自分があるがままの状態でいられるようにしてきた。

シンプルに生きることで幸せというものも見えてくるのだが、
複雑な社会に染まってしまうと、
幸せもどこにあるのか分からなくなる。


by. 桜井章一氏

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社会がどんなに複雑でも、
自分をシンプルな状態にしておけば幸せはすぐ見つけ出せるのである。

たとえば、幸せの入った引き出しがあったとして、
その引き出しの数が10個くらいであればどこに幸せがあるかはすぐ分かる。

しかし、今の世の中は引き出しが1000も2000もあったり、
あるいは引き出しの中にさらに引き出しがあるような状態だ。

これではどこに幸せがあるかなんて、
誰にも分かるはずがない。


by. 桜井章一氏

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■悪戯の流儀 -青春出版- 大切なのは、与えられた自分に正直に生きることです。何も1つのパターンに当てはめる必要はない。ダメなものから...

シンプルに生きていくにはまず、
「複雑なことが高等」
という固定観念を捨て去ることから始めなければならない。

固定観念を捨て去り、
柔軟な考え方を持つことで、
世の中がだんだんシンプルに見えてくるようになる。

雀鬼会には誰もが好きなことを記入できる日誌がある。

私はそこから道場生たちが何を考え、
何をしようとしているのかを知るのだが、
その日誌を読んでいると、
物事を複雑に捉えている子、
シンプルに捉えている子が一目瞭然で分かる。


by. 桜井章一氏

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逆にシンプルに物事を考える柔らかい思考の子は、
文章も柔らかい。

やさしい、誰にでも分かる表現で自らの気持ちを綴っている。

シンプルに生きるには、
まずは表現をシンプルにしてみる。

どの道場生も「得る」一辺倒で
「捨てる」ことをしない。


by. 桜井章一氏

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それは私の目指す麻雀の対極にあるものだったが、
若者たちがそういう麻雀をすることは分かりきっていた。

分かっていたからこそ、
雀鬼会を開いたのだ。

道場生たちの麻雀は勝とうと努力しているのだろうが、
誰もが「負けるほうへ、負けるほうへ」
と向かっていた。

道場生たちがなぜ負けるための努力をしてしまうのか。

それは現代社会の根底に
「負けるほうへと向かう」
システムが気付かれぬように仕込まれているからである。


by. 桜井章一氏

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