頭脳を使ってよく考えるのではなく、本能で瞬間的に判断する。何も得られなくてもがんばる。実はそこに本当の値打ちがある。逆説的だが、結果を求めなかったからこそ、結果が残せたのである

■結果を出す技術 -宝島社-

頭脳を使ってよく考えるのではなく、本能で瞬間的に判断する。何も得られなくてもがんばる。実はそこに本当の値打ちがある。逆説的だが、結果を求めなかったからこそ、結果が残せたのである

地球上のあらゆる生物は自然に抗っては生きていけない。

自然の流れの中で生き、
流れのままに生を全うする。

そこは深いも浅いもない、
本能の領域といっていいだろう。

弱肉強食の自然界で生きていくには瞬間的な判断が求められる。


by. 桜井章一氏

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だからこそ私は幼いころから、
自分の”頭脳”より”本能”を大切にしてきた。

頭脳を使ってよく考えるのではなく、
本能で瞬間的に判断する。

でも私は浅く生きてきたお陰で、
弱い立場の人間の存在に気づくことができた。

社会的弱者と呼ばれる人たちは社会の浅いところにいる。


by. 桜井章一氏

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しかし海の深場に行けば溺れる人が出るのと同様、
深く考える”深み”にはまれば思うように動くこともできないし、
息苦しくもなる。

社会の中で溺れ、
苦しみたくないなら、
“深い人”など目指さず、
私のように”浅く生きる”
ことをおすすめしたい。

人は生きている限り、
何度でもやり直しはきく。

道場でまず私が始めたのは、
若者たちの麻雀から政治色と経済色を取り除くことだった。


by. 桜井章一氏

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この作業は一朝一夕に済むものではない。

実に根気のいる作業だが、
創設から25年たった今も私は道場生たちから政治色と経済色を排する試みを続けている。

だが、雀鬼会の麻雀はいくらがんばっても何かを得るということはない。

何も得られなくてもがんばる。
実はそこに本当の値打ちがある。


by. 桜井章一氏

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しかし目標を立てるのはいいが、
そこに「期待」が入ってしまうと人は間違った方向に進みやすくなってしまう。

「期待」は、やった分だけの見返りを求めるものだと私は解釈している。

だから私は常日頃から道場生たちに対して
「期待をするな。見返りを求めるな。
何かを得るためにがんばるようなことはするな」
と言っている。

期待は目標の大きさに比例して、
増大していく。


by. 桜井章一氏

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■この世の掟をぶち破れ! -李白社- 力を入れるということは、むしろ自分が不自由なほうへ不自由なほうへと向かわせているだけなのだ。力は...

しかしこの世の中で自分の思うような見返りが返ってくることは稀である。

大きな期待がことごとく裏切られていたら、
いつしか精神を病むことになってしまうだろう。

目標を持つのであればできる限り小さく。
これは心身のバランスを保つ上での鉄則だ。

“いい結果”は、
こういった下地がなければ生まれこないことを覚えておいてほしい。


by. 桜井章一氏

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ただ、私は昔から何ごとに対しても
“腹一分”の感覚で生きてきたので、
食事もちょっと食べただけで
「もう結構です」
となってしまうのだ。

他の人に分け与えたい感覚も強いから、
残った料理は腹をすかせている道場生に
「どうぞ」とあげてしまうこともある。

「腹八分」という言葉があるが、
私は何事に対しても「腹一分」
の感覚を持って生きてきた。

でも私はこの「腹一分」
の感覚があったからこそ、
麻雀の裏プロである代打ちとして20年間負け知らずでいられたのだと思っている。


by. 桜井章一氏

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欲を刺激され続けてきた人たちは、
本来人間が生きる上で必要のないものまで
“豊かさ”として求めるようになった。

その結果、ほとんどの人が知らず知らずのうちに
“腹十二分”くらいの感覚になってしまっている。

勝負事で勝つためには何よりも全体を見渡し、
いろんなことに気づいていく
「全体観」が必要である。

しかし欲にとらわれた人は目の前のことしか見えていない。


by. 桜井章一氏

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■この世の掟をぶち破れ! -李白社- 私は真剣だとか熱心だとか頑張るとかいう感覚が、もうすでに間違えていると思っている。力を入れて生じ...

腹一分の感覚を持っていつも心に空きスペースをつくっておくと、
その余裕が柔軟さとなり、
トラブルやピンチにも慌てずに対処できるようになる。

腹十二分でおなかいっぱいの状態では身動きもままならず、
そんな状態では臨機応変な対応など取るべくもない。

情報の波に翻弄されることなく、
必要なものは取り入れ、
不必要なものは捨てていく。

そうやって空きスペースを広げていくほど、
いい結果が生まれる可能性もまた大きくなっていくのである。


by. 桜井章一氏

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今までの人生の中で、
私は”求める”ことをあまりしてこなかった。

いつも私の中にあったのは
“恵まれる”感覚である。

「俺は何でこんなに恵まれているんだろう?」
これが嘘、偽りのない私の今の心境だ。

私がなぜ恵まれてきたのか。


by. 桜井章一氏

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それはひとえに”求める”
ことをしてこなかったからだと思う。

「残り物には福がある」
といういことわざのとおり、
私は求めてこなかったから
“福”に恵まれたのかもしれない。

おいしいものが目の前にあっても私はそれを求めなかった。

でも、そんな「残り物をいただく」
だけの生き方をしてきたから今の私がある。


by. 桜井章一氏

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■マイナー力 ~「負け」が「勝ち」になる生き方~ -竹書房- 自我があるということは、自分だけの特性があるということです。「これは俺に...

逆説的だが、結果を求めなかったからこそ、
結果が残せたのである。

“欲”にとらわれた人は、
自分が恵まれていることにも気づかず、
“求める”ことに躍起になり、
いろいろなものに手を出す。

結果を出さなければならないときに、
その眼差しが欲望に曇っていたとしたら、
目の前で起こっていることを正しくとらえることは難しい。

「残り物には福がある」
これを私流に言い換えれば
「”いいもの”は求めず、”ダメなもの”を選ぶ」
ということになろうか。


by. 桜井章一氏

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世の中の常識で”いい”とされているものに私はまったく興味がない。

逆に世間では”ダメ”とされているものにどうしても目が向く。

でもその性分があったお陰で私は誰よりも
“恵まれた”人生を歩むことができた。

みんなが選ばないような道を選ぶことで見えてくるものがある。


by. 桜井章一氏

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“ダメなもの”は改良したり、
修正したりする点がいくらでもある。

ダメなものをダメなまま放っておくのではなく、
ダメだからこそ何かをしていく。

でも、麻雀が社会から評価されないものだったからこそ、
私はたくさんのものに恵まれてきた気がする。

社会的に”いい”とされるところで生きていたら、
私は合理主義や成果主義にとらわれた生き方をしていたかもしれない。


by. 桜井章一氏

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